ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ 子どもを、大人の画一の概念の箱に入れないで!

これは違うなと思うこと。

* 今の子どもは、本を読まない。

* 今の子どもは、タブレットやスマホに馴れているために、想像力がない。

* 子どもって、自由。


今も昔も、本を読む子もいれば、読まない子も、いるのです。
昔の子どもが、読書好きということは、ありません。
昔も、それは個別だったのです。

今も昔も、想像力の豊かさは、個別なんです。
昔の子どもの想像力が豊かだったとと、比べられる根拠、ありますか?

ましてや、今も昔も、その時々に子どもが抱くその発想に於いても、置かれている状況に於いても、自由だなんてことは、ありません。

大人の思惑に影響され得ず、あくまでも天使の如くに清廉に、自由な存在であるなんてことはあり得ないでしょう。


大人の、世間一般に言われる固定概念を捨てて、自分の目で、心で、ありのままの、子どもを、観て、そして己の感性に於いて、自分の言葉で表現して欲しいと思うのです。


このような画一的な概念に気付いていない大人、特に児童文学作家を志す人には、言いたいです。
まずは、工藤純子の、この作品を読んで、と。

子どもは、いつの世も、大人の思惑に一番、影響を受ける存在です。

この本が描いている世界が、私の小学生時代から約60年経っても、まったく変わらず、普遍的に、子どもを取り巻く状況というものだと、私は思います。

  

                


この作品を読んでも、良きにつけ悪しきにつけ「子どもって、こうですよね」的な画一な見方ができますか?
と、私は、思うのです。

大人であろうと子どもであろうと、何歳であろうと、人はそれぞれ個別なのです。
今更、ですが。

















  

         













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