これは違うなと思うこと。
* 今の子どもは、本を読まない。
* 今の子どもは、タブレットやスマホに馴れているために、想像力がない。
* 子どもって、自由。
今も昔も、本を読む子もいれば、読まない子も、いるのです。
昔の子どもが、読書好きということは、ありません。
昔の子どもが、読書好きということは、ありません。
昔も、それは個別だったのです。
今も昔も、想像力の豊かさは、個別なんです。
昔の子どもの想像力が豊かだったとと、比べられる根拠、ありますか?
ましてや、今も昔も、その時々に子どもが抱くその発想に於いても、置かれている状況に於いても、自由だなんてことは、ありません。
大人の思惑に影響され得ず、あくまでも天使の如くに清廉に、自由な存在であるなんてことはあり得ないでしょう。
大人の、世間一般に言われる固定概念を捨てて、自分の目で、心で、ありのままの、子どもを、観て、そして己の感性に於いて、自分の言葉で表現して欲しいと思うのです。
このような画一的な概念に気付いていない大人、特に児童文学作家を志す人には、言いたいです。
まずは、工藤純子の、この作品を読んで、と。
子どもは、いつの世も、大人の思惑に一番、影響を受ける存在です。
この本が描いている世界が、私の小学生時代から約60年経っても、まったく変わらず、普遍的に、子どもを取り巻く状況というものだと、私は思います。
この作品を読んでも、良きにつけ悪しきにつけ「子どもって、こうですよね」的な画一な見方ができますか?
と、私は、思うのです。
大人であろうと子どもであろうと、何歳であろうと、人はそれぞれ個別なのです。
今更、ですが。