ご覧の通り、同じ本が二冊ある。
このことに、まさに、たった今、気付いたのである。
『鷗外 闘う家長』について書こうかな、と思って前方にある本棚から取り出し、机の上に置いてから、私の背中の方にある本棚を眺めていたら、あらら、ここにもあった!のでした。
同じ本を買ってしまったことが以前にもある。
それは、『だいたいで、いいじゃない。』(吉本隆明・大塚英志 文藝文春)。それを読んだことをすっかり忘れて、同じ本の文庫を、面白そうだと思い、買ってしまったのだ。
読み進めていくと、なぜか、内容が予知できるというか、妙な既視感というか、変だなぁ、不思議なこともあるもんだとなぁ、と思いつつも、ちゃんと読み終わるのだから、まったく、私の読書は、かのように浅いものなのだと感づいてしまった、トホホの一件であった。なんとも「だいたいで、いいじゃない」のシャレにもならない話しである。
文庫の方。吉本もすっかり老境で、私なんぞにも理解できるような本になっていましたわ。ま、二回も読んだしね。
『鷗外 闘う家長』1冊目は、昭和55年7月25日 初版発行日で、同じ55年10月25日 3刷。320円。鉛筆で、S.55記載してる。私には購入した年を鉛筆で記載する癖がある。
2冊目の『鷗外 闘う家長』は、昭和63年7月15日 7刷 360円。こちらには、S.64と記載してある。
ほぼ、9年後に2冊目を買って読んでいたようだ。
2冊目には、ラインが引かれてあったりしているので、こちらは、かなり、しっかり読み込んだ模様。
荷風と鷗外を比較し言及しているあたりなどにラインが引かれていたりし、その当時、私自身の興味がどういうところにあったか知れる。
『鷗外 闘う家長』は、山崎正和が著したものだが、後書きが面白い。
山崎正和の祖父は、土佐支藩の藩医の家に生まれ、鷗外から10年遅れて東大医学部を卒業しているのだいう。その祖父がひそかに鷗外に憧れていた形跡があり、やはり若いころ、文筆を志したらしい。熊本医科大学の学長を退いた後、晩年「横井小楠伝」を著したのだという。
この後書きに山崎正和は、イギリスへの留学時代に、荷風を読み、漱石を読み、鷗外を読んだとある。そして山崎は、鷗外とかなり長く付き合うことになる。
ちょっと分かるような気がする。
外国に行っていたとき、私は、漱石を読み、鷗外を読み、荷風を読んだ。
順番がまったく逆なのがミソだが、以来、私は荷風にすっかりはまってしまい、今に至る。
鷗外について、なんにも書いていないが、それについては、明日にしよーっと。
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