ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ ひとりごと    藤森照信と高橋和巳のこと

午後、友人から電話が来た。
なにかのきっけかで、藤森照信氏の話になった。

***

私が建築史の研究者藤森照信氏を知ったきっかけは、大昔『朝日ジャーナル』に写真も載って文章を書いていた「明治の洋館」だった。

その藤森氏の文章で、明治五大監獄(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)の設計に関わった山下啓次郎を知ったのです。
特に鹿児島監獄は煉瓦造りでネオゴシックだという。
実物を見たいと思うほど、興味を持ったものだった。

そして、更に面白い事実が判明したのは、その設計者山下啓次郎が、当時すでに有名だったピアニスト山下洋輔の祖父になる人だと言うことだった。

山下洋輔も自身の祖父が、今や貴重な洋館でもある鹿児島監獄を設計したのは、藤森氏によって知ったとのこと。
彼は、その監獄でライヴを行い、書籍も上梓している。


藤森照信氏の著作の殆どを読んだように思う。

寺田寅彦や中谷宇吉郎、解剖学の養老孟司、気象学の新田次郎、その息子の数学者の藤原正彦、回虫の藤田 紘一郎 とか、理系の人の文章は、文系の文学ひと筋の作家とはまた異なる趣が感じられ、興味が惹かれる面白さがある。

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ところで、友人と話していて、私が『朝日ジャーナル』を読んだのは、高橋和巳が『邪宗門』を連載していて、それが読みたかったからだと話した。

『朝日ジャーナル』で、『邪宗門』を読んだ記憶は、間違いなくある。
でも、それは、私の記憶では70年代中頃だった記憶がある。

電話を切ったあとに、ちょっと気になり調べて見たら、確かに『邪宗門』は、『朝日ジャーナル』に連載されていた。

ただ1965年(昭和40年)1月3日号から、1966年(昭和41年)5月29日号にかけて連載だったと分かった。
この年代なら、私は間違いなく、リアルタイムで読んでいるはずがない。

私が高橋和巳を知ったのは高校の2年か3年の時だったからだ。

高橋和巳が、1966年に大巾に修正加筆して河出書房新社より出版というこちらを読んだのだろう。

『朝日ジャーナル』は、バックナンバーを入手して読んだ可能性がある。
私には、気になる作品には、とことん執着する癖があるからだ。

写真は、巻末に吉本隆明が論文を 
書いている。
1970年に河出書房新社から出版された『高橋和巳作品集』の4巻目が『邪宗門』
私の、大切な本である。

この10冊の『高橋和巳作品集』は、高橋和巳が大好きだと私が言っていたのを覚えていて、私が大学生の時、持病が悪化して長療養した時に、母が贈ってくれたものなのです。

友人からの、電話がきっかけで、何年ぶりかに高橋和巳と吉本隆明に、何度目かの出逢いとなりました。
おそらく、この二人は、私の青春の全てだったかも知れません。

***

私は、藤森照信の本が大好きで、それで彼の出身地である信州茅野に、守矢神長館とか高過ぎ庵とか見に行き、それからの彼の建造物を見る旅をしていた。

藤森照信氏が東大教授を退官されたあと、現在、建築史の教授である加藤耕一氏は、なんと児童文学の世界で、とてもお世話になっている方のご子息でした。


<余談>
私は、息子が高校生の時、東京藝術大学美術学部建築科へ行く気持ちはないかと問うたことがある。
にべもなく「ない」と言われてしまった😂 














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