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つい、開いてしまう。月報に目がいく。
すると、故 森 於菟 とある。
それだけで、ほぉー!
“故”が、ついているということは、この出版されたあたりに亡くなったのかと、憶測してしう。
森 於菟になる文章は「鷗外の死と遺言(絶筆)」とある。
調べてしまった。
故 森 於菟は、1967年12月没
この本の出版は、1968年(昭和43年)2月20日初版発行とある。
なにしろ、朱の検印は貼られているのだ。
森 於菟と森茉莉は、それぞれ留学しており鷗外の臨終に立ち会わなかったという。
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12巻の月報の最初の筆者は、「新宿の文明開化」と題して、田辺茂一。
この人の姿は、随分と、雑誌やテレビのインタビューで見かけたものだ。
巷の文化に深く造詣したハシリだったかも知れない。
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評論と小説が、本当に両輪となって、蒸気機関車を走らせていた時代だ。
評論家にも、小説家にも、哲学と、なによりも教養があった。
と、ほぼ断言してしまう。
と記す時点で、私も、懐古趣味になったものだと自覚する。
やっぱり現代は、評論家に説得力がないし、小説家もピンからキリだ。
それにしても、文学への思いと理解、その文章の巧みさに、小林秀雄の章は、真剣に読み直してしまった。
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これは月報なかほどに、貴司山治が書いている。
「文学者の転向」
この問題は、やはり根が深い、と今でも感じる場合がある。
この「日本文学の歴史」は、結局、処分箱から全部引っ張り出してしまって、、私の机のそばに、積んである。
倉庫化の家に暮らすのも、相当、安らがないけれど、目の前の本から逃げられない習性は、どうにも治らない。
ふと、窓から空を眺めてしまったあとに、ふらりと手に取って、ぱらりと開いたところから、読み始める。
どのページから、読んでも、あっという間に1時間は過ぎてしまう。
そして、読みながら、こんなに面白くて、分かりやすい評論のようなものを書けたらサイコーだなと思う。
特に、小林秀雄には、誘い込まれて、吸い込まれてしまいそうだ。
ああ、それにしても、本の声が聞こえない、静謐とした空間で、生活してみたい。
いつも私の頭の中には、本の話し声が響いている。