ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『小公女』福音館 高楼方子 訳 と ポプラ社 越水利江子 意訳  

               

 『小公女』の、原作はフランシス・ホジソン・バーネット。
 イギリス生まれだが、16歳からアメリカに移住し、『小公女』は、アメリカで出版され舞台化もされた。
 その舞台化のタイトルが『A LITTEL PRINCESS』である。

 初稿発表時のタイトルは『Sara Crewe, or What Happened at Miss Minchin's』(セーラ・クルー、またはミンチン学院で何が起きたか)である。舞台化の成功に伴い加筆され、タイトルも『A LITTEL PRINCESS』にと、変更され、再出版された。

 日本では、若松賤子がいち早く翻訳したが、当初のタイトルは『セーラ・クルー』だったらしい。その後『小公女』というタイトルにしたのも若松賤子だが、このタイトルは素晴らしい名訳だと思う。
 
 私もすっかり年をとって、あらため読んで見ると、バーネットにとって、故郷大英帝国に対する郷愁の思いが、とても深くあったのだということを知る。
 
 実を言うと、ポプラ社の越水利江子意訳版の書評を、とある子どもの本の雑誌から依頼があり、おおよそ半世紀以上ぶりに、『小公女』を読んで見たというわけである。
 読むと、大昔の8歳あたりだったと思うが、その時の読後感が、まざまざと甦る。
 私は、かなり、セーラの境遇憧れ派だった。

 小学生だった私は、下校の道、いつも、セーラのように、今を自分を、突発的に変えるなにかが起きることを、想像していたものだった。
 路地を曲がり、家の玄関の戸を開けたら、家族は全員、密かに転居しており、だれもいなくなった家に、手紙が一通あり、あなたには、武者小路家から、お迎えが来ます、なーんて書いてあるにちがいないなんて、飽きもせず、毎日のように想像しては、ワクワクしていたものだ。

 想像は、日々、どんどん風船が破裂するのかもと思うぐらいに、ふくらんで……やがて。
 私は、ミッションスクールで寄宿舎のある女子校の生徒になりたいと、とてもとても憧れたのだった。

 その憧れが、とにもかくにも、かなって、私は、一人、北海道に田舎の町から、札幌の女子校に、夢いっぱいに進学したのだが、なんということはなく、物語と現実との落差に、ひどく落胆したものだった。

 それでも、イギリスはこうではないと、日本だからなのだと、夢は、枯れ野、でなく、あの大空に、未だにはばたいているのである。

 余談が、長くなりすぎた。

 越水意訳版から、触れたい。
 『小公女』を、日本で初めて翻訳した若松賤子や、『赤毛のアン』の村岡花子など、イギリス、カナダ、アメリカの児童文学(少女小説)の翻訳を始めたばかりである。それは、言うまでもなく、努力のたまものではあったが、原作そのものに対して、超訳であった。

 その超訳を、昭和の文学全集時代に育った私なんぞも読んだものだった。
 それでも、世界観は、充分に伝わってきた。
 やはり、若山賤子や村岡花子なしでは、明治から昭和にかけての海外翻訳物の児童文学の歴史は語れない。

 さて、越水だが、彼女が他の翻訳者とラインを画するのは、後書きではあるが、当時のイギリス社会に触れたことである。

 イギリスは、インドを植民地とし、インドから莫大な収奪を行った。
 しかし、イギリス人は、アジアの「不思議な国インド」への憧れが、とてつもなくあったようで、それは、例えば『ちびくろサンボ』を始めとして、ローズマリー・サトクリフであっても例外とは言えない。
 ビートルズのインド、ヨーガへの傾倒は、その現象なのかも知れぬ。
 
 イギリスの児童文学と、「不思議な国インド」は切り離すことはできない。
 しかし、その文学に於いて、植民地支配と被支配の関係に言及されることはない。
 ここを、越水はやんわりと、指摘する。
 私は、この越水利江子の、気づきに注目してしまう。

 さらに言えば、イギリスの上層階級と、下層階級の関わり合いについて、バーネットの言及は、「施し」という視点である。確かにセーラの自己犠牲という立場が書かれている。
 更に、お嬢様であるか下女であるかは、ただの「偶然」と綴る。

 でもね、その「偶然」って、自発的に破棄できるものじゃないらしい。
 
 小公女セーラが、父親の破産から、下女(メイド)にされてしまった境遇から、救い出されたとき、セーラは、上層階級のお嬢様に戻り、苦楽を共にした友人のベッキーは、セーラと一緒に救い出されるが、下女の立場のままなのである。
 これも時代というものの価値観なのであろうか。

 長くなってしまったので、高楼方子訳の『小公女』の視点については、あらためて。

 因みにアメリカ版の本の装丁です。  

 表紙のレイアウトのアイディアは三冊とも同じです。
 お父さんがセーラに買ってくれた人形エミリーを腕に抱いている絵です。
 でも、面白いことに、アングルが全然、違うのです。



<追記>
 日産に乗用車セドリックという名称は、当時、日産がスポンサーだったTVドラマ『小公子』の主人公、セドリックにちなんだものである。
 この『小公子』も、バーネット作。
 私は、かすかに、子ども時代、このドラマもCMもリアルタイムで見た記憶がある。
 何気にトリビアなネタ。(^_-)


 

 

 

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