今夜、『夏目漱石の妻』というTVドラマがあった。
今日が最終回だったが、私は前回とこの最終回しか観ていない。
残念。
一回目から、ちゃんと気をつけて観るべきだったと思ったほど、興味を持った。
本日の名シーンは、壇密の大塚楠緒子だ。
楠緒子が、夏目家の玄関先に現れた瞬間、そのキャスティングに、私は、大喜びで手を叩いて、はしゃいでしまったほどである。
私が空想する大塚楠緒子の雰囲気に、壇密はまさにはまっていた。
壇密の佇まいといい、セリフまわしといい、目線といい、特に、斜め後ろ姿の、首筋は、さすが!だ、これだ、これだ、これこそが、「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」と、漱石に俳句を詠ませたほどの楠緒子というものだと、感服してしまった私である。
しかし、最終場面が、どうにも不満足でならない。
修善寺の大患で、生きかえった漱石が、すっかり元気になり、信州へ講演に行くという。
信州の山中に佇み、山並みを眺めながら、漱石と鏡子が語り合うのだが、鏡子が実は『坊っちゃん』の清は、自分がモデルだろうと言う。
そこで、漱石役は優しい目をしながら「だから、鏡子かどうか、どうだろうね」というようなセリフを言って、場面は、ばぁーとカメラが引いて、その場面で、ドラマは終わる。
私は、漱石役の俳優が言った、だから、に咄嗟の逆上反応をしてしまい、だから、のあとに続く安直なセリフを正確には記録できないが、とにもかくにも、
えええっー!!!
これって、ありですか、だったのである。
これでは、まったく、肩すかしではありませんか!!
演出家か脚本家か知らないけれど、『坊っちゃん』の“だから”のもつ意味の深さを、まるでわかっとらんのだ。
小説『坊っちゃん』の最終行、あまりにも有名な、あの一行。
「だから清の墓は小日向の養源寺にある」
この、“だから”は、日本文学史上最高の接続言と言われているのですぞ!!
私は、どんなに我が儘で、神経衰弱で、面倒臭い男であろうとも、この、一行が書ける、夏目漱石という作家に、とことん惚れてしまうのだ。
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