この作品は、いつも私の心のどこかに、ひっかかっている、というか、指の先に小さな棘が刺さったまま、取れずにいるような、そんな気持ちを抱いてしまう作品、である。
父と母が、再婚どうしである。
主人公のココちゃんは母の連れ子。
父の連れ子のナッちゃんは、ココちゃんより年下にもかかわらず、ココちゃんより身体も大きく、幼いゆえか超わがまま、したい放題の幼児である。
ココちゃんは、じっと我慢する。
私は、いつも、いつも、シリーズの一巻一巻、ココちゃん、反撃するのだ!! 耐えることはない!! と応援してしまう。
それが10年も、経ったのかと思うと、感慨とともに時間の過ぎる速さに驚いた。
10巻目の今回は、ココちゃんが、ようやくナッちゃんに反撃にでる。
やったぜー!!と思う。
でも、なんとも、なぜか、私は悲しくなる。
おかあさんが、あかちゃんを出産するのである。
この3人、ココちゃん、ナッちゃん、あかちゃん(作中では“ちびちゃん”)と3人の、これからの人生って、いったいどうなるんだろうと、私の心は、ひたと、うつむいてしまう。
大変だろうな、と。
それぞれの置かれる立ち位置の相違というか、それぞれのアイデンティテイを、思うと、それは、それは、大空を見上げ、希望に満ちた日々を想像できない、私がいる。
単純な家族構成で、暮らさなかった私は、はっきりと自覚した記憶は、小学校5年生の頃あたりから、本来のあるべき自分はどいういう人間なんだろうと、考えた。
その頃、書き留めた日記は、高校1年生の15歳の時に、ドラム缶に投げ入れ、すべて焼いてしまったので、おぼろげな記憶だけだが、私は、兄にも姉にも気を遣わずに、母の悲し気な表情にも気付かずに、いられる日々を、生きたいという思いを自覚したのが5年生の頃からだった。
自分の生きる日々が、偽物のように思っていた。
本物を生きる日々を知りたくて、私は、公務員で転勤する父を理由に、いかにもの正当性を主張し、ひとり親元を離れ札幌の私学へ進んだ。
いまや、なにが本物の生き方だったのかと、自分に問えば、きっと多分、確信をもって言えることは、なにもないような気がする。
『おねえちゃんって、ときどきなきむし!?』は、そんな、思いにふける作品だった。
ココちゃんもナッちゃんも、生まれたばっかりの赤ちゃんも、良い人生の日々を、のびのびと自分らしい生きる日々を、心から送って欲しいと思う。
児童文学とか、幼年童話とか、馬鹿にしちゃいけない。
死地がそう遠くない年齢になり、己の来し方を思い起こすほど、心に響く。
つくづくいとうみく作品の向日性というか、この物語に主人公、ここちゃんの存在に、救われる。
今の社会、このような家族構成で育つ子どもたちの、きっと心に助けになる作品だと思う。
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