チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

プロになる

2005-03-03 22:41:17 | Weblog
 自分で事業をしているにしても、雇われている立場であったとしても、仕事をするからには「プロ意識」がとても重要だと思っている。とりわけ雇われている立場の時には、このことを強く意識する必要があると思っている。

 「プロ意識」という言葉には、人それぞれいろいろな想いを持っていると思うが、私も同様に思いを持っている。

 プロ意識の一番重要なポイントはお金をかせげことだと思っている。お金をかせげなければプロではない。たとえばサラリーマンであれば、現在勤めている会社をはなれた時に、今の会社で得ている賃金以上を稼げる仕事をしているか、それだけの能力を持っているかということだと思っている。
 仮に転職するとして、転職直後は賃金が下がっても、その後リカバリーするような、それが必然となるような力を持っていることだと思う。

 仕事の種類によっては、仕事そのものの価値や、仕事の希少性の程度から必ずしもそういかない場合もあるかもしれないが、とにかく自分自身はプロだという意識を常に持っていることが大切だと思う。

 プロを強く意識し、「自分はプロになる・なれる」とそう強く心に念じていることがプロへの道のりのはじめのようにも思える。プロになりたい。

森伊蔵が当たる

2005-03-02 22:21:29 | Weblog
 芋焼酎が好きの人にとっては「森伊蔵」は特別な銘柄だ。焼酎を売り物にしている居酒屋でもリストにないことはしばしばだし、あったとしても値段の高い店では一杯2000円以上するところもある。それでも飲めるだけ幸せという人もいる。

 生産本数が少なく酒屋さんで買うことはできないためが、蔵元が行う抽選に応募し当選すれば定価で蔵元から購入できる。でも、これまで何度応募してもあたったためしはないし、電話で応募することさえも、常に話中で電話がつながること自体珍しい。

 インターネットのオークションでは一升瓶が30000円を超えることもしばしばだった。

 前置きが長くなったが、この「森伊蔵」にJALの国際線でのみ販売している750ml入りの瓶があるが、これを手に入れることができた。
 これも抽選ではあったが、焼酎好きの友人に教えてもらった注文方法で、一度で当選した。

 いつ飲むか、誰と飲むか、どこで飲むか、何を食べながら飲むか、今から到着することが、とても楽しみだ。

最後の言葉

2005-03-01 23:06:11 | Weblog
 あっという間に過ぎた5年。今取組んでいるプロジェクトができた時から一緒に仕事をさせてもらい、その間いつもその存在が気になっていた上司の送別会があった。

 大局的にものを見て、戦略的な思考ができ、仕事の動かし方をとてもよく心得ていて、前例がないようなプロジェクトに取組むときに何度もリーダーとして指名され、豊富な経験を積んできた人。

 調和を重んじ、フェアであることをとても大切にする。組織を作ることも上手なため彼がリーダーになるとその組織はすぐに大きくなっていく。体調がよく、周囲の環境がもう少し整って入れば間違いなく組織の中でもっとポジションをあげていた人だと思う。

 こんな上司と5年間いっしょに過ごせたのは、私にとってとても貴重な経験であったし、多くのことを学ばせてくれた。

 送別会で上司が3つの言葉を最後にくれた。
1 細心かつ大胆であることが大切
2 軸をぶらさない
3 迷ってもまず継続する

 振り返ってみれば、時に上司も理不尽に思えるようなことをいったり、何にこだわっているのか理解できない指示を出すこともあった。でも、これは3つの言葉からすれば一環している内容だったように思う。そう考えると、あらためて素晴らしい上司であったと今は強く感じている。

 それでも上司との関わりは楽しいことばかりでなく苦しいことのほうが多かったかもしれない。私自身の性格の問題から上司と対立することもしばしばあった。嫌われようと全く思っていなかったのと同じくらい好かれようとも思っていなかったから、自分の思ったことを遠慮なくぶつけていた。そしてそんな時はいつも「この人を絶対超えてやる」と思っていた。

 もっと私自身が素直であったらさらに深い学びがあったかもしれないが、そうではないにしても真剣に関わりあえたことから学んだことは大きい。最後の3つの言葉をこれから強く意識していきたいと思っている。

 人はいなくなって初めてその人の大切さ、貴重さを知るとあらためて思った。

おしゃれ関係

2005-02-28 22:41:48 | Weblog
 日本テレビというテレビ局は嫌いだが、「おしゃれ関係」という番組は好きだ。
古館伊知郎と渡部満里奈が司会を務め、毎週1人(組)のゲストが登場するトーク番組。ただのトーク番組ではなく、ゲストの魅力的な側面を見せることに番組のテーマが明確に定められているところがいい。

 この番組を見るまでは特に魅力を感じなった人が、番組を見終わるころにはとても魅力的な人と感じてしまう。昨日のゲストは菊川怜だった。

 菊川怜の魅力的な側面を引き出す仕組みは、高度な数学の問題と、フラフープ。
白板に書かれた物凄く難しそうな数学の問題を菊川怜はとても楽しそうにスラスラと解いていく。本当に楽しそうに解いていた。

 解き終わった後も古館伊知郎の質問に答えながら、菊川怜はなぜ自分が数学が好きなのか、どのくらい好きなのかを眼をキラキラさせながら話していた。「話をしている菊川さんを見ていると、すいこまれそうだ」と古館伊知郎は話していたが、私も同じような感覚を持った。

 数学の後のフラフープでは、小さなころはフラフープが大好きだったというだけあって、とても楽しそうにフラフープをしていた。数学を解いていた知的な印象とは違った、はちきれんばかりの元気さが体中から溢れていた。

 菊川怜自身この番組にでてきっと楽しんだに違いない。そして人を楽しませたこの番組のプロデューサーもきっと同じくらい楽しんでいたと思う。人を楽しませて、自分自身も同じくらい楽しめる。そんな仕事はとてもすばらしい仕事だと思う。

シンプルに褒めること

2005-02-27 23:18:03 | Weblog
 良いところに焦点をあてて、シンプルに人を褒めることはとても大切なことだ。このことをあらためて気付かせてくれる人と出会った。その人とは特別な会話をしたわけではないし、語り合ったわけでもない。たった一言その人が私に話してくれた言葉が心に響いた。

 私自身が精一杯努力をしたこと、そのアウトプットを評価できる経験をもった人が、心をこめて伝えてくれた。こんな状況だったからすごく心に響いたのだと思う。

 良くないところをあげようとすれば、それも簡単にできたはず、でもその人は、そのことについて一言も言わなかった。なぜそうしたのか、たまたまなのか、意図してのことなのかは尋ねていないのでわからないが、私の様子を見ていて意図的にそうしたのだと思っている。

 自分自身では、課題がわかっているつもりだからたくさんの言葉で褒められるより、シンプルに一言いってもえたことがとても嬉しかった。たくさんの言葉でほめられると、うそのように聞こえるし、また逆に「そうはいっても、あれができなかった、これができなかった」と、できなかったことに焦点があたってしまうから。

 適切に評価できる人が、シンプルに褒めることはとても説得力があってよしやるぞという気持ちになってきた。

理解しがたい存在

2005-02-26 23:13:43 | Weblog
 この1週間を振り返る番組が週末には多くある。どの番組でも必ず、ライブドアとフジテレビのニッポン放送を巡る攻防が取り上げられている。

 この攻防について、私は最初フジテレビを応援していた。ライブドアの「インターネットとTVの融合」みたいなことを言っているのは、戦略としてはありえるだろうと思ったものの、どのくらい真剣に考えているのかがよく伝わってこないことや、立会い外取引という手法がなんとなくグレーな気もして、また今回もまた売名行為ではないかといぶかっていたからだ。

 それが、今週になってニッポン放送がフジテレビに新株予約権を発行するという発表がなされてからは、少なくともフジテレビを応援する気持ちがなくなった。これで決着がついたというわけではないようだが、「そこまでやるか?」というあきれた気持ちになった。

 おまけに、ライブドアの堀江社長へのインタビュー番組などでを見ていると、まるでいじめのような内容が頻繁にみられて、見ていて嫌な気持ちになる。

 特に日本テレビのインビューは最悪。アナウンサーが堀江社長に投げかける質問はばかばかしすぎて聞いていてこちらが腹が立ってくる。同じ質問をフジテレビの日枝会長にしてみろといいたくなる。先日のクイズ番組でもばかなことをやっているし、日本テレビというTV局は正常な判断ができない人の集団か、チェツク機構が働かない最悪のテレビ局という印象を私は持ってしまった。

 一方の堀江社長も、そのようなインタビューを受けることはある程度予想できるであろうに、なぜインタビューを受けるのかは理解しがたい。よっぽど計算高く「判官びいき」を狙ったり、売名をしているのか、それともたんなる世間知らずか、いずれにしても理解しがたい存在だ。 

子供は子供、親は親

2005-02-25 23:24:37 | Weblog
 いくつになっても子供は子供、親は親。この関係は決して変わらない。

 親は子供がいくつになっても子供のことが心配で気になるらしい。風邪はひいていないか、しっかり食事はとっているか、お金に困っていないか...
 
 2ヶ月ぶりに母親に会うと、いろいろな質問攻めに会う。

 子供は子供で、最初のうちはまともに答えているものの、時間が経つにつれ「大丈夫、大丈夫、心配しないでいいから」、もうしばらく時間が経つと「いつまでも子供じゃないんだから、心配しくていいよ」、さらに時間がたつと「もううるさいなぁ~ 大丈夫だから」に返事が変わっていく。いつまでたっても子供の返事。

 親が子供扱いするから、子がいつまでたっても子供のような言動になるのかもしれないし、逆に子供がいつまでたっても子供子供しているように見えるから、親が本能的に子供扱いするのかもしれない。

 ただ私自身が感じることは、やはり親といると子供は子供になる。心のやすらぎを感じる。

 自分をとりまくいろいろな環境の中で少しつかれていた。体調もあまりすぐれず、一方で、それでも自分なりに頑張っていた部分があった。そんな疲れが一気でて、夜はぐっすり眠ることができた。

幻の手羽先

2005-02-24 23:01:24 | Weblog
 2年ぶりくらいで仕事で名古屋にやってきた。

 仕事であろうとプライベートであろうと旅行の一つの楽しみは食事。名古屋名物といえば、味噌煮込みうどん、味噌カツ、名古屋コーチンが頭に浮かんだが、栄を歩いていて「名古屋名物 世界の山ちゃん 幻の手羽先唐揚げ」という看板が眼に入った。

 私は唐揚げには眼がない。居酒屋に行くと唐揚げを必ず注文する。「幻の手羽先唐揚げ」という看板を眼にすれば入らないわけにはいかない。

 小ぶりの手羽先に下味をつけたあと、ほとんどころもをつけずに唐揚げにしてスパイスをふりかけている。1人前5本入って380円と値段も手ごろ。2人前ほど食べたが、3人前でも4人前でも食べられそうだった。めちゃくちゃおいしいというものではないが、やみつきになりそうな予感をさせる味だった。

 「山ちゃん」のお客は男ばかりだ。最近有名な「名古屋嬢」に会わなくても良いという人は、ここでガツガツ幻の手羽先を食べるのも悪くはない。

会いたい人にはもう会えない

2005-02-23 23:43:25 | Weblog
 「迷ったら会社の利益を考えろ」と教わった。意思決定の選択肢が複数あれば、どの選択肢が会社にとって最も利益をもたらすのか、選択肢がひとつしかない場合は、そこでの意思決定が会社に利益をもたらすのかどうかを考えろということだった。

 このことを教えてくれたのは、会社に入ってはじめて配属された部署の上司。私が海外の販売店との商談にあたって迷っているのを見て教えてくれた。この上司の商談スタイルはクール&クリアで、状況を的確に判断し、時にはとんでもない欲求をつきつけて相手をびっくりさせこちらのペースにまきこむようなヤクザなこともする。

 でも決して冷徹な会社人間というタイプの上司ではなかった。それとは全く逆の心の温かい人だった。きっとそんな心の温かさが時として自分自身の迷いにつながるから、迷わないために、よりろどころとして「迷ったら会社の利益を考えろ」と言っていたのだと思う。

 「ライオンの勇気、ラクダの忍耐、幼児の発想がビジネスには大事」も口癖だった。同じ地域の出身ということもあり、飲みにいくとこの話をよくきかせてくれた。
能力は身内だけでなく、商談相手からも一目おかれるとても仕事ができる人で、加えて女性にもとても人気があった。「こんな人になりたい」と思える上司だったこともあり、私はたいへん影響を受けた。

 ここ数年お会いしておらず、最近どうされているのか気になっていたところに訃報が入ってきた。

 考えてみれば、丁度上司の年齢が今の私の年齢のころに一緒に働かせてもらっていた。あらためて、上司のすごさを実感する。

 ご冥福を祈るとと共に、何年も会わずに終わってしまったことがとても残念だ。 

押さえつけるもの

2005-02-22 23:28:26 | Weblog
 「何かに押さえつけられている感じがする」と言われた。

 私自身を押さえつけているもの、仕事ではまず上司だろうか。仕事を進める上ではいつも気になる存在。上司はどう思うだろうか、どうやって納得してもらおうか、報告、連絡、相談すべきことの内容とタイミングにも気を使う。

 チームメンバーはどうだろうか。一つのチームとして協働して目標に向かう仲間である一方で、私自身の立場や責任もある。必要ならば嫌われることも言わなければならないし、自分自身のことで手一杯でも、必要な指示や支援は欠かせない。

 仕事では数多くのコンタクトがある。ほとんど全ての方が私にとってのお客様。多くの人は気楽に接することのできる方だが、ポジションの高い人も多いし、中には難しい人もいて気を使う。

 プライベートでも、仕事以上にたいへんな場面もある。

 考えてみれば、いろんなものに押さえつけられている。自然体でいたい思っていながらも、かなり不自然体。

 でも、本当は誰も押さえつけたりはしていないかもしれない。問題は外にはなくて自分自身にある。自分自身の考え方や気の持ち方に問題がある。欲もかきすぎ。
自然体でそして前向きでいられるように自分自身をドライブしていくことを意識する。

フワク宣言

2005-02-21 23:46:53 | Weblog
モリダー:「フワクですね」

私:「フワクって、あのダイハツのTantoのコマーシャルにでている女性の歌詞にあったやつだっけ?」
「工藤...工藤ユキだっけ」

ヨッシー:「それは工藤静香でしょ」

私:「それそれ工藤静香!歌ってたよね ♪フワクです はじめて会ったような~♪」

モリダー:「違いますよ。それは ♪不実です はじめて~♪ ですよ。フワクは『不惑』、四十にして迷わずのことですよ・・・」
 
 不惑とはほど遠い存在である自分自身にあらためて気づかされた。孔子であっても『四十而不惑』だから、私が不惑にいたっていないのは当然のことかもしれない。
ただこれからは、『不惑』ということを意識し、不惑になれるように努力する。

 私が惑うのは、自分自身の中にある弱さから。それをわかっているのに弱さを克服する努力を怠っている。今日から心機一転、過去にBLOGの中で宣言したことを読み返して、今できていないこと、そして今必要と思うことをやっていく。

チョーカーを探す

2005-02-20 18:07:43 | Weblog
 外は晴れ。午後から久しぶりにバイクに乗ったが、あまりにも寒いのと、向かう先には雪雲が見えたため予定を変更して佐藤さんの店に服を見に行く。

 今日の天気には似つかわしくないが、店の中は春物が揃いとても華やかな雰囲気に変わっていた。この時期はパリコレ?で使った商品のリメイク版が多いらしく、とても格好がいい服が多いが、その色使いやシルエット、デザインはとても私が着られるような服ではなかった。
佐藤さんはそれを知っているから、そんな商品は薦めたりしないが、必ず何か一つチャレンジさせてくれる。

 淡いグレーのスラックス地を使ってジーンズ風に仕立てたパンツを薦めてくれた。ちょっと私には厳しいかなと思ったがとにかく着てみた。布地はとても感触が良く、色も着ることでストレッチがきいてとてもきれいな色になる。シルエットもとてもきれい。
ただ、ベルトからまたまでがスラックスに比べると数センチ短いのが気になったのと、最近すこしお腹に脂肪がついてきたような感じがあり、これを落としてからサイズをあわせてもらったほうが良いと思い、決め切れなった。

 佐藤さんの店に来たのはもう一つ理由がある。チョーカーがおいてあれば買いたいと思っていた。仕事でおつき合いのある福家さんが格好いいチョーカーをしているのを見て私も欲しくなった。
「いい年をしてばかじゃないの」と他の店ではおもわれそうな気がして何となく嫌だが、佐藤さんならばそんなことは一切思わずに私にあいそうなものを薦めてくれる。
佐藤さんとはお店だけの付き合いだが、私のことをよくわかってくれている気がする。こんな人がいるのはとてもうれしい。

 残念ながらチョーカーはなかったが、格好いい黒のシャツとそれにあったネクタイを手に入れた。

ゆったりとした週末

2005-02-19 23:47:54 | Weblog
 先週に引き続いて久しぶりに予定の入っていない土曜日。天気がよければたくさん着こんでバイクで走りに行きたい気分だが、あいにく外は小雨模様。
でもこんな日は家にじっとして、やりたいことをやるのに丁度いい。

 以前からパソコンの無線LAN環境を作りたかったが、マニュアルを読みながら何度トライしても上手くいかずほおったらかしにしていた。
だいたいパソコン関係のマニュアルは全くの素人用に作られていない気がする。おまけに思い込みが激しく、マニュアル通りにやるのが苦手な私にはとてもつらい作業。
結局上手くいかなかった原因はドライバーだった。周辺機器をつなぐ時は適切なドライバーをメーカーのダウンロードサイトから入手して使う。これをすると上手くいった。
全てのことをマニュアルに書くことはできないから仕方ないかもしれない。また、当たり前のことすぎて書くことを忘れていたのかも知れない。
「当たり前のこと」、「伝えたつもり」、「相手はわかっているに違いない」はコミュニケーションが上手くとれていない背景にいつもあること。こんなことをあらためて考えさせられた。

 夜はテレビの洋画劇場で『フォレストガンプ』を見た。過去に2、3回見ていると思うが、今回感じたことは前向きでいることの大切さと、とらわれないことと、とらわれることの大切さ。

 起きている事実はひとつだとしても、それをどうとらえるかでその後の結果が変わってくる。後ろ向きにとらえ反省ばかりしていてはなかなか前に進めない。結果は結果として受け入れて、それを前向きにとらえこれから何をするかを考えることが大切。

 とらわれないことは、自分とっていいことであっても悪いことであってもそれに過度にしばられすぎないこと。終わったことは終わったことと考える。たんたんとしていたり前向きであることと似ている部分もある。

 とらわれることは、強い想いをもつということ。今自分がとりくんでいること、自分自身が本当に大切だと思っていることにはつよいこだわりを持ってそれをやりぬく。絶対あきらめないということ。

わかっているけれど、なかなかできないことばかりだ。

競争と協働

2005-02-18 23:36:53 | Weblog
 一つのプロジェクトをやり終えて充実感溢れる人たちに会った。皆とてもいい顔をしていた。

 やり終えて何が良かったかを尋ねると、皆口をそろえてプロジェクトに一緒に関わったメンバーと強い関係ができたことを良かったとして挙げていた。プロジェクトがなければお互いに深く知り合うことがなかったメンバーと、時に激しく議論し、皆通常の業務とプロジェクトとの間で時間的に厳しい状況をお互いに励ましあい、楽しい思いと達成感を共有してきた。

 様々なバックグラウンドを持つ人が集まって、お互いが切磋琢磨して能力を高めていった。お互いがライバルであると同時に仲間でもあった。日常の組織では、自分より優れた人が見当たらなかった人が、自分にはない優れた部分を持った人に会って刺激を受けた、「自分のポジションを知って謙虚になった」という人もいた。

 競争か協働かどちらかに偏ることは比較的簡単だが、両者のバランスをしっかりととること、そんな場面が、人が成長する上で重要なことだと改めて感じた。

追い詰める側と追い詰められる側

2005-02-17 23:18:26 | Weblog
 組織の中で自分の思い通りに仕事をしようとする時に、邪魔に思える人がでてくる。その人がいるために自分自身の行動が制限されたり提案が受け入れられなかったり、自分の能力が十分に発揮できなかったりする。
そして組織としてのパフォーマンスを高める、組織のアウトプットを受け入れていただくお客様に対してより高い価値を提供するためには、邪魔な存在を排除することが必要不可欠な場合もある。

 でも、時に人は私利私欲が働くこともある。組織のパフォーマンスやお客様での提供価値の向上が目的にあっても、それに加えて自分自身の立場やポジションをよりよいものにするために、邪魔に思える人を排除し、それに取って代わろうとする。時に組織にとって不可欠な存在を邪魔もの扱いし排除しようとする。

 日常的にいろいろな場面でおきていることかもしれないが、私の尊敬する人同士の間で追い詰められている人と追い詰めている人の関係がおきていることを知り、とてもショックを受けた。

 今の瞬間の私個人の感情としては、おいつめる側が悪で、おいつめられる側が良と感じる。でも、時間軸が変わって、この先1年、2年を考えると、その時に悪が悪ではなく良になることもありえるかもしれないとも感じている。誰もが納得いくきれいな形で変化がおきるのではなく、大きな変化がおきるときには、このような動きがいつもおきているのかもしれないとも思う。複雑な心境だ。