チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

効率的に非効率な仕事をする

2009-09-30 03:57:55 | 身近な出来事
日本とドイツの仕事の仕方について考えて出てきた答えが、「効率的に非効率な仕事をする」日本と「非効率に効率的な仕事の選択をする」ドイツという対比。

細かい仕事に粘り強く取り組み、思いやりがあり、配慮ができる一般的な日本人はあれやこれやと仕事をする。例えば資料作りがそう。日本では上司のことを考えて上司がこんな資料があると喜ぶのではないかと考えて資料作りができる部下は上司受けがよくて、仕事ができる部下と見られる。

上司に受けることは受けないよりはいい場合が多いだろう。
上下関係で不要なストレスを抱えることが少なくなるし、仕事もやりやすくなるだろう。自分の為に上司を使うことができるのが優秀なサラリーマンの証明みたいなところもあるので、これにもつながる可能性はある。

的確な資料を作ることで、上司の判断が適切になり、そのことで仕事が速く進み、また上司の貴重な時間を無駄にしないで済む。結果的に会社にとって有益な場合もあると思う。

このように書きながら自分自身が混同し、混乱していることに気がついた。

私が書きたい「効率的に非効率な仕事をする」日本についてもう一度軌道修正をする。

資料作りについて言えば、要は必要以上または不要な資料を効率的に一方で時間をかけて作ることが当たり前になっているような日本の仕事の仕方のことを「効率的に非効率な仕事をする」と言わんとしている。

それに対してドイツは、会議の場で不必要な議論に象徴されるような非効率がある。
「こんな議論は不必要だろ!」と思うような議論、「おいおい、他の人が同じ事を言っているのを聞かなかったのかい、なぜ同じことをまた時間をかけて言うの?」というような発言に頻繁に出くわす。
日本人的な感覚からいうと「自己主張が強く、周囲への配慮が足りず、空気が読めない人達」という感じ。

ただ、どうも多くのドイツ人がこの調子だから、そこにいて黙っている私こそが「何を考えているのかわからない、参画意識の低い、協調性の無い人」と思われているかもしない。

一旦このことはおいておいて私の視点に戻ると、不要な議論が散々続いた後に、ある時急に、では「こういう方向でいこう」とリーダーが話を始める。「こういう方向」というのは、必ずしもその議論を踏まえてでてきた総意のようなアイデアでも、驚くような画期的なアイデアでもなく、最初にリーダーが提案、議論の種となったアイデアそのものだったりする。

ただ、一通り自己主張大会が終わると、リーダーの結論に従うのがドイツ人のおもしろいところで、もとのリーダーの提案でみんなが行動をおこすことに合意する。

「合意するのなら、どれだけ無駄な時間をかけて議論するの?」といいたい私がいるが、これがこちらの仕事のすすめかた。

リーダーのもってくる提案は基本的に効率的なアイデアが多い。労働時間が限られているドイツでは、その時間で可能な仕事のアイデアを最初から提案しないと話にならないから、無駄な部分をそぎ落とした効率的な仕事が最初から考えられている。

「非効率に効率的な仕事をする」ドイツ人と、「効率的に非効率な仕事をする」日本人。

個人的には「効率的に効率的な仕事をする」組織がいいとは思うが、結果重視でドイツの仕事の進め方の勝ちかな。

プレッシャーをかけない

2009-09-30 02:42:26 | 身近な出来事
人に対してよかれと思ってやっていることが、実はよくないことをやっているかもしれないことに気づかされた。

仕事をする上で過度のプレッシャーはよくないけれど、多少のプレッシャーをかけながら、チャレンジを促すことは大事だと思っている。
その人を、その人が快適と思える場所から一歩踏み出してもらう。すごく不安で心配で、一方でその場所へ行くことに対して期待も持っている、そんな兆候が見えた時に私は、多少のプレッシャーをかけチャレンジを促す。

私が準備し10月初旬のミーティングで行うパワーポイントプレゼンテーションの一部を、チームのメンバーにやってもらおうとした。それを本人に話したのが先週の木曜日だった。
予想通り、不安で心配な気持ちとともに期待を持っていることが見て取れた。

「今少し時間がとれますか」と電話がかかってきた。部屋にいってみるとプレゼンテーションの原稿ができていた。私はこれまでプレゼンテーションの原稿を準備したことなどあまりない。プレゼンテーションをするのだから原稿を準備するのはあたりまえかもしれないが、チャレンジ使用とする気持ち、そこでベストを尽くそうという気持ちがとても嬉しかった。

説明内容を一通り聞いて、本人の考えや思いを引き出しながらアドバイスをした。話が終わった後、本人から健康上の問題があり、実はプレッシャーがかかることがあまり望ましくない状態であることをきいた。

私はそのことを聞いて、とても申し訳ない気持ちを感じた。またそれと同時に、そのような状態でありながらも、チャレンジし準備をしてくれたことをとても嬉しく思った。

「もうプレッシャーをかけることはしないから、あなたの身体のことを考えてあなたができること、そしてやりたいことをやって欲しい」とお願いした。
プレッシャーをかけたことをすまないと思い、もうプレッシャーはかけたくないと思った。

会社の帰り道、いつものようにドイツ アウトバーンを走った。
速度制限の無い道をアクセル全開でその日一日のストレスを晴らすように、車を蹴散らせながら走る。いつもは。

でも今日は私以外の人にプレッシャーをかけないように走った。

アカデミックな世界

2009-09-29 19:30:47 | 身近な出来事
日本から大学教授が2人り来られ日本とドイツの働き方や生産性についてインタビューを受ける。

下準備として事前にいただいた質問表の答えを準備したあと、インタビューに来られる先生の情報をインターネットで調べた。すぐに、先生の過去の論文のタイトルや、講演のパワーポイントスライドなども見つかった。

久しぶりにアカデミックな雰囲気に浸るが、そこに書かれている内容がアカデミック過ぎてなかなかピンと来ない。特に統計手法についての知識が不足している性で、データーから結論に結びつけるところが理解できず、狐につままれたような感覚を覚えた。

アカデミックな世界は論理的な世界。論理のトレーニングをするのにはたまにこのような資料を目にするのも悪くない。そしてそれと同時にまたアカデミックな世界に足をつっこみたい思いも沸いてきた。

日本にかえってからやることがまた増えそうだ。

豚はじまる

2009-09-27 20:17:40 | 身近な出来事
先週は精神的に落ち着かないことがあり、また少し怪我をしたこともあってジムに一度もいかなかった。また精神的なものから来たのか、体に疲れを感じ、食事をとるとすぐ眠ることが多かった。

食事をとってすぐ眠るパターンは体によくない。胃がもたれるし、まさに豚のもと。

先週の締めくくりは金曜の歓送迎会。イタリアンレストランで脂っこいものをたくさん食べて、ビールとワインをたらふく飲んだ。二次会に行ったカラオケでもそれは続き、結局夕方7時から夜中の3時まで食べ、飲み放題。

先々週まで順調に減らしてきた体重が一気に金利もついて帰ってきたように感じる。豚はじまる。情けない。

でも、カラオケは楽しかった。かなり酔っ払いだったので、何を話したのか何曲歌ったのかはよく覚えていない。それまで抱えていた精神的な負担も歓送迎会までには解消し、怪我からも回復してきたこともあったのか、とてもリラックスして楽しんだ。
気の置けない仲間と飲んでいたのも良かったし、カラオケのお店の女の子も雰囲気を盛り上げてくれ、他のテーブルのお客さんとも一緒になって騒ぎ、ダンスをした。夜中の3時にあっという間になった。

昨日土曜そして今日日曜はダンスがあるので、少しは体は絞られるが、またいい体に向けて一から出直しという感じ。

豚という言葉について、日本ではこの言葉にあまりいい響きがない。カラスとかコウモリとか、狐とか蛇もそうかもしれないが、豚に比べれば、そこには賢そうだったり、魔性的なニュートラルか人判断する人によってはいくらかポジティブなイメージがあるように感じる。

豚にはそれがない。

人に大して「豚!」みたいに悪口をいうことは日本語だけでなく、英語、ドイツ語、フランス語にもある。

豚ってかわいそう。

自分自身の棚卸し

2009-09-27 19:46:39 | 身近な出来事
定期的に自分自身の棚卸をすることにしている。

最も手っ取り早くて、次につながる何かをえられそうなことになるかもしれないので、求人サイトに登録し、そこに載せる履歴書を過去の履歴書を見直しながら最新版にした。

履歴書だからアピールすることが重要。うそは一切書かないが、自分自身の過去の経歴や能力を最もポジティブな視点から抽出し、簡潔に纏め上げた。

「それなりにこれまで努力をしてきている」と、自分自身のことをよく思えたし、加えてもう少し伸ばしたい能力にも気がつく。

会社人間にはなりたくない、いつでも会社を辞めれるようにしておきたいというのは学校を卒業して今の会社に入った時からずっと思ってきた。これまで転職をしていないのは結果的にそうなっただけで、転職しないと決めていたことはこれまでなかった。

上司や、他のいろいろな環境に恵まれ会社に対しての不満がほとんどなかったことや、会社以外でいろいろとやりたいことがあって忙しかったことも原因だと思う。
転職活動をしたこともあるが、それも転職することを目的にして真剣に取り組んだものではなく、たまたま声がかかったところに話を聞きにいったレベルに過ぎない。自分自身の社会的な評価を確認したり、転職活動をすることで自分自身が会社に縛られないというスタンスを保とうとしたのだと思う。

また、結果的に最終オファーをうけられなかったことも転職していない大きな理由。でも、不思議なことにそれらの会社はその後全て業績が悪くなっている。当時は勢いのある会社で個人的には将来性がある会社だと感じていたのに、ことごとく経営危機に直面している。

何が良いことなのかは、とらえかた次第だからなんともいえないと思うものの、恐らく今の状態は転職さいたよりも結果的には良い状態のように思う。

「私は他力本願で、私のほうから動くのではなく周囲からやってくることを待っている傾向が強い」ということをあるかたに話した時に次のようなお返事をいただいた。

「自分が考えて、意思決定してやっているように思っても、それは必ず自分の外にある環境にスペースを与えられてやっているわけで、自分がやったのか、自分以外のものがやったのかわからないことがある。他力本願と自力本願、突き詰めると、結局はつきつめるとつながるように思います。また待つというのは、ある意味、とても基本の自分で考える行動のように思います。待てないで、周りの環境、ヒトに動かされることもありますから。」

確かにその通りのような気もする。
まずは自分自身の棚卸をやぅった。あとは何かが起きるかもしれないことを待つようにする。

秋の一日

2009-09-24 08:53:56 | 身近な出来事
「秋になりました。夜の時間が長くなり、今日は昼間の時間が夜よりも8分長いだけです」

通勤途中の車のなかでラジオから聞こえてきた。

日に日に朝の日の出が遅くなっていくことを感じる。
あと一ヶ月すればドイツは冬時間になり、朝は一層暗くなる。
暗いうちに会社にでかけ、暗くなってから家に帰ってくる生活になる。

秋も、そして冬も好きな季節。それは夜が長いこととも関係があるように思う。
明るいうちは何かしなければという気持ちから、昼間が長いと頑張りすぎてしまうのかもしれない。

自分に戻る、自分らしい場所に帰っていくのには夜がいい。

今日は少し変な日だった。
何が変かと問われれば一つ一つは些細なこと。
例えば、オフィスの椅子に座った時に、何か落ち着かない感覚があり、探してしまった。

シートベルトを。でもそこにはあるわけがない。

車の運転をしていて、信号の無い交差点に入るために左右を確認しようとした。でも寝違えて首が右側のほうに向かない。

体の向きを変えて右側を見たら、そこからは左側が見えなかった。

明日はいい日になるといい。


美人になる

2009-09-19 03:32:30 | 身近な出来事
最近気になることがある。それは感情が顔にでること。

嬉しい表情がでるのはよいとして、そうではない嫌な感情が顔に出ていることが気にかかっている。嫌な顔とは具体的にはあきれている顔やいらいらしている顔。

あきれることや、いらいらする感情も私の中ではよしとしていないところがある。だからそんな感情が表情にまででてくると、そんな私を情けなく感じる。

たぶん、いい格好をしたいのか、それとも本質的に高品質な人間になりたいと思っているのかのどちらか。いい格好が本質的な高品質か、その答えがはっきりとわからない、自分のことなのにわからないのも不思議。

わからないと思い込んでいる、または思い込もうとしている、もしくは答えを出すのを先延ばしにしているのか、考えるとどんどん深みにはまっていく。

誰かが答えを出してくれて、「あなたはこうしなさい!」と言われることを待っていて、そして言われたらすぐその通りするかもしれない。

なんなのだろう、わからないことがどんどん増えていく。

あ、でも今ふっとでてきたものがある。

それは「美」。美しいのがいい。美しいところに自分自身を近づけたい。そんな感情がふっとでてきた。
自然でいて美しい。そんなものにすごく惹かれる。

「美」の価値観は絶対的なものでないと思うから、私自身が美しいと思う「美」に私自身を近づけたいのだと思う。

美人になりたいんだな。今の私は。
いや、ただ美人が好きなだけかな。

今週月曜日にフランクフルトモーターショーのプレスデーに行った。海外のモーターショーは久しぶりだったこともあってわくわくどきどきする感情があったのも事実。さらに会場に行って、以前は見ることのなかったたくさんのコンパニオンにどきどきした。この国の、いやヨーロッパ中の美人を集めてきたようだった。

会場には自動車ジャーナリストだけでなく、そんな美人目当てもジャーナリストもいるようで、車そっちのけで美人ばかりにフォーカスして写真をとっている人もいた。
私もそうしてもよいなと思ったけれど、日本男児としてのほこりのようなものがそうはさせてくれない。美人の背景に少しでも車を入れる。「俺は車の写真をとるついでに、そこにいる女性をとっているんだ!」みたいに誰にも質問されないのに答えを準備している。
本当は車よりも美人に心を惹かれているのは隠しようのない事実。

家に帰り、どんな風に美人が撮れているのかワクワクしながら大きな画面で見てみた。

おやおや、あれあれ、こんなはずではなかったのに。

写真はしっかり撮れている。でも、どうもモーターショーの会場で見た時とは少し違う感じがする。

うん。「美人は旬のもの。華やかでいる時間はきっと短いんだ。」と自分自身を納得させる。

これからおきること

2009-09-13 15:51:45 | 身近な出来事
学校の校庭を犬と散歩をしている時におきたことだった。

校庭といっても普通にイメージするようなサイズではなくとても大きい。何の目的かはわからない2000m以上もある直線の舗装路がここにはある。

空から空気を切り裂くような音が聞こえ、空を見上げるとそこには見慣れない飛行機が超低空で飛んでいた。そして一度私の見えるところから消えると、今度は舗装路に向かって飛んできているところが見えた。

ここに着陸しようとしている。
ここは空港の滑走路のような役目をするんだ。
期待は高度を下げ舗装路に迫ってくる。

ただ、ここには今着陸しようとしている機体を出迎えるようなものは誰もいないし、だいいちここは校庭だから、機体が着陸したあとに何ができるのか、何がおきるのかが全く想像がつかない。

機体はさらに舗装路に近づき、その姿がはっきりと見えるようになってきた。長さはたぶん40mくらい。旅客機だとしたら少し小さめのサイズ。

胴体が丸くはなく、角はないものの立方体の形状をしている。
旅客機のような長い翼はついておらず、戦闘機のような小ぶりの翼がついている。そしてエンジンは羽の下ではなく、後方についているようだ。

奇妙なことに気がついた。この機体は着陸だというのに着陸用の車輪を下ろしていない。足が出ない状態で強制着陸を行おうとしているようだ。

機体は高度を下げ車輪があれば地上についている状態まで降りている。そしてそれは私の目の前をまさに通過しようとしている。機体の姿がはっきり見えた。
機体は全体が銀色をしている。きらきら輝くような銀ではないけれど、金属を感じさせる銀色。そして中央部には赤と青の塗装部分がある。そしてそこには『CTC』という文字。

私がこれまで見た中でもっともこの機体に近いものはスペースシャトル。
でもサイズは一回り小さいように見えるし、機体のカラーリングや後方のエンジンの形状も少し違うように見える。
いやエンジンは後方にはついていない。エンジンがついていればそこに見えるべき熱による空気のゆがみが機体後方に見えない。機体はエンジンではない推進方法で飛んでいると感じた。
その時に、スペースシャトルのような機体から聞こえてくる音はエンジン音ではなく、空気を切り裂く音だけだと気がついた。

機体は私の目の前を通過した後も地面すれすれのところを飛行していた。そして舗装路の端に近づいていく。
舗装路の先には校舎が建っており、このままではぶつかると思った瞬間、機体は斜め上方に円弧を描くようなルートで上昇し校舎すれすれに飛んでいった。

これまでに見たことがないような飛行方法。

機体はそのまま校庭の東の方向にある山の方へと飛んでいった。
私は今目の前で見たものがなんだかわからず呆然とその場に立っていた。

大きなサイレンの音で我に返った。
校庭の切れ間から見える道路を校庭のほうに向かって一台の大型SUVがサイレンを鳴らしながら走ってくる。

我に返った私は、混乱した頭で今見たものがなんなのかを考えながら、どこに向かうともなく歩き始めた。と、その瞬間一人の大きな男が私の前に現れた。その男は白のポロシャツと紺の長いパンツをはいていた。どこにでもいるような男性。ただ、その服の印象から瞬間的にアメリカ人だと感じた。この男がかぶっていた白い野球帽も、私が彼をアメリカ人だとた感じた理由であった。

彼は英語で質問をしてきた。
彼の英語を聞きながら、彼がアメリカ人だと思った私の直感が正しいことを感じていた。
質問はシンプルなのもので、「あなたはここで何を見たのか?」と尋ねている。

注意してみると彼のポロシャツの左胸にはCTCという文字がグレーの斜字体でプリントされている。先ほどの機体にあった文字と同じもの。字体も同じだった。

私は瞬間的に見てはいけないものを見てしまったと感じた。私の身に何かの危険が迫っていることを感じた。そしてこの男は私に無邪気に質問をしているのではなく、私が見た何かのことを知っていて、その上で私に何らかの意図をもって質問していることを感じた。

私の頭は身に迫る危険を避けるための方法を、恐怖からの逃亡を思考していた。それと同時にこの瞬間をとても楽しみ、何かチャレンジをしてやろうと、何をやってやろうかと考えていた。

次の瞬間私は「機体に書かれていたCTCというのは何なのか?」「なぜあなたの胸にも同じ文字が書かれているのか?」と質問をしていた。
その質問で男の目つきが変わったことを感じた。

男は左を見た。そこにはアジア系の男性がたっていた。いつからそこにいたのか、私は全く彼の存在に気がついていなかった。私は彼を見た。彼は日本人だと直感的に感じた。細身の男性で背が高い。私の目の前にいるアメリカ人ほどではないにしても日本人としてはかなり背が高い男性であった。
彼は右手にアタッシュケースのようなものをかかえていた。私の言葉を聞いてアメリカ人が彼に何か合図を送ったようで、日本人はアタッシュケースを開けてそこから何かを取り出してきた。

それは注射器だった。中には黄色い液体が入っている。

私は気づいていた。私は見てはいけないものを見てしまい、そのために何かの処理を受けようとしていることを。殺そうとしているのではないと感じていたものの、この黄色い液体が体の中に入ると、その後は少なくともさっきこの校庭で見たスペースシャトルのような機体のことや、そして今私の前に立っているアメリカ人と日本人のことも記憶から消え去っているのだろう。そして黄色い液体の注射をうたれたことも。

だまってそんなことはさせない。私のやることは決まっていた。逃げるだけ。

私は恐怖のような顔を浮かべた。それを見たアメリカ人は「観念したな」という微笑を口元に見せた。これらは一瞬の間に起きたこと、そして次の瞬間に私は手に持っていた犬の縄を放し、それと同時に右方向に走り始めた。

しかし私はすぐに日本人男性に手をつかまれた。彼らから逃げられると思ったのに、こんなにすぐに捕まえられることにがっかりした。捕まえられた恐怖心はなく、捕まったのは日ごろの運動不足のせいだろうと思い、そのことを悔やみ、これからはまじめにランニングをしようと思った。

男は黄色い液体の入った注射器を私のほうに向けてきた。さっき見たのもよりも注射器が太くなっていた。私が逃げたために大きなものに変更する理由ができたのかもしれない。これを打たれると死んでしまうのかもしれないと初めて思った。
そしてそんなことはさせないと私の中で始めて闘争心が沸いた。

その後何がおきたのかは正確に覚えていない。
ただ、私が放ったキックが彼の急所を確実に捉えたようだ。彼は倒れながら誤って黄色い液体を自分の方に吹き付けていた。

私は一目散に逃げた。幸いアメリカ人は追ってこなかった。

ここまでくれば安心というところに逃げたところで、私は近くにあった石のオブジェのようなものに腰掛けて考えていた。

地球人よりももっと進んだ地球外の文明とのコミュニケーションには何が必要なんだろう。私が学んだ1:1のコーチングやグループコーチングの知識やスキルがどれくらい役に立つんだろう。宇宙人とのコミュニケーションを考えたら、地球人どうしのコミュニケーションははるかに私にとってわかりやすいものだろうなと。

長くて鮮明な夢だった。

9月12日

2009-09-13 04:15:04 | 何気ない時間
朝目覚めると9:20だった。
こんなことは珍しい。

何が珍しいかというと私は休みの日でも平日と同じように目覚めるほうだから、いつもの週末ならば6:30には起きている。昨日夕方に1週間ぶり以上でジムでトレーニングをしたから疲れたのかもしれない。そういえばジムに行く前からすでに疲れていた。だからきっといつも以上に疲れたのだろう。寝ぼけた頭でそんなことを考えていた。

次に10:00からソフトボールの練習があることを思い出し少しあわてた。でも、ソフトボールの練習は家の近くであることから朝ごはんを食べてシャワーを浴た。朝シャワーを浴びることは、たとえソフトボールの練習だからと、どちらにしろ汗をかくんだからといっても絶対にかかせない。これは私の朝の習慣。目覚めの儀式かな。

車で5分ほど走って練習場に約束の時間についた。

練習場の芝生の上に立った。芝生の上を流れる風は少しだけ冷たさをもっていて、それと同時に秋の気配も運んでいた。空を見上げた。空のほとんどは青空で、そこに申し訳なくある雲は、それでも秋の気配を伝えていた。たぶんこんな日を秋晴れの気持ちの良い一日と言うのだろうと思った。

先週の土曜日はノルウェーのオスロにいた。
オスロのこの日は雲ひとつない快晴で、9:30から始まるワークショップに参加する前に、宿泊したホテルからワークショップ会場までの道を少し遠回りしながらオスロ市内を散歩した。
オスロ中央駅から西に向かう歩行者道路を進み、途中右折してオスロ大学を通りぬけて少し北に向かった。オスロはノルウェーの首都。でもその街はヨーロッパの主要都市であるロンドン、パリ、ベルリン、マドリッドなどに比べてはるかに小さい。人口は60万人もいない。地図で見ればかなり距離がありそうに見える場所も歩いていくことができる。ロンドンやパリの地図を見て、歩いていこうと気楽に思った後で後悔するのとは逆。

街の建物はパリやウィーンを感じさせるような重厚な作りの建物が多い。私には建築様式についての知識がないので、何様式とかいう名前はわからない。いつのころの建物なのかも正確にはわからない。ただ、多分19世紀以降の建物だろうと、ノルウェーの歴史を頭の中に思い出しながら予想してみた。さすがに建物の一つ一つはパリに比べると全てが一回り以上小さい。人口の違いが影響するのだろう。

オスロ2日目のこの日、また少しオスロのことが好きになっている私を感じた。

オスロはとても優しい街だった。街そのものもそうだし、人もそう。

街はそのサイズが私にとってとても心地がいい。
私は大都市が好きではないと思う。私の住むドイツ デュッセルドルフも人口は60万人。以前住んでいたアントワープも60万人くらい。

このくらいのサイズの街には、東京やパリやロンドンのように全てがそろっているわけではない。でも必要なものは一応何でも手に入れることができる。それも都市の中をあちこち動き回らなくても、たいていの場合徒歩で歩ける範囲内で全ての用が足りる。とても便利な街。

そして東京で生活するように、周りの人の勢いに影響されて人ががんばりすぎることもないし、あまりに静かすぎる田舎の街で過ごす時のように元気をすいとられたり、充電モードになることもない。私が私らしく私のペースで過ごせるのがこんな中規模の街のように感じる。

オスロでは翌日の日曜日に国立美術館に行った。ここではムンクの数々の作品を見ることができる。ムンクと言えば『叫び』の絵しか知らなかったけれど、ここには他にも素晴らしい作品がいくつもあった。素晴らしい作品に感動をし、心が豊かになった気がした。昼の休憩時間に行ったのでゆっくりとは見られなかったけれど、行ってよかった。ムンクを紹介する本を自分自身のお土産として買った。因みに美術館の入場料はただ。物価の高さがオスロの弱点だけど、無料の美術館で少しバランスがとられた。