チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

ボディコンになる

2005-09-03 22:53:47 | 気づき
 ボディコンについて考えていた。

 インターネットで調べると、ボディコンとは「ボディ・コンシャス(body conscious 肉体を意識する意)の略で女性の胸のふくらみや腰のくびれなどの線を生かしたファッションのことをいう」らしい。

 一般的には「あの人はボディコンだ」といったように、ボディ・コンシャスなファッションをする人やその人の意識を指してボディコンという言葉を使ったりもするように思う。

 私はボディコンが好きだ。

 見ていてワクワクする。でもあまりジロジロ見るのも失礼なので、ちらっとしか見ないが「もっと見たいな」という意識がいつもある。見ていてワクワクするから見たいということと共に、ボディコンな人が発するエネルギーを感じたいのだと思う。

 ボディコンな人はその言葉通りボディに意識がいっていると思う。ボディコンファッションをすると、周囲の視線を多く受けるから必然的にそうなってしまうのかもしれないが、ボディコンな人はもともと自分のボディのことをとても強く意識し、その存在の重要性を強く感じている人だと思う。

 そういえば、私も最近ボディコンになってきた。

 女装してボディコンの格好をするのではなくて、自分のボディを意識し、それを感じようとしている。

 なぜか今年は、ボディと心の繋がりを意識することや体を感じることについての話を聞く機会が多い。

「自分自身のよい心の状態を思い出すために、それを思い出すための動作を考えて習慣的に実施する」
「自分自身を変えたいと思っているときに、気持がまだ準備できていなくてもまず行動を変えてみる。そうすることで気持が変わる」
「ボディに意識を向ければボディは何かを伝えてくれる。ボディが伝えてくるものをしっかり感じることがリーダーにとって重要なこと」

 一つ一つの話がとても意味のあるように感じられたことに加えて、こういった話を聞く機会が続けてやって来たことで私の意識が変わってきていると思う。 

 ジムで体を鍛え始めたこともボディを意識することに繋がっている。

 ボディコンは今の私の重要なテーマ。

ハートの巾着袋

2005-09-01 22:59:12 | 気づき
 ジムに行くときに持っていく巾着袋にはハートのマークが入っている。中身はトレーニングの記録をつけるノートと、財布と、タオル。

 一つの袋に入れておけば、いつでもすぐにトレーニングにでかけられるからと思いこの袋に入れている。
ノートが入るサイズで布の袋であれば色やデザインは何でもよかったので、百円ショップに買いに行った。でも実際に店に行って物を見始めると急に好みが出てくる。この色は気に入らない、英語のロゴのようなものが入っているのは文字のデザインが気にいらないなどなど。

 百円ショップだからそんなに選択肢はなく結局ハートのマークが入った巾着袋を買った。恐らく小学生か中学生が買うようなものだと思う。
ハートが気に入ったのではない、ハートは気に入らなかったが、色はOKだったので、ハートがついた側が人から見えないよう持ち方をしようと思った。
というのも、真剣に体を鍛えている人達がいる場所にハートが入った巾着袋を持っていくのが間抜けでとても恥ずかしい気持がしたからだ。

 そしてジムではいつもハートがついてない側を人から見えるようにおいていた。

 でも、最近このことをあまり気にしなくなってきた。
ハートを身につけることが私の主張ではないかもしれないが、あえて、自分がはずかしいと思うようなことをやってみるのもおもしろいと思えるようになってきた。それと共に、ハートはとても大切なもの、そのハートを意識することはとても大切なことと思えるようにも少しづつなってきた。

 100円ショップで買ったハートのついた巾着袋。こんなものからでもいろいろなことが学べ、自分の成長につなげられるのは面白い。

問題は問題ではない

2005-07-30 23:46:24 | 気づき
 目の前にある問題や課題で頭の中がいっぱいになり、それ以外のことには考えや意識が向かないということがある。

 今回参加しているワークショップでは、問題や課題のことを『主題』という言葉でそしてその主題の捉え方、どのように捉えているかを『視点』という言葉で表現している。

 すこし複雑な話だが、「目の前にある問題や課題で頭の中がいっぱいになっている状態」は、問題や課題という『主題』にとらわれているのではなく、『視点』にとらわれているような気がしている。

 例えば、「体重が増えている」ということが問題(=『主題』)で、このことに悩んでいるとする。
一方で、ここでとらわれているのは「体重が増えている」という問題ではなく、「体重が増えていることをわかっていながら、食事制限をしたり、運動をしたりということにとりくまない意志の弱い自分」という捉えかた(=『視点』)だと私は考えている。

 この『視点』でいる時には、とても嫌な気分になるのだが、この視点からなかなか抜け出すことができない。

 でも、ここであえて『視点』を変えてみることに取り組んでみる。

 例えば、次のような『視点』に切り替えてみる。
「世の中には体重が増えていることを問題として考えていながらも、体重を落とせる人はそんなに多くない。自分もその典型的な一人。もし、自分がそんな人でもとりくめるような楽しいダイエット方法を作ることができたら、大きなビジネスチャンスになるかもしれない」

 このように『視点』を切り替えると「体重が増えている」ということは問題ではなくならないだろうか。

 ほとんど思いつきのような考えだが、人は問題や課題(=『主題』)ではなく、自分自身のその捉えかた(=『視点』)にすごく影響を受けている気がする。

 『視点』を変えれば気分も変わり、問題や課題への取り組みも変わる気がしている。

本当の実力は内面の力

2005-06-23 23:07:24 | 気づき
 2ヶ月ぶりの東京。友人と待ち合わせをした新宿で約束の時間まで一人でぶらぶらと歩いた。

 改装して以降始めて訪れた伊勢丹メンズ館は、おちついた雰囲気でとても魅力的な店だった。時間とお金があればじっくり見て回るととても楽しそう。
ただ、やたらと店の人が多いのが気になった。地下の下着・靴下売り場には70m2くらいの売り場に10人以上店の人がいる。
聞きたいことがあったのでとても助かった反面、「なんか人件費の安い中国の店みたいやな」「高コスト構造は商品価格に転嫁されてるのかな」と考えてしまった。

 魅力的な商品は多いのだが、下着といえどもプレミアムな価格の商品が多かった。ただ、そんな商品をがばがば買う人を見かけた。

 さすが東京金持ちも多いし、いろいろな人がいる。

 通りを歩いていると40代くらいの男性が2人で話をしていた。

Aさん:「あの奥田は、トヨタ自動車の会長としてはいい仕事をしているが、経団連の会長としては適切じゃないな」

 さすが東京いろいろな人がいる。経団連の関係者か、経済産業省の役人だろうかと想像した。ただその想像は次の瞬間にくずれた。

Bさん:「その通りや。あの奥田、奥田民生か、あいつはよくない」  
 
 奥田民生は芸能人だ。苗字は一緒だがまったく別人。耳を立てて真剣に話を聞いていたから思わず噴出してしまった。

 友人とはコマ劇場近くの居酒屋に行った。最近流行の個室居酒屋だった。料金は地方に比べるとやはり若干高めだが、料理はまずまず。

 東京ではときどきとんでもない居酒屋がある。一見客は店頭で呼び込み、まずい料理をそこそこの値段と不満の残るサービスで提供する。料理屋サービスの質を上げて一見客を固定客化しようという考えはあまり感じられない。マーケットが大きな東京だからできるビジネスモデル。
地方の店ならば確実につぶれている。

 飲食店は東京で繁盛しているからといって地方では成功しない、逆に地方で成功しているところは東京で成功するという話をあらためて思い出した。

 運や環境も実力のうちかもしれないが、本当の実力は内面の力。内面をどれだけ素晴らしいものにするかが、結局は本当の成功をつかむ力になる。こんなことを考えた。

ごめんなさいバッジ

2005-06-02 23:00:00 | 気づき
 明確な答えが得られる確信がないからといって、何かが周囲で起きる、誰かがおこしてくれることを期待し、待っていても何も得られるものはない。
それとは逆に、じたばたもがきながらでも自ら信念を持って行動を起こすことで得られるものがあり、次につながっていく。言い古された言葉かもしれないが、この言葉を実感した一日だった。

 5年前に一橋大学の竹内先生の講演でSONYの『ごめんなさいバッチ』の話を聞いたことを思い出した。SONYの開発組織での話しだが、失敗を恐れてリスクをとらないチャレンジしないよりも、たとえ結果的に失敗をしても、リスクをとりどれだけのチャレンジしたかが評価される。そして失敗をした人は胸に『ごめんないバッチ』をつけて社内を胸をはってどうどうと歩いている。

 『ごめんなさいバッジ』とは、「ごめんなさい工事中です」と工事現場でよく見かける看板のこと、ヘルメットを被って頭を下げた人の漫画の絵のこと。これが胸につけるバッジに描かれているという。

 私の所属する組織にはSONYのようなチャレンジを奨励する文化はあまりないような気がする。どちらかと言えば「まあ、そこまで言うのならやってみたら」というやや消極的な支援を行う文化がある。でも、頭ごなしにリスクを強調しチャレンジを疎外するようようなところはない。そんなおおらかさを持っていると思う。

 失敗したらごめんなさいバッジをつけるぐらいのつもりで真剣に取り組みたい。その時には、たとえ失敗しても得られるものが大きい気がする。

成長の機会

2005-05-30 23:58:11 | 気づき
 仕事を通じて自分自身の甘さを思い知った。

 仕事を進めるにあたって意識的に慎重に進めたつもりだったが、これまで自分自身が経験したことのない状況がそこにはあり、結果として問題をおこし多くの人に迷惑をかけてしまった。

 初めての経験で失敗することはやむを得ないし、次から失敗しなければいいのかもしれないが、今になって思えばもう少し深く考えて、しっかりとした配慮をすることができたように思う。

 最近やってきた仕事が順調だったこともあり、一気にことを動かそうと力が入りすぎ、また自分自身思い上がっていた部分も失敗を招く原因になったのかもしれない。

 今後、問題は解決に向かうのか、さらに問題が大きくなるのかはわからないが、私のできることは誠心誠意対応すること。自分自身の立場を繕わず、防衛せず、攻撃せず、力を抜いて真正面から向き合うことだと思う。

 決して卑屈にはなっていないし、落ち込んでもいない。強がりをいっているつもりもまったくなく、貴重な経験をしていると思える自分がいる。

自分自身がもう少し成長する機会を得られたように思う。 

せっかちですみません

2005-05-17 23:28:00 | 気づき
 トレーニングに行った。

 先週土曜日に始めて、日曜日にも行って、月曜日は歩くのが苦痛なくらいの筋肉痛になった。

 「もうトレーニングには行きたくない」

 月曜日は心の中で弱音を吐いていたが、それが今朝になって治まってくると、「体を鍛えたい」という感覚がやってきた。
仕事をしながらも「早く帰ってトレーニングがしたい」と思っていた。

 不思議なことがおきるものだ。

 トレーニングのことを何にも知らない私にジムのオーナーは親切にいろいろと教えてくれる。
「筋肉痛の時にはトレーニングをしてはだめ。トレーニングは1回に長い時間かけなくても良い。トレーニングの負荷は自分の限界を感じながら、そのそれを少しづつ高めていくようにやっていく。」

 無理をしないで、一方で自分の限界を少しづつ伸ばしていく感じがとても理にかなっているように感じた。

 体を鍛える方法と、仕事の能力を高める方法は似ている。無理をせず、一方で少しだけストレッチをかけることで能力は伸びる。効果があらわれる。

 仕事においては、せっかちな私は時に結果をあせりすぎる傾向がある。私自身についてだけでなく、一緒に仕事をするメンバーに対してもその傾向がつよい。特に今日はそんな一日だった。

 せっかちな態度をとってしまった皆さん。今日はすみませんでした。 

SONYはもういい

2005-05-16 23:17:13 | 気づき
 4年前に買ったSONYのデスクトップパソコンのディスプレイ上に、細い黒の横線が入るようになったのは買って2年たったくらいのころだった。
2年半、3年と時間がたつにつれ横線の数が増えていった。3年半たった時にイライラするくらいの数になったためディスプレイを買い換えた。

 最初の横線が入った時に不良品ではないかと思ったが、メーカー補償の期限が切れていたこと、そしてSONYのホームページを調べた時に、このような減少はまれにみられるが故障ではないというたぐいの記事を読んだことから、使えるまで使い続けようとあきらめた経緯がある。

 それが、今日SONYからメールが入ってきた。

 「パーソナルコンピューター「バイオLX」シリーズ専用液晶ディスプレイ無償点検・修理のご案内」

 VAIOをご愛用いただき、誠にありがとうございます。「バイオLX」シリーズにおいて、本体に付属の液晶ディスプレイ画面に、長期のご使用により黒色の横線や縦線が表示されたまま消えなくなるといった症状が確認されております。解析の結果、当該製品に使用している液晶パネルの一部に品質上の不具合があることが判明致しました。

 
 補償期間を過ぎていても修理してくれるらしい。

 私はSONYファンで半年前まではSONY製品ばかりを買っていた。パソコン2台、テレビ、ビデオ、MD3台、カセットデッキ、ラジオ2台、携帯電話4台。CD-RやMDなどの消耗品もSONYを買っていた。

 しかし昨年あたりから、SONYのマーケティングのやり方が気に入らなくなってきた。完成度は低い一方で奇抜な商品を導入して、しばらくするとまともな商品を導入する。また、近年のSONY製品は不具合が多い。SONYのパソコンは2台とも1年たった時に故障した。
携帯電話も2台続けて不具合。

 他社と比べた製品の持つ独特な魅力も年々薄らいでいる。

 私が勝手に思っているだけかもしれないが、SONYという会社にはあまり顧客志向というものが感じられない。
今回のような不具合は実はもっと早いタイミングで分かっていたのではないかと、想像だが思ってしまうとすごく腹も立つ。

 今回の件でSONYはもういいという気持ちになった。

運動会でスターになる

2005-05-15 23:00:02 | 気づき
 小学校に通う子供の運動会には保護者が参加できるリレー競争がある。

 一周80mにも満たない小さなトラックで、卒業生チーム、先生チーム、保護者チームのそれぞれ12名づつの3チームが速さを競う。

 足に多少の自信があり、加えてお祭り好きの私は、毎年必ずこのリレーに参加する。

 「あれ誰のお父さんや?すごい速いな~」という子供達の話す声、「あのお父さん速いね。普段から運動されてるのね」というお母さん達の話す声、まさに運動会のスターとなっている。

 こんな声が起きる事を頭の中でイメージしながら、リレーに参加する選手が集まる場所に向かう。

 確かに以前は知り合いの父兄から「速いですね!」と言われることもあったが、年々そんなことを言われる回数が減ってきた。今日は誰からも言われなかった。

 私自身には、とても小さな半円形のコーナー部分はそんなに速くなくても、直線部分ではわりといい線いっているというイメージがある。
どうやらこれは錯覚らしい。

 毎年リレーに参加した後は「トレーニングをして来年は速く走るぞ!」「コーナーの魔術師になるぞ!」と心に決めるのだが、実際のところはジョギングもほとんどしないし、全速で走ることなどない。
自分の意志の弱さを感じるとともに、年齢とともに速く走れなくなっている?のかもしれないということに寂しさも感じてしまう。

 小さな小学校の小さなグラウンドで行われる運動会だが、一度はスターになってみたい。

朝陽に向かって歩く

2005-05-07 22:11:16 | 気づき
 昨年末の忘年会シーズン以降の不摂生がたたり体重が4kgも増えてしまった。ズボンのウエストが窮屈となり再びダイエットを始めた。食事の量を減らし、加えて運動量を増やし2ヶ月で最低4kgを落とすつもりだ。

 朝陽に向かって歩くと自律神経の働きも強まると聞き、今朝の通勤は1.5km先のバス停まで朝陽を浴びながら歩いた。暑くも無く寒くも無く、そして朝陽がさんさんと降り注ぐ朝を歩くのはとても気持ちがいい。

 人間だけでなく犬や猫もこんな朝をとても気持ちよく感じているようだ。通り道で出会った犬や猫は朝陽の方角に顔を向けて座っていた。ただの偶然かそれとも必然か出会った全てが朝陽の方角に顔を向けていた。ペットとして飼われている動物達だが、本能の中に朝陽に向かう、そこから何かを得るというプログラムがなされているのだろうか。

 歩く速度だといろいろなものも見えてくる、いろいろなことが聞こえてくる。そしていろんなことを考えている。

 気をよくして帰りは夕陽を浴びながら違う道を歩いて帰った。

報道の自由?

2005-05-06 23:44:32 | 気づき
 JR西日本の脱線事故は悲惨な出来事だ。それ以降毎日のようにオーバランが起きていることや、JR西日本の不手際の話が報道される。

 そんなJR西日本について、今週に入ってから毎日のように報道されているのが、脱線事故当日の懇親会の話。

 「ボーリングは2ゲームしていた」「ボーリングの後は宴会があった」「2次会に参加した人が5人いた」

 こんなニュースを聞いていると悲しくなる。

 でも悲しくなるのは、報道されているような「JR西日本の社員が当事者意識がない」という話ではなく、こんなレベルの低いニュースを国を代表するNHKまでもが毎日のように報道していること。

 報道の自由?なのだろうか。

 ワイドショー番組ならともかく、通常のニュースで伝えるレベルには値しない情報だと思う。こんなニュースを流していることを良識ある欧米の人たちが知れば、なんと日本のマスコミはレベルが低いことかと馬鹿にされると思う。

 このニュースが流れるといつも思わず電源を消してしまう。

汚い街

2005-05-03 23:10:15 | 気づき
 錆びた鉄板に覆われた建物が建っていた。その建物は神戸ポートアイランドスポーツセンター。

 神戸市株式会社と呼ばれるほど、商売上手な市の建物が十分なメインテナンスがされていないために、鉄板を多用した屋根が錆び錆びの状態をさらしている。

 神戸市の場合、阪神淡路大震災の影響で財政が極めて厳しい状況にあることも一つの要因ではあるかもしれないが、神戸に限らず日本にはメインテナンスの行き届いていない公共施設がとても多いように感じる。

 建物だけでなく、道路や公園をはじめさまざまな公共施設にメインテナンスの行き届いていないものが多い。建設の際に建てることに意識が集中し、その後のメインテナンスのことをあまり考えていなかったのだろうか。政治家の公約か、役人のエゴか建設することが目的で、建てればそれでよかったのだろうか。

 日本と違って以前住んでいたドイツでは、メインテナンスが行き届いているから古い建物が古さを感じさせない。そして建てられたものが有効に利用されている。

 日本人は綺麗好きと一般に言われているが、公共の建築物だけでなくオフィスや家庭の清掃の行き届き具合はドイツとはかなりの差がある。ドイツくらいとまではいかないまでも、もう少し清掃を含むメインテナンスが行き届けば、もっと長期間良い状態で使えるのではないだろうか。

 そして公共財の建設の際には、メインテナンスを行う財源をきっちりと確保して行うことが必要だと思う。そうでないと年月が経つて歴史を経ることで重厚感がでるのではなく、街をどんどん汚くしてしまう。

買わないで済ませる

2005-05-01 12:27:20 | 気づき
 プラスチック製品の値段がとても安く感じる。

 100円ショップで私が「これは安いな!」と感じるものはプラスチック製品。例えば文房具の収納ボックス類は100円ショップと街の雑貨屋や文房具屋とでは何倍もの価格差がある。両社を見比べれば、ものによっては若干デザイン面で100円ショップの商品が劣るように思える場合もあるが、ほとんど差がないように感じる。

 私の部屋にあるプラスチック製品は100円ショップで購入したものと、文房具屋で購入したものとが混在するが、例えば書籍の分類ボックスはどちらで購入したものかは全くわからなくなっている。

 結局値段の差は利益の差で、原材料の価格についてはそれほど差がないという状況だろうと想像する。それだけプラスチック製品の値段が安くなってきているのだろう。
実際100円ショップではかなりサイズの大きなプラスチック製品も手に入るし、100円ショップではないがホームセンターでもプラスチック製品が安い。

 10年以上前にプラスチックの衣装収納ボックスを購入した。100cm×60cm×50cmくらいのサイズのもので、購入した当時は4~5千円したと思う。それと同じようなものが、今日訪れたコーナンでは480円で売られていた。値段が間違っているのかと思い何度も確認したが、間違っていなかった。

 早速物置の整理用に4つ購入した。この値段だったら不用になれば捨てるのも全く惜しくないという考えがあった。

 ただ、気になったのが環境破壊や人体への影響。値段が安いから購入して、不要になれば捨てるというのはいかがなものか、これは犯罪行為ではないかと気になった。

 早速インターネットで調べてみた。購入した商品はポリプロピレン(PP)が原材料なので、一時期騒がれた焼却時のダイオキシン問題とはあまり関係がないようだ。「ポリプロピレンは、ライフサイクル(LCA)、すなわち製造、使用、リサイクル性といったそれぞれの段階で、環境に優しい性質もあります」と書かれたページもあった。
一方で「PPからはダイオキシンが発生しなくても、その燃焼特性が焼却炉の温度を下げることにつながるため、他の物質からのダイオキシン発生の原因になる」という記述もある。

 ダイオキシンを発生するとして騒がれていたポリ塩化ビニル(塩ビ)も、「高温で熱すればダイオキシンは発生しない」「http://www.vec.gr.jp/safe/dioxins.htm地球環境に対して他のプラスチックに見られない大きな特徴があり、地球温暖化防止、省エネルギーへの貢献が高い」という記述もある。

 さまざまな情報があり、どれも各々の立場から見た事実を述べているだろう。
結局は、不要なものは買わない、いかに買わないで済ませられるかを考える事が重要なようだ。

 物が溢れた部屋を見ていてもつくづくそう感じる。

信頼や期待で動く

2005-04-25 23:16:19 | 気づき
 人は信頼や期待されていることを強く感じると、その信頼や期待に応えようと努力する。
少なくとも私はそういうタイプだ。

 高圧的に指示されたり、命令されたりするのは好きではない。そのような言葉や、やりかたが気に入らないという部分も少なからずあるが、言葉ややりかたそのものよりも、相手の気持ちに反発を感じる。信頼や期待という気持ちをもたずに、または無視して人を動かそうという価値観に反発を感じてしまう。

 こういう形で仕事を始めると、精一杯の努力をしようという気持ちになれない。そのため、その仕事を後まわしにしたり、仕事がスムーズに進まない場合が多いような気がする。

 たとえ高圧的に指示や命令された仕事であっても、相手の態度や姿勢に左右されることなく、その仕事の意味を自分自身で考えて、取組むことが大切だという気持ちを持ってはいる。しかしどうしても左右されてしまう。
 
 だから私自身は仕事を進める上で、信頼や期待という気持ちを常にもち、表面的にも決して高圧的な指示や命令はしないと意識している。

 でも時々高圧的な指示や命令をやっているように感じる。今日はそんなことをしていた。

メルセデスベンツCLS購入

2005-04-22 23:40:56 | 気づき
 メルセデスベンツのディーラー「シュテルン札幌中央」を訪問した。ベンツのディーラーだけあって、さすがに店構えやインテリアにはグレード感が漂っている。床はカーペット張りでその上に車が展示されている。営業パーソンの雰囲気も上質感が漂っている。

 店舗のあちこちを見て、展示している車を見た後に1台購入した。CLSクラスという車だ。

 といっても本物の車ではなく、24分の1スケールのミニカー。
新千歳空港に向かうJALの機内誌SKYWARDにこのCLSの広告が出ているのを見て綺麗なシルエットの車だと気に入ってしまったところに、全く予定していなかったシュテルン札幌中央の訪問。

 何か因縁でもあるような気がして、店に売っていたミニカーを購入した。

 実車は1000万円する価格だから、購入もたいへんだが維持にもお金がかかる。そのためには相当稼げるようにならないととても購入などできない。

 ビジネスの成功は「自分が情熱をかけられること、やりたいことをやれるようにすること」そういった状態を作ることだと思う。そうすれば経済的な成功もくっついてくる場合が多いようだ。

 今日一日で5店の自動車ディーラーを訪問した。このような仕事は8年ぶりで、以前も好きな仕事ではあったが、今回もやはりこの仕事が好きなことに気がついた。お客様と接する販売現場、そこでさまざまなアイデアを出し工夫をし、お客様の満足を高めるとともに、ビジネスを成功に導く、このような楽しさや感動がある世界が私は好きだ。

 今の仕事にも情熱をかけている。それはうそではないが、新たな挑戦がしたくなった。