今日は同じビルの上の階の職場のコンペに参加してます。
朝5時40分に家を出て、富士OGM伊勢大鷲コースまで、やってきました。
前半スタートホールで10打叩いて、上がり3ホール連続3パット打ってちゃあ、スコアまとまらないね(笑)
後半、頑張りましょう。
ウィンクあいちの地下の「那古屋 沢潟食堂」という店なんだけど、読み方忘れちゃいました(笑)
明日のゴルフに良い影響が出ますように・・・
今日28日は、大須の縁日。(毎月28日だそうです)
それに合わせて行われた「大須縁日ウォークラリー」に参加してきました。
先ずは、若宮八幡社で、エントリー。
【若宮八幡社の由緒】
文武天皇朝である大宝年間(701~704年)に現在の名古屋城三の丸の地に創建と伝わり、延喜年間(901~923年)に再興された。
天王社(現在の那古野神社)と隣接していた。天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1540年)織田信秀により再建された。
慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に現在地に遷座し、名古屋総鎮守とされ現在に至っている。
続いて訪れたのが、メジャーな大須観音。縁日だけあって、沢山の人でごった返してます。
【大須観音の歴史】(Wikiより引用)
建久年間(1190年代)、尾張国中島郡長庄大須に中島観音が発祥する。元亨4年(1324年)に後醍醐天皇が大須郷(現岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺の始まりである。
その後、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によって現在地に移転する。 明治25年(1892年)3月21日の大須の大火と第二次世界大戦の名古屋大空襲による2度の焼失を被り、昭和45年(1970年)に再建し、現在に至る。大須の地名はこの大須観音の門前町が発祥の地である。
南下してたどり着いたのが、七寺。
七寺(ななつでら)という呼称は、延暦6年(787)、紀是広によって七堂伽藍が建立された故事から来たもの。
江戸時代には芝居小屋が3つもあった程、境内は広くにぎやかなところであった。
七寺から、とんちゃん屋の「ふじ」を横目で眺めて北上し着いたのが、富士浅間神社。
ここは、明応4(1495)年、後土御門天皇の命により、富士山本宮浅間神社から分霊を勧請し、創建されたそうです。
最後の訪問先は、万松寺。ほとんど、大須の繁華街の中心。
大須の繁華街のほぼ真ん中、万松寺通りという万松寺ゆかりの地名の通りとは違い新天地通りに在る。
NHKの大河ドラマなどたびたびマスコミに登場する万松寺は「万松寺さん」と親しまれ、からくり人形、
絵馬堂をはじめとして時代を先取りした新しい大須の新名所。現在の本堂は平成6年4月の完成。
今後、今回の大須以外に、豊国神社縁日(12/9)、東別院縁日(12/12)でも同様のウォークラリーが開催されるそうです。
暗くなって妙に飲みに行きたくなって
岐阜の「千成寿司」に行っちゃいました。
先ずは、トラフグ皮湯引き
大好きなシマアジの刺身
サザエの刺身、キモがなんとも美味しい
キンキの煮付け・・・・・味が染みて美味しい
タバコも買ってきてもらった
大変、充実した時間を過ごさせてもらいました。
高知を後にして、高知道~瀬戸大橋と走って、再び本州に戻ってきました。
そのまま帰るのはもったいないので、前々から行きたいと思ってた倉敷に足を延ばしてみました。
美観地区は、川を挟んで落ち着いた街並みが続いてて、想像どおりの街でした。
今回の旅行のお土産は、ここ倉敷で調達。
ひろめ市場で3時間!?飲んだ後、はりまや橋に向かいました。
土佐の「しばてん」さんに紹介してもらった、鯨の噴水を見るために・・・
運良く、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」の時間帯にはまり、得した気分。