万俵家の庭園で使ってた、日本平ホテル(静岡市)は駿河湾と富士山とを見渡せる良い所だから、来年暇な時にでも行ってみよう。
今年最後のブログとして、振り返って見ると、調停、転勤と色々あった年だった。そんな中でも、江戸天下祭で地元の山車で東京の繁華街を練り歩いたことは、良い思いでとして残っている。
最後に暫く会っていないH子が良い年を迎えられる様に祈って、今年最後の筆(?)を置く。
テレビ静岡で深夜「SP」の特番(再放送)をやっていた。今、病院テロの三話目。お陰で全然眠れない。本当にこのドラマは面白い、真木ようこのスタイルも生唾ゴックンだし、一体この特番何時までやるんだろう、多分終わるまで眠れないだろうね。さあ、早くテロの制圧を、井上(岡田准一)頑張れ!
今日は皆、納会やら忘年会やらで忙しかったり、誘った暇な友人でも俺との遊びが飽きてしまった奴だったり、この不良中年と遊んでくれそうもないということで、早めに仕事を終えて帰って家で一杯やってます。今月16日に購入したパンツが20日に仕上がっていたにも係らず、連日の飲み会で取りに行くのをすっかり忘れていて、帰りに取ってきた。
あまりにも暇なので、昨日の宣言通りかなり前の映画「波の数だけ抱きしめて」にコメントしながら若かりし頃の自分を思い出そうと思う。
この映画が放映されたのは、90年代だったけど時代背景は80年代前半、丁度、俺の大学時代と重なる。映画の登場人物である、真理子(中山美穂)や小杉(織田裕次)も大学生であったため見た時には、凄く懐かしさを感じた映画だった。また、BGMが懐かしい・・・ユーミンをベースにあの頃はやった洋楽が流れていて物語は切ないものの、非常に心地よいシーンもあった映画だと思う。正月の暇な時間は再度このビデオを見ようと思うのでした。
ちょうど、大学に入学したのが1980年。ただし、住まいが新宿や中野だったため、海は遠い存在だったなぁ~、でも友達や先輩の車を駆っては、湘南や伊豆方面まで足を伸ばしていた。一度、後輩のT橋と伊豆の白浜に行って、T橋が溺れ死にそうになった時も、彼を助けたのはサーフボードだったっけ。沖に流されていくT橋を見つけて、泳いで奴に追いつき、近くにいたサーファーのボードを借りて、ボードの上に奴を乗っけて、タイミングよく波に乗せて(奴は腹這)岸まで送り届けたことは、すご~く良く覚えている。今、彼がフルマラソンを完走できるのは俺のお陰だということをここで公開してやる!
当時はやってた”FALAR”のパンツ(S武百貨店に就職したS次先輩もよくはいてた俺も1本持ってたなぁ)なんかをはいてた丘サーファーなんかも多くて、今思うと笑える。
長い夏休みは地元の静岡に帰って、家の前や御前崎などの海で、波乗りを一人やっていた時もあった。当時は、波乗りをやる田舎の友人がいなくて(今は仲良しの1学年上のK兄ぃとかともっと早く知り合ってればなぁ)、一人寂しく波待ちなんてしてたなぁ、他は皆、ツルんで楽しそうなのを横目で見ながらというのを思いだしたもう少し、時間に余裕ができたら、今セミプロやってる、飲み友達のマーチャンにでも弟子入りしてみようかしら(笑)
話を戻して、やはり挿入されているユーミンの唄・・・いきなり
”そしてヴェールを上げて彼と向かい合う時、貴方が遅れて席に着くのが分かった・・・”と「心ほどいて」(これ若い頃よく、MSMと一緒に聞いてたよなぁ~)で始まり、それ以外に何曲か使われていたと思うけど、それぞれが、これ本当に懐かしいこと
本当に、良い映画で・し・た
ところで、何でこの映画を見た?そう、中山美穂の大ファンだったからでした。
また、次に暇な時には、中山美穂をテーマにブログを書こうっと。
先ほどまで、TBS系列の冬の映画スペシャル「手紙」を見ていた。
最近、何を見ても何も感じなくなっている自分ではあるが、ちと涙ぐんで見てしまった。
挿入歌のオフコース「言葉にできない」ではないけど、手紙だと素直に自分の思いを表現できることは、今までの人生の中でも多々あったと思い出される。
携帯電話やICTの発展で何でも伝えることに関しては便利な世の中になってしまった近頃だが、やはりアナログな手紙は自分の気持ちを表現するのに最も素晴らしいメディアだと再認識させられた良い映画だったと思う。ありがとう・・・
それにしても、沢尻は何で映画の中とそれ以外ではあんなに違うんだろうと思うのは俺だけだろうか・・・???