16/8/2005
今日は例の、俺の苦手なパワフル先生が出張のため、代理にのほほんとしたおばあちゃんの授業を受けました。言うまでもなく、昨日よりは楽でした(笑)。つかの間の(ってか、始まってまだ二日目にして)休憩。明日から、あのおばちゃんかと思うと、気分は落ちていく一方です…。
一番の問題は、実は英語ではありません。俺、恥ずかしながらビジネスの知識が全くないんです。日本の大学では経済を勉強してたし(経済も一年しか勉強してないので、知識があるとは言いがたいですが…)、なにより新聞を読まなかった。ビジネスだけに限らず、俺って常識ってのがないんですよね~。こっちにきて、反省しても遅いですけど、やっぱり後悔してます。新聞を読めって両親が口をすっぱくするくらい言ってたのに。
世間知らずってほんとに恥ずかしい。俺の場合、社会に出る前にそのことを悟ったから、ある意味まだラッキーな方なのかもしれない。クラスで、常識レベルの国際ビジネスのことについてディベートするときも、全くわかりませんでは、話になりません。今日も「へぇ~、そうなんだ。知らなかった」ってなってしまって、ディベートじゃなくて、ただの受身になってた。
あと、日本の教育のシステムにも最近考えるようになった。海外に比べると、日本の教育レベルって極めて低い気がする。まず一番改善すべきことは、受身教育。俺の小学校から高校までの記憶をたどってみると、ほぼすべてが、この受身教育だった。先生の言ってることをただ単にノートに書き写すだけの授業。質問があっても、先生の邪魔をしちゃいけないっていう暗黙の了解があるから、誰もしないし、唯一発言できたときも、今考えてみると、ただ先生の質問に答えるだけって言う、極限られた中での発言。先生は完璧な絶対者で、生徒はみんなそれに黙って従う、たてのつながりを重視したシステム。利点ももちろんある。生徒が下に位置し(しかも受身で)、先生が上に位置しているので、物事を伝えるという点ではとても優れている。でも、これは上からの圧力があるからこそ、存在できるものであって、この上(先生や学校側)からの圧力を受けている生徒は、やっぱり何かしらストレスを感じてる。それが、不登校や、学級崩壊、さらにはいじめを引き起こす原因となってたのは、間違いないと思う。
英語にしたって、同様で全くの受身授業。この日本の英語の教え方については、いまいち納得が出来ない。中学校から高校で受けた英語は、英語を好きになるための勉強とは程遠かった。文法を習うより先に、英語に触れ合う機会をもっと作るべきだと思う。
海外の、教育システムは全く違う。有名な話だが、先生と生徒は横のつながりになってる。先生は物事を教えるというより、物事を提案して、生徒はそれについて、評価、賛否、または討論をする。日本のたて教育に比べると、量を教えるという点では不便だが、ディスカッションのスキルは確実に上がる。しかもこのスキルは、将来に役立つ。俺の今悩んでる、大学でのディベートや、会社の中でのプレゼンテーション。日本人のディベートが苦手な理由はこういう、教育のバックグラウンドからきてるといってもおかしくないと思う。
リバプールにいるとき、小学校の先生をしてる人から話を聞きました。今、小学校から、少しではありますが英語を学習してるらしい。それも、俺たちが中学校から受けたHelloより先に文法から始まる勉強でなくて、外国人の先生と一緒に楽しむという、少し“進んだ”授業。その先生曰く、子供たちがまず英語にこういう機会を通して、英語に親しんでほしい、と。全くの同感。お受験合格のための英語ではなくて、こういった将来に役立つための学習を、もっと増やしていくべきです。
また、日本でも先生が絶対者から降りて授業を進めるという、西洋をまねした授業も出てきているそうです。でもこれはまだ、ほんの一部にすぎません。俺みたいに留学中に恥をかく生徒がこれから出てこないようにするためにも、こういったものがもっと増えていってくれることを心より願ってます。
なんのプランもなしに、思いついたことをだらだらと書いていったので、読みにくくなってるとは思いますが、ここまで読んでくれた人には深く感謝しています。っどうも御精読(?)有難うございます。
「今日のお薦め」
the beatles [ blackbird ]
ポールのギター弾き語りソング。こちらも練習中。
今日は例の、俺の苦手なパワフル先生が出張のため、代理にのほほんとしたおばあちゃんの授業を受けました。言うまでもなく、昨日よりは楽でした(笑)。つかの間の(ってか、始まってまだ二日目にして)休憩。明日から、あのおばちゃんかと思うと、気分は落ちていく一方です…。
一番の問題は、実は英語ではありません。俺、恥ずかしながらビジネスの知識が全くないんです。日本の大学では経済を勉強してたし(経済も一年しか勉強してないので、知識があるとは言いがたいですが…)、なにより新聞を読まなかった。ビジネスだけに限らず、俺って常識ってのがないんですよね~。こっちにきて、反省しても遅いですけど、やっぱり後悔してます。新聞を読めって両親が口をすっぱくするくらい言ってたのに。
世間知らずってほんとに恥ずかしい。俺の場合、社会に出る前にそのことを悟ったから、ある意味まだラッキーな方なのかもしれない。クラスで、常識レベルの国際ビジネスのことについてディベートするときも、全くわかりませんでは、話になりません。今日も「へぇ~、そうなんだ。知らなかった」ってなってしまって、ディベートじゃなくて、ただの受身になってた。
あと、日本の教育のシステムにも最近考えるようになった。海外に比べると、日本の教育レベルって極めて低い気がする。まず一番改善すべきことは、受身教育。俺の小学校から高校までの記憶をたどってみると、ほぼすべてが、この受身教育だった。先生の言ってることをただ単にノートに書き写すだけの授業。質問があっても、先生の邪魔をしちゃいけないっていう暗黙の了解があるから、誰もしないし、唯一発言できたときも、今考えてみると、ただ先生の質問に答えるだけって言う、極限られた中での発言。先生は完璧な絶対者で、生徒はみんなそれに黙って従う、たてのつながりを重視したシステム。利点ももちろんある。生徒が下に位置し(しかも受身で)、先生が上に位置しているので、物事を伝えるという点ではとても優れている。でも、これは上からの圧力があるからこそ、存在できるものであって、この上(先生や学校側)からの圧力を受けている生徒は、やっぱり何かしらストレスを感じてる。それが、不登校や、学級崩壊、さらにはいじめを引き起こす原因となってたのは、間違いないと思う。
英語にしたって、同様で全くの受身授業。この日本の英語の教え方については、いまいち納得が出来ない。中学校から高校で受けた英語は、英語を好きになるための勉強とは程遠かった。文法を習うより先に、英語に触れ合う機会をもっと作るべきだと思う。
海外の、教育システムは全く違う。有名な話だが、先生と生徒は横のつながりになってる。先生は物事を教えるというより、物事を提案して、生徒はそれについて、評価、賛否、または討論をする。日本のたて教育に比べると、量を教えるという点では不便だが、ディスカッションのスキルは確実に上がる。しかもこのスキルは、将来に役立つ。俺の今悩んでる、大学でのディベートや、会社の中でのプレゼンテーション。日本人のディベートが苦手な理由はこういう、教育のバックグラウンドからきてるといってもおかしくないと思う。
リバプールにいるとき、小学校の先生をしてる人から話を聞きました。今、小学校から、少しではありますが英語を学習してるらしい。それも、俺たちが中学校から受けたHelloより先に文法から始まる勉強でなくて、外国人の先生と一緒に楽しむという、少し“進んだ”授業。その先生曰く、子供たちがまず英語にこういう機会を通して、英語に親しんでほしい、と。全くの同感。お受験合格のための英語ではなくて、こういった将来に役立つための学習を、もっと増やしていくべきです。
また、日本でも先生が絶対者から降りて授業を進めるという、西洋をまねした授業も出てきているそうです。でもこれはまだ、ほんの一部にすぎません。俺みたいに留学中に恥をかく生徒がこれから出てこないようにするためにも、こういったものがもっと増えていってくれることを心より願ってます。
なんのプランもなしに、思いついたことをだらだらと書いていったので、読みにくくなってるとは思いますが、ここまで読んでくれた人には深く感謝しています。っどうも御精読(?)有難うございます。
「今日のお薦め」
the beatles [ blackbird ]
ポールのギター弾き語りソング。こちらも練習中。