安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

大正時代-1

2018-04-09 22:45:28 | 古典

大正時代-1

(明治・大正・昭和)

 

 

室生犀星(むろうさいせい) 

 

 

 

(1889年)明治22年 ~(1962年)昭和37年 72歳没

 

 

石川県金沢市 詩人・小説家。

 

代表作

『愛の詩集』
『抒情小曲集』小景異情 その二

 

抒情小曲集の(ふるさと)

ふるさとは遠きにありて思ふもの
 
そして悲しくうたふもの
 
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
 
帰るところにあるまじや
 
ひとり都のゆふぐれに
 
ふるさとおもひ涙ぐむ
 
そのこころもて
 
遠きみやこにかへらばや
 
遠きみやこにかへらばや


定説では、室生犀星がこの詩を作ったのは、彼が「ふるさと」の金沢に帰ったときだったとされています。「みやこ」は東京のことを指します。どうして、懐かしいはずの故郷でこういう言葉を紡いだのでしょう。彼の生い立ちをみていくと、このような寂しい詩をたくさん残したわけが、なんとなくわかります。

※この詩は学生時代心に響くものがあり、すきでした。この詩が室生犀星の作品とは知らずにいました。確かに故郷は遠くにありて懐かしくいいところを思いながら思い返しているだけの方がいいという気持ちはわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菊池 寛きくち かん)

 

1887年(明治21年)~1948年(昭和23年) 59歳没
香川県出身 劇作家から小説に転向。昭和10年芥川賞の設定など

 

文壇の振興にも大きな役割を果たした。

 

代表作

 

「父帰る」(戯曲)   「恩讐の彼方に」

 

※菊池寛といえば「父帰る」というほど、この「父帰る」はまだ子供のころに本を読んではいないのですが、母からこの話を聞いて鮮明に覚えています。

家族を捨てて長いあいだ好き勝手をして、歳を取って寂しくなったからといつって良く帰ってこれたなと・・・小説の中の長男の気持ちがよく解る方でした。次男のように、どんな父でも、父は父だから受け入れるという気持ちにはなれませんでした。

 

 

 

 

今日も寒かった、明日は今日より寒いらしい・・( `ー´)ノ

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

 

 

 

 

では又~~    


明治時代ー14

2018-04-04 15:54:39 | 古典

 

明治時代ー14

(明治・大正・昭和)

 

   

 

 

高村光太郎

 

明治16年(1883年)~昭和31年(19562年) 東京都出身 73歳没。

 

日本の彫刻界を指導した高村光雲の長男で、彫刻家でもある。今日にあって「道程」、「智恵子抄」(レモン哀歌-知恵子抄の中の1つの詩)等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。

 

1911年(28歳)、雑誌『青鞜』創刊号(平塚雷鳥創刊)の表紙絵を描いた3つ年下の女流洋画家・長沼智恵子と出会う。3年後の1914年(31歳)、光太郞は第1詩集『道程』を刊行し、同年智恵子と結婚する。

 

1929年(昭和4年)に智恵子の実家が破産、この頃から智恵子の健康状態が悪くなり、のちに統合失調症を発病した。1938年(昭和13年)55歳に智恵子と死別。

 

1941年(58歳)、智恵子の他界から3年後に光太郎は30年に及ぶ2人の愛を綴った詩集『智恵子抄』を刊行した

1956年(昭和31年)肺結核のために死去した。73歳没

 

 

光太郎が智恵子の臨終をうたった詩『レモン哀歌』

智恵子抄の中の一つの詩

 

 

 

 

 

高村智恵子     

 

 

 1886年(明治19年)~1938年(昭和13年)52歳没。

1886年(明治19年)福島県安達郡油井村字漆原に産まれる。1913年(大正2年)9月、上高地に行く光太郎を追いかけて一緒に絵を描いた時に結婚の意思を固めたという1914年光太郎と結婚。

 

1931年(昭和6年)8月に光太郎が三陸方面の取材旅行で留守中に統合失調症の最初の兆しが表れた。光太郎は病室へ千代紙を持っていき、1937年(昭和12年)頃より智恵子は病室で紙絵の創作をするようになり、病床から千数百点の紙絵を生み出した。

 

智恵子は7年にわたる闘病の末、肺結核のため52歳で旅立つ。

 

 

 

 

 

私は子供の小さいころ、図書館に通っていろんな本を借りて子供と一緒に絵本を楽しみました。その中でも心にやきついている一冊の本です。

こんな素敵な紙絵の世界が広がっています。智恵子の優しさと純粋さが凝縮された一冊です。

 

 

 

    

 

 

 

ー紙絵ー 

 

     

 

 

智恵子抄の唄

 

 

この唄も鮮明に覚えています。光太郎と智恵子がいかに当時の人々に愛されていたかがよくわかると思います。長くなってしまいましたが、智恵子は光太郎に愛されて、人生を全うした幸せな女性だと思います。

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~  

 

 

 

 


明治時代ー13

2018-03-30 20:07:44 | 古典

 

明治時代ー13

(明治・大正・昭和)

 

 

 

高浜虚子 (たかはま きょし) 

 1874年〈明治7年〉~ 1959年〈昭和34年〉

 

明治・大正・昭和の三代にわたる俳人・小説家。ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。

作品・虚子句集

遠山に日の当たりたる枯野かな

春風や闘志抱きて丘に立つ

波音の由井ガ濱より初電車

 

 

 

 

 

江戸川乱歩えどがわ らんぽ) 

1894年(明治27年)~ 1965年(昭和40年)

 

大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした推理作家。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、探偵事務所に勤務していた経歴を持つ。

ペンネーム(江戸川乱歩)は作家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。

代表作品 「D坂の殺人事件」等、数多くの推理小説(明智小五郎もの)

児童向け 怪人20面相 少年探偵団   

   

 

 

暖かくなると言ってもうすら寒い風の強い!日でした。"(-""-)"

今日も見ていただいて有難うございました。 

 

 

 

 

では又~~  

 

 


明治時代-12

2018-03-26 19:24:37 | 古典

明治時代-12

(明治・大正・昭和)

 

 

石川啄木いしかわ たくぼく) 

1886年(明治19年)~ 1912年(明治45年)岩手県に生まれる。

歌人、詩人。 

代表作 「一握(いちあく)の砂」

平明な(へいめいな)言葉で実生活に根差した三行書きの短歌は、歌壇に新風を吹き込んだ。肺結核のため若くして(24歳)生涯を閉じた。

 

24歳、若すぎますね! もったいないです。啄木の短歌はわかりやすくて、覚えやすいです。好きな詩がたくさんあります。

 

東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる

 

たはむれに母を背負いてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ

 

ふるさとの訛(なま)りなつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく

 

はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

 

石をもて追はるがごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし

 

やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

 

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

 

 

 

斎藤 茂吉(さいとう もきち) 

1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)歌人、精神科医。

伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。

 

第一詩集「赤光(しゃっこう)」は、近代短歌集の傑作とされている。青山脳病院の院長を務める傍ら多数の書物を著した。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫 

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 

 

あかかと一本の道とほりたりたまきはるわが命なりけり 

 

 

今日は暖かかったですね。

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

では又~~  


明治時代ー11

2018-03-22 22:06:45 | 古典

 

明治時代ー11

(明治・大正・昭和)

 

 

上田 敏(うえだ びん)  

1874年(明治7年)~1916年(大正5年) 詩人、翻訳家。

 

1905年(明治38年)刊行された訳詩集『海潮音』で知られ、日本にベルギー文学やプロヴァンス文学、象徴派や高踏派の詩を紹介した。 『海潮音』に収められたドイツの詩人カール・ブッセの詩(上田敏:翻訳)『山のあなた』より

 

 

山のあなたの空遠く 幸(さいはひ)住むと人のいふ

 

噫(ああ)、われひとゝ 尋(と)めゆきて、涙さしぐみかへりきぬ

 

山のあなたになほ遠く 幸(さいはひ)住むと人のいふ

 

※これはあまりにも有名ですね。好きな詩です。 

 

 

 

 

若山牧水(わかやま ぼくすい) 

1885年(明治18年)~1928年(昭和3年) 

宮崎県の医師の長男として生まれる。近代的悲哀をたたえた歌が多い。

 

代表作

 

白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青 海のあおにもそまずただよふ

 

幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 

 

 

 

 

 

北原白秋 (きたはら はくしゅう)

 

明治18年(1885年)~昭和17年(1942年) 福岡県出身

 

明治から昭和を通しての代表的詩人。近代史に新風を打ち立て、短歌。民謡。動揺。俳句など、日本の各分野に画期的な功績を残した。詩集に「邪宗門」「想い出」「桐の花」などがある。山田耕作とのコンビによる多くの童謡は広く愛唱されている。

ゆりかごのうた・この道・あめふり・待ちぼうけ

あわて床屋・ペチカ・からたちの花

 

 

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

 

 

では又~~