安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

私の想い出の映画 

2020-05-16 23:04:47 | 映画

 

時代劇黄金期

私の映画の思い出は、やはり時代劇だろうな・・

小学校、中学校と過ごした故郷が山と川と田んぼしか無いような自然の中で育った。

映画館は無かった。ただ自然豊かな景色がいっぱいで、

電線もなくその頃でも珍しい欄干も無い「木の橋」があったり、映画のロケーションには持って来いの環境だった。

年に何回かは東映の有名な俳優が撮影に来て、良くそれを見に行った。

有名どころでは、美空ひばり、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、中村玉緒、・・・・・

学校を卒業して、務めた職場の近くに東映撮影所があり、ちょいちょい撮影所の玄関で出待ちをしたりもしました。

遠い遠い昔の話です。

その中で私は大川橋蔵のファンでした。「 新吾十番勝負」の若殿様の甘いマスクに魅かれました。

 

テレビでは「銭形平次」を楽しみに見ていました。

橋蔵も、錦之助も若くして亡くなられてしまいました・・・

コロナ、忘れてはだめだけれど、いつも考えていればしんどくなります。

では又~~

 


想い出の映画 女優

2020-04-20 22:30:40 | 映画

想い出の映画女優

日本の映画で欠かせない女優といえば、私の中では「原 節子」がナンバーワンです。

初めて観たのは「青い山脈」の先生役だった。多分テレビだったと思う。(1949年作)

 

 

品のある、それでいて、華やかさがある絶世の美女だった。

その笑顔は優しさが溢れていた。次の作品が小津安二郎の作品「晩春」だった。それ以後、小津安二郎の作品に原節子は欠かせない存在になった。

 

 

女優を引退するまでに100本ほどの映画に出演している。

私が観たのは10本にも満たないが、あの優しい笑顔に魅了された。

 

「麦秋」(1951年)小津安二郎

  

 

「めし」(1951年 )

「秋日和」(1960年) 小津安二郎

私が観た最後の映画は「東京物語」(1953年)だった。小津安二郎

  

笠智衆、東山智恵子、杉村春子等と共演

 原節子の最後の映画は「忠臣蔵、花の巻き・雪の巻き」で稲垣浩 監督、(1962年作)大石内蔵助の妻・りくであった。

1963年に女優業を引退し、2015年に死去するまで隠遁生活を送っていた

それ以後、表に出ることは一切なく、どこでどうしているか解らない謎の人生を送って 95歳で没した。

 

 

では又~~


想い出の映画

2020-03-23 20:32:45 | 映画

想い出の映画

想い出の映画-日活映画と言えば何といっても石原裕次郎です。社会人になって、初めて映画館に見に行った映画は「嵐を呼ぶ男」でした。あの頃は映画と主題歌が一緒にヒットし、いまでも覚えています。

おいらはドラマ やくざなドラマ

おいらが怒れば 嵐を呼ぶぜ・・・

裕次郎の歌声は何とも優しい声で癒される魅力がありました。

好きな歌も挙げたらきりがないくらいです。

恋の街札幌 ブランディグラス 夕日の丘 赤いハンカチ・・・

流生のごとくデビューした裕次郎、爆発的な人気をさらったものでした。やんちゃで、ぶっきらぼうで、それでいてどこなく優しさが感じられる笑い顔、かっこよかったです。  

   

デビュー作は「太陽の季節」立て続けに「狂った果実」

「乳母車」「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」

  

「陽の当たる坂道」「明日は明日の風が吹く」「素晴らしき男性」

「風速40米」「紅の翼」「世界を駈ける恋」「清水の暴れん坊」

「あじさいの歌」「青年の樹」「あいつと私」「堂々たる人生」

「銀座の恋の物語」「太平洋ひとりぼっち」「赤いハンカチ」

「夕日の丘」「夜霧よ今夜もありがとう」「黒部の太陽」

 

15年ほどで端役も入れると100本強の映画の作品がある。あの頃は映画全盛期で月に何本もの作品、時には2本掛け持ちで映画が作られていた時代でした。。昭和の良き時代でした。

いろんな映画があるけれど、私が好きな映画は北原三枝との

「陽の当たる坂道」「あじさいの歌」「乳母車」のような文芸作品が好きだった。あの頃の裕次郎にはよく合っていた。

では又~~  


想い出の映画

2020-03-15 23:21:54 | 映画

想い出の映画

私のとっておきの思い出の映画、というよりも映画俳優。

その人は、日活黄金時代の石原裕次郎、小林旭に続く第三の男「赤木圭一郎」

裕次郎はタフガイ、旭はマイトガイ、そして赤木はクールガイ、別名トニー(トニーカーチスに似ていたところからの呼び名)、そしてもう一つ、和製ジェームズ・ディーンとも呼ばれていた。

「トニーとジョー」として知られる宍戸ジョーとのコンビで「拳銃無頼帖」だけでも6作品。

「霧笛が俺を呼んでいる」、「錆びた鎖」、「俺の血が騒ぐ」、「紅の拳銃」など、どこか影があるニヒルな役が良く似合う、二枚目だった。自分の映画の主題歌も沢山歌っている。低音の渋い声で魅力ある歌声でした。

  

    

そして最後の映画「激流に生きる男」の撮影中の昼休みに、ゴーカートを運転していての事故で帰らぬ人となった。21歳のあまりにも早すぎる死であった。ジェームズ・ディーンが24歳で車の事故で無くなった6年後の事だった。今から60年近く昔のこと。

私は裕次郎の映画も良く観たが、赤木圭一郎のファンだった。あまりにも鮮烈で、そしてあまりにも衝撃的にこの世を去った21歳の俳優だった。ショックでした。「さらばトニー」という冊子も出版されたのを購入していまだに本棚にある。。

今でもファンがお墓をおとづれているということです。「赤木圭一郎を偲ぶ会」としてネットでサイトが存在している。

短い期間で20本以上の主演映画を残している。相手役は笹森玲子が多かったが、芦川いずみ、浅丘ルリ子、吉永さゆりとも共演している。

では又~~


思い出の映画

2020-02-02 13:35:50 | 映画

思い出の映画

前回、紹介した「クイズ・ノーベルSHOW」で問題として取り上げられていました。

「星の王子ニューヨークへ行く」・理想の花嫁を求めてニューヨークへやってきたアフリカのとある王国のプリンスの巻き起こす、一大騒動を描くコメディ映画

エディー・マーフィー演じる王子様が魅力的、文句なく面白いドタバタだけでなく、しっくり心に来る映画でした。

   

 

何日か後に「ベイブ」も問題として出ていました。

牧羊犬ならぬ牧羊豚になることを夢見る無垢な子ブタの奮闘を描く感動作。動物たちが主演になってお喋りをする楽しい映画でした。

久しぶりに昔観た映画を思い出しました。これらは映画館でなくレンタルビデオで観た映画です。

では又~~