安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

鴨長明 方丈記 追記!!

2017-09-07 22:27:06 | 古文

鴨長明 方丈記 追記!!

鴨長明、知ってる知ってる! 方丈記、知ってる知ってる、くらいの軽い気持ちで紹介しましたが、いろいろ調べるとびっくりの連続でした。

「鴨長明の方丈記の方丈庵」と記されているように、この「方丈庵」が注目されているようです。

「方丈庵」がコンパクトな住居装置、可動式でユニット組立式で、できていて、移動もできる方式で作られているということです。

これは今の世の中で通用できる方式ですね!

方丈庵の広さは、1丈(約3m)四方で、5畳半程度(4畳半と記されている資料もある)。地面に石を据えて土台とし、その上に柱を組んだ作りで、移設しやすい構造です。

長明は晩年、の郊外・日野山(京都市伏見区日野町)に一四方(方丈)の狭い庵を結び隠棲した。彼が庵内から当時の世間を観察し、書き記した記録であることから「方丈記」と自ら名づけたのが本作品である。

今の世の中に通用する住居型式だということで注目されているようです。私が今知っただけで、もっと以前からだったのかも知れません。

この「1丈四方」のことが「方丈」という意味。

この方丈記が、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされ、移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定している。

 この「方丈庵」が、京都市左京区の下賀茂神社境内の河合神社に復元され展示されている。

鴨長明が京都の人であるということだけでも愛着は沸くのですが、いろんなことが解りなおさらに心に焼き付きました。

この古典シリーズもほんの気まぐれで始めましたが、はまってしまったって感じです。もともと好きであったということもあり、こうしてブログに挙げるために調べますので、この際、時代の流れを知っておこうという気持ちになっています。よろしくお付き合いのほどお願いします。

 

有難うございました。

 

では又~~


古典 方丈記  鎌倉時代(中世の文学)

2017-09-06 20:30:21 | 古文

 

方 丈 記 

(ほうじょうき) 

  

 

     

 

 

今日はちょっと蒸し暑かったですね~

明日はどうでしょう? 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~ 

 

 

 


古典  新古今和歌集 鎌倉・室町時代(中世)

2017-09-06 14:10:04 | 古文

 

新古今和歌集 

(しんこきんわかしゅう)

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、百人一首で一番好きな歌が

 

むらさめの露もまだひぬまきの葉に

霧立ちのぼる秋の夕暮  寂連

 

です・・・(^^♪  

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~ 

 

 


古典 源氏物語

2017-08-26 17:26:04 | 古文

 

源 氏 物 語

 

時代の流れ
大和・奈良時代を(上代) 
                          大化の改新 西暦645年  平城京に遷都 西暦710年

代表的な文学

 古事記(伝説) 作者:太安麻呂(おおのやすまろ) 西暦712年
 日本書紀(歴史・伝説) 作者:舎人親王(とねりしんのう)西暦720年
 万葉集(歌集) 作者:大伴家持(おおともやかもち)? 西暦759年後

 

平安時代を(中古) 役400年間      平安遷都 西暦794年
 代表的な文学 

 竹取物語(物語) 西暦889年 作者不明 

 伊勢物語(歌物語) 作者不明  西暦901年前 
 古今和歌集(歌集) 紀貫之ら  西暦905年頃
 土佐日記(日記) 紀貫之 西暦935年 
 蜻蛉「かげろう」日記(日記)  藤原道綱の母 西暦974年頃
 枕草子(随筆) 清少納言  西暦1001年頃
 和泉式部日記(日記) 和泉式部 西暦1007年後
 源氏物語(物語) 紫式部 西暦1008年頃 
 更級「さらしな」日記 菅原孝標(すがわらたかすえ)の娘 西暦1059年頃
 今昔物語集 作者不明   等がある。 西暦1071年頃

   山家集(歌集) 西行 西暦1190年頃       平家、壇ノ浦で滅亡

鎌倉・室町時代を(中世)、約400年間
江戸時代を(近世)、約260年間
明治以降を(近代)の文学とされている。

 

源氏物語 西暦1008年頃  

 作者 紫式部  天延元年(西暦937年)~長和3年(西暦1014年)

    平安中期の女流文学者 

「源氏物語」のほか「紫式部日記」、歌集「紫式部集」などの作品を残した。

997、8年ごろ藤原宣孝と結婚し、一女をえたが、わずか2,3年で夫と死別、源氏物語はそのあと書き始めたと考えられる。54帖から成る世界的な古典

  

理想的な男性である光源氏の出生から栄達するまで、多くの女性との様々な恋愛を描き、さらに源氏の子孫の状況を写す物語。

 

桐壺(きりつぼ)

 いずれの御時(おほむとき)にか、女御(にょうご)、更衣(かうい)あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり、

 

平安時代最高の物語であり、「あわれ」の文学といわれ、後世まで愛好され、尊重されている。

源氏物語は日本の古典であるだけでなく、世界の名作である。英訳、仏訳、中国語訳など、各地に翻訳されて好評であった。

又、谷崎純一郎、与謝野晶子、円地文子など高名の文学者が、特色のある現代語訳を完成している。

 

今日は涼しかったです。この調子でお願いします。

見ていただいて有難うございました。

 

では又~~