安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

母の俳句ー4

2018-07-25 19:45:53 | 母の想い出

 

 

母の俳句ー4

 

冬の句です。

カレンダー・・・が好きです。家から駅まで歩いたら30分はかかる遠い道を(自転車なら10分くらい)通勤していました。40分ほど汽車に乗って、京都駅まで何年間か通いました。母は歩いてですから30分かかる道を娘のために迎えに来てくれたんですね。。。

最期の胡蝶欄・・・は、義弟(夫の弟)がハウスでいろんな花をそだてていました。胡蝶蘭は新しい花を育て始めて無理をしたのか、一夜のうちに天国へ・・義弟も若かった・・40代前半。

 

 

 

暑さ、少しましだったかな?今度は台風。。"(-""-)"

おとなしくサッと過ぎ去ってください。。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~  

 

 


母の俳句ー3

2018-07-24 22:18:01 | 母の想い出

 

母の俳句ー3

 

たった「1反」の田んぼでしたが、良く田んぼの世話をしました。田植えも手で植えて、稲刈りの後は麦も育て、麦踏もしました。昔は機械もなく、手作業で一応の事はしてきました。母は京都生まれ、京都育ちでしたが、頑張り屋さんでした。その母の背中を見て、母を助けたい一心で手助けをしました。

そんな中から生まれた俳句。私が好きな句は右端の「迷い傘・・」です。

 

 

 

 

 

今日は少しましだったのかな?こう毎日暑いと感覚が麻痺して、少しましだと昨日より涼しいとかんじます。風があった分ましに感じたのかも。。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~ 

 


母の俳句-2

2018-07-23 22:21:09 | 母の想い出

 

 

 母の俳句-2

 

母の俳句は素人の私には解りませんが、今、流行の芸能人がいろんな分野で腕を競い合う「プレバト」という番組でも俳句がありますが。見れるときはいつも見てます。母の俳句のランクは解りませんが、誰が見ても、分かりやすい言葉で創られていると思っています。

身近な毎日の生活の一部を日記のように創っていました。孫の事、私の大正琴の事、等々

 

表紙

 

  

41度を超える暑さが出てしまいましたね!!( ゚Д゚)

この地球、どこまで変わってしまうのでしょう・・・

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~   

 

 


母と俳句

2018-07-22 21:17:22 | 母の想い出

 

 

母と俳句

母が亡くなって今年で10年が来ようとしている。年末の12月25日で、年賀状も出してしまった後でした。。

苦労して私達(女ばかり3人の姉妹)を育ててくれた母でした。絵を描いたり、俳句を作ったり、人形を1からの手作りで創ったり、器用な母でした。

母の作った俳句を私がパソコンで入力し、一冊の本にして母に渡しました。

少しづつ紹介しようかなと・・・・しばらく私の思い出に付き合ってください。

いろいろ有る中で、私のお気に入りがこれです。

みっつとも好きですが、右端の句が好きです。

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~  

 


昭和ー22

2018-07-20 22:12:06 | 古典

 

 昭和ー22

(明治・大正・昭和)

 

 

金子 みすゞ 

 1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日

 

大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。

が・・・決して,幸せな人生では無かった。

 

23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品でしたが、矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

 

私が金子みすずを知ったのは子供が小学校を卒業したぐらいだったと思います。NHKの子供向けの番組で知ったように覚えています。テレビでみるようになり、絵本でも見るようになった時、なぜ?今まで見たことも無かったのだろうと不思議に思ったものだ。↑ のような事情があったのですね。一度出て来てからは、堰を切るようにあちこちで見るようになった。今では、50年もの長いあいだ埋もれていたなんて考えられないほど、優しさを感じ、身近に感じる人物となっている。

一番よく知られているのが

 

「私と小鳥と鈴と」

  ・・・・・・

  みんな違ってみんないい (この一節が、すきです。

 

今日も暑かったですね!!熱中症にならないように気を付けたいですね。。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~