北軽井沢・南木山物語 東京‐高崎‐倉渕‐北軽井沢ライン4 2016年04月29日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘 「嬬恋村から北軽井沢を通り直接高崎インターに入り東京へと 行ける道路が 早急に必要である。」 国三郎の熱意と努力によって ついに 北軽井沢ー高崎―東京ラインが決定したのである 道路の開通には長い長い年月を要した。 道路が開通したときは北軽井沢周辺の人々は 大変に喜んで「国三郎道路」と呼んでいた。 この道路の開通を見て国三郎は決断した。 つづく #小動物 « 北軽井沢・南木山物語 東京‐... | トップ | 北軽井沢・南木山物語 一本の杖 »
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