北軽井沢・南木山物語 東京‐高崎‐倉渕‐北軽井沢ライン4 2016年04月29日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘 「嬬恋村から北軽井沢を通り直接高崎インターに入り東京へと 行ける道路が 早急に必要である。」 国三郎の熱意と努力によって ついに 北軽井沢ー高崎―東京ラインが決定したのである 道路の開通には長い長い年月を要した。 道路が開通したときは北軽井沢周辺の人々は 大変に喜んで「国三郎道路」と呼んでいた。 この道路の開通を見て国三郎は決断した。 つづく
北軽井沢・南木山物語 東京‐高崎‐倉渕‐北軽井沢ライン3 2016年04月16日 | 赤い三角屋根チロル風の可愛い別荘 この話は世界大戦後の高度経済成長期の話ですが まだ高速道路も新幹線軽井沢駅もなかった頃の話です。 朝日国三郎は議会で熱弁をふるっていた 「高度成長期になり軽井沢近辺の道路は観光客の車で大変な渋滞を起こしている」 国三郎は咳払いをしてコップの水を一口飲んだ。 「今や北軽井沢周辺や嬬恋村でできる柔らかくて甘い 高原キャベツは都会の人々に大変な人気がある 道路の渋滞は高原キャベツの出荷に重大な影響を与えている」 国三郎は又水を一口飲んで議会の人々を見回した。 つづく
北軽井沢・南木山物語 東京‐高崎‐倉渕‐北軽井沢ライン2 2016年04月10日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘 朝日国三郎は戦後の日本経済がものすごい勢いで発展するのを 驚異のまなざしで見続けていた。 「北軽井沢の発展を日本の発展にのせていかなければならない」 「県会議員に立候補する」 国三郎の先見性がわからない人々は大反対したが 大変な選挙戦をの結果ついに当選した。 朝日国三郎の目的は議会の中にある土木委員長になることだった。 国三郎はそのためのロビー活動に専念した。 ついに念願の土木委員長になった朝日国三郎は 長い間の考えを胸に秘めて議会で大演説をしたのである。 つづく