北軽井沢 レンタルコテージ・ラーチの四季~売別荘・中古別荘/貸別荘~

四季折々に美しい北軽井沢のレンタルコテージ・チロル風の赤い屋根の売/貸別荘及び東京都内の賃貸アパートやマンションのご紹介

北軽井沢・南木山物語 ミナの哀愁1

2016年01月24日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘

ここは狩宿(かりやど)北軽井沢に近い山村だ

狩宿と言う地名は昔この地方を治めていた大名が

この地で狩りをして宿を取った所と言うことで

狩宿と地名が付いたと言う

きれいな小さな村で村中の人々は皆仲良く住んでいた

季節は秋 空が澄み切った快晴の日の午後

ミナは赤い房と鈴をいっぱいつけた馬に乗って

朝日国三郎の所に嫁いできた

目がパッチリとして大きく、色白で面長な顔

美しいミナが馬から降りると

「まるで白い鶴が舞い降りたようだ

「なんて綺麗な人だろう」

「こんな田舎によくもあんなに美しい人がきたもんだ」

村人達は口をあんぐりと開けて絶賛していた。

(北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘)

若く美しいミナに 国三郎がひとめぼれして

やっとのことで結婚をしてもらったのだった。

つづく

 

 

 


北軽井沢・南木山物語 ミナの哀愁2

2016年01月24日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘

ひとめぼれして やっと結婚したミナだったが国三郎は芸者遊びが多くなった

明治末から昭和の激動期、男達の打合せには芸者をはべらすのが通例だった

国三郎はついに芸者の中の一人をお妾にしてしまったのである。

朝日家は国三郎の事業とは別に先祖代々から農林業を営んでいた

ミナは 悲しくやりきれない気持ちを子育てや家事

家業の仕事を精一杯やることで紛らわせていた。

朝は5時に起きて家業をこなし、朝食後は使用人達と

一緒に田んぼや畑に出て働いた。

国三郎はミナの為に使用人を増やしたり

台所には当時としては珍しいストーブを買い与えた

それが国三郎のミナに対する罪滅ぼしだったようだ。

つづく


北軽井沢・南木山物語 ミナの哀愁3

2016年01月24日 | 北軽井沢のチロル風の赤い三角屋根の別荘

嫉妬・苦しみ・悲しみ・苦しさ等様々な感情を胸に秘めて

ミナは身体を動かすことで気持ちの発散をしていた。

ミナの影響で使用人たちもよく働いた。

(ツマトリソウ)

白い可憐な花を咲かせるツマトリソウはミナそのものだった。

そんなミナの影響で使用人たちもよく働いたため

農産物の収穫量もたいへん良くなってきた。

(ベニイチヤクソウ)

当時、財をなした男達は「お妾け」持つのが

ステータスのように見られていた。