daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

モダンhaiku(5)

2014年10月25日 | 詩人 - 鑑賞
               


寒卵といえばあなたは何を想うだろうか‥ピンとこない?
寒卵という食文化がなかった私にはピンとこないフレーズでした
この作者にとっての寒卵は朝に付きものだったのでしょう。
大切に育てられた、あるいは大切な家族に付ける寒卵か知れない


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最終更新:aruq 2009年11月15日(日) 16:39:27

   寒玉子狂ひもせずに朝が来て   岡本眸氏

鶏卵は、肉食が盛んな現代においても貴重な蛋白源でありましょう。
まして、菜食中心の日本で鶏卵は高級食材だったに違いありません。
金持ちの家でも家長か長男だけが食べられた程、別格の食材でした。
冬になると、体力の無い年寄りや幼児等が大勢死んだと思われます。

病気の子・病弱な子には卵を食べさせて元気をつけさせようとした。
それで、厳冬期の鶏卵は寒玉子と呼ばれて有難がられたのでしょう。
思えば、鶏卵は寒中にあって元気を失くすことなく、元気一杯です。
また、寒中にあって寸分の狂いもなく・東天に太陽は上がるのです。

宇宙のリズムに組込まれた寒中であり、鶏卵であり、人間なんです。
自然を信じ切れない弱虫だけは狂った感情に支配され朝を待てない。
この句の作者は宇宙のリズムに護られつつ・寒玉子を戴いたのです。
寒玉子を美味しく戴きながら、生きている不思議を実感したのかも。

宇宙が誕生して以来、この世界の約束事は何ひとつ変わっていない。
そうすると、変わっていったのは人間の心という事になりそうです。
人間が変節し・間違ったせいで、人間が係わる自然・環境は狂った。
それなら人間はどのように狂っていったかを考えなければならない。

裕福に暮し・感謝の気持ちが薄れ、それで人は物を粗末にするのか。
仕事に有りつけない人々が路上に溢れるのは、どうしてでしょうか。
人間の際限のない欲望が・全ての狂いの根本原因ではないだろうか。
際限のない欲望は結局、己だけの快楽・富の独り占めに向かいます。

お金になる仕事を独占して、他者が生きる権利を奪って平気でいる。
それを殺人=生存競争と言わずして、なんと言えば好いでしょうか。
そんな人間社会をヨソに、自然は狂うことなく太陽が昇り朝がくる。
寒玉子の元気をもらって、人は今日も元気にスタートを切るのです。

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ところで次のような寒卵の句を見つけました。

  味噌汁におとすいやしさ寒卵  草間時彦

この句の「いやしさ」を「卑しさ」と捉える解釈を清水哲男氏と(コメント=とびお氏)がなさってらして、自嘲気味に「卑しさ」と詠むのが普通なのかと思った。

それにしても「味噌汁に卵をおとす行為は下品なんだろうか?」‥なんです。文化は風習であれば下品と捉える地域があっていい訳で、それでも「卑しさ」以外の解釈は出来ないものかと古語辞典を開く私なんです。

そんなもの難しく考えず「癒しさ」で好いじゃないかと思わないではないが文法に則って詠まれることに如くはなしですからね。それこそ牽強付会だというご批判は甘んじて受けることにして見つけたのが「弥頻く(いやしく)」意味は「ますます重なる。いよいよさかんになる」で動詞。動詞の接尾語「さ」を付けると「いやしくさ」でコレはない。

それなら接頭語「さ」を付けて「さ寒卵」ならOKです、すなわち
 ①味噌汁におとす癒し/さ寒卵

もうひとつ、終助詞「さ」を付けて口語体の句。
 ②味噌汁におとす癒しさ/寒卵

詠まれた俳句は一人歩きするから清水哲男氏の訳の他に①②が可能である。
詠み手の草間時彦の真意は好きに解釈するしかないが「卑しさ」が妥当かどうかであるが、清水哲男氏の説明にあるように「旅館の朝餉」に付いてくる生卵は定番です。この生卵はどのように食せば下品にならないのだろうか‥。卵かけ御飯にすれば上品だろうか、殻に穴を空けてチュルチュル啜れば上品だろうか、それとも自分で目玉焼きか煮抜きにするのだろうか、向い合った人のオデコでコチンと割って遊ぶべきか? ハテサテどうしたものだろうか。
これはやっぱり味噌汁におとすのが消化に一番良いと私は思うのだが、どうしても庶民感覚として下品と見るべきだろうか。このように考えるとき、卑しくない寒卵の食事を卑しいとしたがる草間時彦ということで理解してあげるべきかも知れないが、そんなことを認めてしまったら「御用達饅頭卑し…」ならどう弁護するのだろうか。悩むところである。

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あほらしい唄(7/7)

2014年10月23日 | 詩人 - 鑑賞
               

いっぱいの素敵な想い出を作る人生‥好いなあ
そんな日々を過ごせたらもう云うことないよね
わたし、ホント最高‥って云うかも知んないしぃ
それでなにか問題でもある? ‥マサカですね 、


茨木のり子

この川べりであなたと
ビールを飲んだ だからここは好きな店

七月のきれいな晩だった
あなたの坐った椅子はあれ でも三人だった

小さな提灯がいくつもともり けむっていて
あなたは楽しい冗談をばらまいた

二人の時にはお説教ばかり
荒々しいことはなんにもしないで

でもわかるの わたしには
あなたの深いまなざしが

早くわたしの心に橋を架けて
別の誰かに架けられないうちに

わたし ためらわずに渡る
あなたのところへ

そうしたらもう後へ戻れない
跳ね橋のようにして

ゴッホの絵にあった
アルル地方の素朴で明るい跳ね橋!

娘は誘惑されなくちゃいけないの
それもあなたのようなひとから
~~~~~~~~~~~~~~~~



綺麗な馬車でお迎えにくる御曹司かもです
星の王子様が迎えにきてくれても好いなあ
なんだっけ‥いっぱい有りすぎて困っちゃう
夢なんだから好きに見ててもいいじゃない
そうそう、クルーザーで世界一周も素敵ね
好い夢を見せてくれる人ってやっぱりいい

だけどなんてったって私を想ってくれる人
だから友だちなんか放っといて私を大切に
しかも友だち想いでいっぱい友だちがいて
ユーモア溢れる貴方は上品な笑いの中心で
冗談で全てじゃなく私にそっと説教もして
それがまた嫌味っぽくなくて雰囲気好いの

思慮深い貴方は優しく温かい心の持ち主
赤ずきんが狼に食べられないうちに急いで
私を奪って貴方のお城へ連れてって欲しい
それでもう私は大切な貴方の籠の小鳥なの
貴方の指に手に肩に胸に私は眠れる森の姫
可愛いく囀り微笑む小鳥に慰められる貴方

あほらしいかも知れないけれど仕方ないよ
だから詩人のあなたが頑張らなくちゃなの
あなたにこそ娘はしっかり捉まえてほしい
そのように生れついてると承知してほしい
親心‥いやいや分ります、あほらしいほど
油断したら娘は狼の赤ずきんちゃんだもの。


あほらしいオチが付いた所で、一旦終了し、
既定の路線に戻します。また読みたいな )^o^(

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わたしが一番きれいだったとき⑥

2014年10月23日 | 詩人 - 鑑賞

茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
~~~~~~~~~~~~~~~~~


非の打ち所のない人がいいか?
傷を抱える人のほうがいいか?
伴侶に選るならどちらがいい?
そんなこと当然決ってるよね?

生れただけで儲けものなのに
生れただけで上首尾・上出来
生れるって実に不思議なこと
いやいや、色んなことが起る

なまじっか出来が良かったり
みんなに可愛がられたりして
そんな自分を当然と想ってて
そんなものですよね誰だって

白紙の状態の心で生れてきて
思いがけない出来事に驚いて
思いがけない出来事に傷つき
思いがけない出来事に有頂天

自分ではなにも知らない間に
他人が描いたり己で描いたり
白紙の心に一杯描きこまれて
だけどそれが普通と想ってて

それが永遠につづくみたいな
だからこんなものと想ってて
壊れ崩れて初めて気づいても
気づいて遣り直せばいいよね

順調で当りまえの積もりでも
順調は当り前じゃないみたい
順調はむしろ不思議な出来事
傷ついてそんなことも思える

傷のないのが幸せなのでなく
傷ついて知る幸せでしょうか
傷つかなきゃ気づけない幸せ
幸せを知って幸せに生きよう

きれいなだけでは駄目ならば
きれいな心にお洒落しましょ
気づいたときに始まるお洒落
お洒落のきっかけはいつも今

そうなんだ誰も知らなかった
知らないままで死んでいった
不幸を嘆き・悔しがりながら
なぜ不幸なのかも気づかずに

知らなければ幸せは掴めない
頑なな心では幸せは掴めない
心は栗色に染めてはならない
手足は栗色に染まってもいい

背は屈して生きても構わない
真っ黒く焼けた肌も構わない
皺が刻まれた顔でも構わない
心が卑屈にならなければいい

甘い愛に浸りたいときはある
恋に酔い痴れたいときはある
異国を憧れるのもいいと思う
緊張しっ放しは身が持たない

寂しさに流されていてはダメ
快楽に溺れてしまってもダメ
人は頓珍漢になりやすいもの
油断して堕落する人間だけど

そうだよ遅すぎることはない
いくら年とっても遅くはない
美しくなるのに齢は関係ない
そんなこと、今日は覚えたよ

目を閉じて優しい光をみよう
目を閉じて優しい音をきこう
あなたは今がいちばん美しい
本当の美しさ‥感じられる心

幸せなひととき過ごしました
とっても有難うございました。

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書き置き⑤

2014年10月22日 | 詩人 - 鑑賞
茨木のり子

 このたび私'06年2月17日クモ膜下出血にて この世におさらばすることになりました。
 これは生前に書き置くものです。
 私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
 この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
 返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
 「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下されば、それで十分でございます。
 あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。
 深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。

 ありがとうございました。
(死亡の日付と死因のみ遺族の記入)
~~~~~~~~~~~~~~~~


      高貴・忍耐・勇気   

茨木のり子に掛けるどんな慰めの言葉も私は持たない
それでもなにか言葉に紡ぎたい情意は起きてくるから
私はここから祝いの詞を詠んで世界の興りを称えよう
茨木のり子に心を和し同座した悦びを唱和し供えよう
夜明けは胸の中の宝石が光芒を放つこの場から始まる
世界の初めに立ち会える我々は即ち八百万の神の一員
闇に射しこむ光は八百万の面々を輝かせ祝福する天照
そう、茨木のり子は既に行って詠い舞い唱和している
この愛でたい座の仲間として深い感謝の詞を贈りたい
お別れのようで実は次のステージの幕が上がる合図だ
それまで少しの間だけ、私は片付けものをしていよう。


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倚りかからず④

2014年10月22日 | 詩人 - 鑑賞
             

倚りかからず‥茨木のり子は偉大な詩人ゆえ、言葉を例に引く。

気が利いた言葉を掛けられたら気が利いた言葉で返したく思う
それは長年のうちに私たち人類が身に付けた習性かも知れない
実際、身についた習性に私たち人類はよく護られてきただろう
生活に役立つ習性は権威づけられて集団の規範にもなるだろう
その権威に倚りかかりたくないと叫んでいる感じの茨木のり子

茨木のり子

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底(しんそこ)学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある


倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~

如何に有能な文筆家であっても
如何に立派な思想家であっても
如何に心優しい言葉を綴っても
文字になったあとは揉みくちゃだ
そう心得て綴らなければならない
商業主義の心は食いものにしようと近づく
甘そうなフレーズに集る糞蝿というべきか
詩人の魂の言葉を糞塗れにして飛まわる蝿

できあいの思想は糞塗れ
できあいの宗教は糞塗れ
できあいの学問は糞塗れ
権威ある思想・宗教・学問だったとしても
糞塗れになったものに倚りかかりたくない
そのようなものに倚りかかれば病気になる
心狂わされて何が善いものか分らなくなる
これ以外、茨木のり子に理由があるものか

茨木のり子は自分の詩をもできあいと云う
糞蝿が自分の詩に集るのは防げないと云う
糞蝿にも命はあって生きなければならない
それゆえ彼女の詩も糞塗れのできあい品だ
心底糞蝿に学んだのはそれぐらいだと云う
そりゃあ、糞が付いてないのが欲しかろう
自分の耳目で確認しな‥独り立ちしようぜ


これは蛇足だが
疲れたときは腰掛けたら良いのじゃないか
そんなことまで茨木のり子に言わせるのか
ぁあッ、蛇の糞が付いちまったじゃないか。

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一人は賑やか③

2014年10月21日 | 詩人 - 鑑賞
        

この詩、茨木のり子が五十代で詠んだのだろうな
オトナをひけらかすことなく素直に己を見詰めてる
やがて訪れるはずの終章を覗き観しているのかしら
いやいや、青春はまだまだこれからだって言ってる


茨木のり子


一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき寂しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ
~~~~~~~~~~~~~~~~~

あなたには茨木のり子が格好よく見えるだろうか
あなたには茨木のり子が美しく輝いてるだろうか
様々な感情のなかには高貴さも含まれていたかも
人々に祝福されながら生きたかったかもしれない
社会的な成功を微塵も欲しなかったとはいわない
どす黒い憎しみがむらむら涌かなかっただろうか

なまじっか才能豊かに生れつくと誘惑が多いもの
自分ならアノ程度は簡単、自分にはコレもやれる
そうした迷い・誘惑の心は誰にも具わっているさ
詩人の心は清く澄んでいて世間の欲に染まらない
穏やかに微笑んでいて欲深くないのが詩人なのか
茨木のり子のばあいは荒れもした馬鹿もしたかも

そうした普通の人々の気持ちをよく理解したかも
おおぜいで騒いだって好いじゃないって理解者だ
一人静かに過ごす夜は雑念・妄執が溢れていたり
それが普通の人間、茨木のり子は例外じゃないか
こう言ったら‥駄目だろって言いたがる人はいる
そうでなきゃ‥負け惜しみだって言いたがる人も

キリストが命を投げ出しても誰も同情しなくても
ジャンヌダルクが焼き殺されても気にしなくても
普通の人・茨木のり子の心のうちなら理解できる
普通の人の命懸けならあなたの命懸けと違わない
普通の人の尊い行動にはとんでもない価値がある
その茨木のり子であなたの心を飾り立てるべきか

いやいや、普通の人なら飾り立てる価値はないか
いやいや、いやいや、いやいや、普通の詩人だよ
その普通の茨木のり子に後れをとってなるものか
詩人の自負を少しでも持ってる私には重大関心事
それにしてもぜひ教えてほしい‥一番賑やかって?
もしか‥誰もが持てあます厄介な奴でいいですか?

いやいや、これでしばらく夢みる暇もない私だな。

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娘たち②

2014年10月20日 | 詩人 - 鑑賞
                      

茨木のり子

イヤリングを見るたびに おもいます
縄文時代の女たちとおんなじね

ネックレスをつらねるたびに おもいます
卑弥呼のころと変わりはしない

指輪はおろか腕輪も足輪もありました
今はブレスレット アンクレットなんて気取ってはいるけれど

頬紅を刷(は)くたびに おもいます
埴輪の女も丹(に)を塗りたくったわ

ミニを見るたびに 思います
早乙女のすこやかな野良着スタイル

ロングひるがえるたびに おもいます
青丹(あおに)よし奈良のみやこのファッションを

くりかえしくりかえし よそおい
波のように行ったり 来たりして

波が貝殻を残してゆくように
女たちはかたみを残し 生きたしるしを置いてゆく

勾玉(まがたま)や真珠 櫛やかんざし 半襟や刺子(さしこ)
家々のたんすの奥に 博物館の片隅にひっそり息づいて

そしてまた あらたな旅立ち
遠いいのちをひきついで さらに華やぐ娘たち

母や祖母の名残の品を
身のどこかに ひとつだけ飾ったりして
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あら! 茨木のり子の世界にお洒落を発見
それで思った‥それで好いって、女の子だって
そして思った‥お洒落は進化する、少しずつね

お洒落の初め‥身だしなみだったんだろうな
清潔にして‥邪悪を寄せつけないためだったのかな
手を洗ったり、顔を洗ったり、髪を束ねたんだね

猫だって顔を洗ったり、頭や体を洗うからね
きれいさっぱり汚れを落として病魔を近寄らせない
お洒落の初めは身ぎれいにすることに意味があった

宝石を身につけ、お香を焚いたり、ネイルも忘れず
お洒落‥この世界を生きるための女性の智恵だよ
茨木のり子はやさしい‥改めてそう想う私だったよ

それ以上は要求すまい‥な想いだったんだろう
誰でもがジャンヌダルクになれるものでなし
苦しい想いは詩人が・自分が引き受ける覚悟なんだ

そんな茨木のり子像が私の脳裏に浮かんだよ

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自分の感受性くらい①

2014年10月20日 | 詩人 - 鑑賞
             

詩人・茨木のり子(1926-2006)を見つけた。
私はこれほど気持ち良い歯切れの詩人を他に知らない。

茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


茨木のり子と私の違い‥その差は僅差だが大きい
彼女は社会的な成功を収める才能に恵まれていた
もっともっともっと世に知られていい存在だった
だが彼女は世間的成功に価値を見なかったようだ
彼女は勇気の人・覚悟の詩人だったと言えそうだ
その茨木のり子に私が惹かれるのは生き方なのだ
百年後に生れたら時代の寵児と持て囃されたかも
しかし現代に生れたから彼女には高い価値がある
ちやほやする空気に呑みこまれることなく生きた
彼女の環境に生れ育ったとしても真似を出来まい
大概の人は欠点が目立つが、彼女は長所が大きい
いやいや、私は足元にも及ばない偉大さを感じる

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