daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

橋本多佳子/句集

2014年10月03日 | 橋本多佳子-鑑賞

第1句集「海燕」 刊行(昭和16年)42歳
         題名『海燕』は夫との最後の旅の地・上海の情景に得たらしい。
         霧で停泊中の船にたくさんの海燕が羽を休めていたのだろうか。

第2句集「信濃」 刊行(昭和21年)47歳
         題名『信濃』は太平洋戦争直前の数か月を過した想いでから。


第3句集「紅絲」 刊行(昭和26年)52歳
         題名『紅絲」は多佳子の情・性・喘ぎ・悲哀・足掻き・執念か?


第4句集「海彦」 刊行(昭和32年)58歳

         題名『海彦』は誓子と土佐を旅したときの句から名づけたと言う

第5句集「命終」 刊行(昭和40年)没後2年
         『命終』尚も葛藤し続ける多佳子を見せているように想える。


【橋本多佳子/年譜】

    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇  
 

情報はインターネット検索からで信頼性に於いて若干・不満が残るかも…。
それで年譜の意味は橋本多佳子の俳句をよく鑑賞する道具と位置づけます。

多佳子の結婚は18歳のとき、一回り年長の豊次郎とスタートをきった。
独身時代の多佳子が美術学校に通ったのは芸術への関心の顕われでしょう。
芸術・美術に理解が深かった豊次郎に薦められて入った俳句の世界らしい。
その豊次郎を多佳子が尊敬し・愛したのは当然の成行きに違いなかった。

橋本多佳子/年譜

2014年10月03日 | 橋本多佳子-鑑賞

1899年(明治32年)1月15日。東京都本郷区龍岡町に生まれる。
19**年    菊坂女子美術学校日本画科中退。(病弱のため)
1917年(大正 6年)18歳 橋本豊次郎(30歳)と結婚する。
1920年(大正 9年)21歳 小倉に「櫓山荘」を新築し・転居。
                櫓山荘は小倉の文化サロンとして利用された。
1922年(大正11年)23歳 高浜虚子を迎えて俳句会を開催。
                杉田久女も参加。多佳子は接待役を務めた。
1922年(大正11年)23歳 杉田久女の手ほどきで作句。結社・ホトトギスに投句
1924年(大正13年)25歳 杉田久女の門下となる。
1929年(昭和 4年)30歳 杉田久女が「ホトトギス」同人となる。
1935年(昭和10年)36歳 山口誓子に師事。水原秋桜子の「馬酔木」同人になる。
                山口誓子と「ホトトギス」を離脱する。
1936年(昭和11年)37歳 杉田久女が「ホトトギス」を除名される。
1937年(昭和12年)38歳 夫・豊次郎死亡。葬式後、ノイローゼで心臓発作が続く。
1944年(昭和19年)45歳 奈良・菅原にしばらく疎開する。娘4人。
1945年(昭和20年)46歳 十月に杉田久女は保養院に強制入院させられる。
1946年(昭和21年)47歳 久女、大宰府で孤独死(1月21日)享年57歳。
1946年(昭和21年)47歳 西東三鬼・平畑静塔らと「奈良俳句会」始(27年迄)
1948年(昭和23年)49歳 山口誓子主宰の「天狼」創刊に三鬼等と参加・同人。
1948年(昭和23年)49歳 「七曜」を創刊する。
1950年(昭和25年)51歳 「七曜」の主宰になる。
1952年(昭和27年)53歳 「心臓発作」の記録あり。
1954年(昭和29年)55歳 夏、多佳子は大宰府を訪れ、杉田久女を偲んでいる。
1956年(昭和31年)57歳 「心臓発作」の記録あり。
1958年(昭和33年)59歳 「心臓発作」の記録あり。
1959年(昭和34年)60歳 高浜虚子が死去。享年85歳。鎌倉の地に50年。
1960年(昭和35年)61歳 2月、胆嚢炎を病み入院。年末に退院したが…。
1963年(昭和38年)64歳 2月、入院、前日に時世(らしい)2句を認める。
1963年(昭和38年)64歳 大阪にて逝去。5月29日(多佳子忌)

いなびかり北よりすれば北を見る

2014年10月01日 | 橋本多佳子-鑑賞
                    

私が惹かれる俳句は哲学があるものだけど人はそれぞれですね
「俳句に哲学ってなんや」とお思いのかたも多いと思いますし
俳句に哲学がないからといって決して駄目なわけがありません。

哲学は人の生き方に関わる概念と言えば好いかもしれませんが
コンセプト?テーマ?構想? ドラマ作りも同じと思いますが
とにかく笑いをとろうとか、温かい中身にしようとか考えます

行き当りばったりで五七五に作る作業はかえって難しいもので
与えられた命題を満足させる作業のほうが楽ではないだろうか
急に命題を作るのも難しいから行き当りばったりになりやすい

漫才屋は四六時中笑いのネタを考えることに忙しいだろうし
饅頭屋は美味しい材料や加工の仕方を工夫し考えるのに忙しい
それで皆も自分の目標を意識しつつ暮らすことになるのだろう。

なにを目標にするも人それぞれだが、私的には哲学が断然いい
また哲学といえば人を幸せにしたいと願う哲学は居心地がいい
恋愛・旅行・スポーツ等など‥好みは人毎に異なって当然です。

人間をコンセプトにした俳句が大好きな私は橋本多佳子を選る
温かい人間性が感じられる‥これは橋本多佳子の持ち味なんだ
このように理解して鑑賞するときに私好みの解釈が叶えられる


いなびかり北よりすれば北を見る‥句が導くから私は楽ちんだ
方程式に則って句を眺めると方程式どおりの結果が露わになる
古語・文語体の約束に則って答えに導かれるから当然ですよね。

いなびかり‥辞典のままに読み解くだけな私の解釈ですが
稲妻・稲夫・稲を実らせる実りの秋の自然の力と想像は膨らんで
いなびかりは怖ろしい存在でなく、人々に有り難い知らせでしょ?

北よりすれば北を見る
それほど有り難い存在が北の方位で合図を送ったのに無視はない
多佳子にとって有り難くて威厳に満ちた存在と言えば夫でしょう
敷地の北側に高い樹木を植えるのは玄武の護りに通じるでしょう

北で稲夫(いなづま)の気配がしたのは多佳子が護られている証拠
そのように捉えるとき、妻・多佳子は咄嗟に夫・豊次郎を想った
護られていると思って感謝して暮らす多佳子は天の摂理に適う人

夫婦・家族・地域・社会のあり様を謳った句とも捉えられますね。



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母と子のトランプ狐啼く夜なり

2014年09月27日 | 橋本多佳子-鑑賞
              

お題の句、私は好きで好きで堪らなく好きなんです
私が好きだからと他人に好みを推しつける積もりはないが
この句の好さがどうして分んないのかなあ‥ですよ (笑)

酒呑みは酒を呑まない人が理解できないし
甘党には頬っぺたが落ちるほど美味しい饅頭だけど
そんなものさね オッカサン。否々、それはこっちの話
因みに私は饅頭をさかなにして酒を呑む口です。 アセ
いやいや、神聖な私の俳句の場でダジャレは止めとこ。

母と子のトランプ‥そもそも知らなきゃ話にならないが
独りぼっちで育っている人はきっと多いと思う
いくら大勢のなかにいても孤独は生まれる訳で
幼い子に選択肢はなく、孤独はオトナから推しつけられる
小遣いたっぷりだからゲームソフトは幾つも持ってる
それで孤独の意味も知らず、孤独かどうかも分らない
どうなんだろ、この構図で日本は流されていると想うが‥。

だがその構図でヨシとする社会で奴隷は孤独じゃないのか
に曳かれる牛馬 -ドナドナは孤独でなかったのか
大勢の牛のなかで牛は孤独に気づかずとも孤独死を迎える
大勢の人のなかで人は孤独に気づいて孤独感のなか死する
死ぬ間際まで孤独に気づかないからといって安心するのか
そんな私、だから母と子のトランプに胸が熱くなるのです

幼い子には何が恐いといったら、狐なんかどっちでもいい
母のいない時間帯に耐えられる子供はどこにもいない
ご馳走なんかより、遊び場より、何よりも母が好い
母と過ごしていて我がままできる訳ではないから
あなたが母と子のトランプに惹かれないのは無理ないが
いやいや、私の想いを推しつけて何の意味があろう

狐啼く夜なり‥大丈夫だいじょうぶ、恐くなんかない
なにせ母と一緒なんだから狐なんてヘッチャラだよね
その証拠にケラケラキャアキャア笑って騒いでいる子ども
これはココだけの内緒話だが 私は大声で嘆いたものです
大都会の狐はどう啼くのか、田舎者の私はコーンだったが
「コーン・コーン」と嘆いた私。来ん・こん・コーン!

表をとおる本物の狐が驚いて逃げてったか知らん
いやいや、トランプ遊びは良い札を待つ遊びだから
良い札が来なければ七並べも婆ヌキも勝てないからね。
「来い来い来い」なんて言ってるうちは好いのだが‥
ともあれ、わが家の母と子のトランプは賑やかでした。
橋本多佳子の俳句の温もりが大好きな私です。



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星空へ店より林檎あふれをり

2014年09月26日 | 橋本多佳子-鑑賞


橋本多佳子のこの句は多くのブログで採りあげられている

林檎は価格的に大衆的な果物で誰もが親しみを持つと思われる
林檎ジャムや林檎ジュースは家庭でお馴染の定番メニューだし
野菜サラダの味を甘く風味豊かに引立てるスグレ物の林檎だし
料理の下味付けに林檎が感じられると豪華な気分になる私だし

そうはいっても林檎に余所よそしいイメージも私は持っている
西洋をイメージするのは白雪姫かウイリアムテルの影響なのか
あるいはアダムとイブの楽園の林檎の話を想い出すからなのか
つまりそれほど異国的な果物だと私に想われている林檎なのか

多佳子の林檎はどうなんだろう‥私のと同じものなんだろうか
木箱のモミ殻のなかから現れる林檎は本来の光を失ってみえる
それを私の掌で擦ると糠が剥げて美しい輝きを取りもどすのだ
あたかも夜の雲のすき間にチラチラ揺れてみえる星々の照りだ

豪華な王冠の輝きでなく、ダイヤの指輪ほどの意味もないかも
地に落ちている微細な砂粒の欠片に光が反ねたほどの輝きかも
今ごろの幼児なら見向きもしない全然価値のない土石の光かも
そんな変哲ない硝子にも瑠璃と名づけて愛した時代の意識かも

それらの光が転げ転がりどんどん昇って夜空に溢れ煌めくとき
それらの光は自己主張せず互いに認め合う穏やかな世界を作る
光と光・お互い補い合って天を埋めつくすまで広がっていって
そんな光が星星となって地上を柔らかく照らしているこの世界

もしそれが本当になったらと想像して林檎が並ぶ店頭を眺める
足るのかな不足かな、大丈夫、こんなに溢れている林檎だもの
いやあ、私はとっても愉しい夢を見ていたみたいな気持ちです
       星空へ店より林檎あふれをり




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祭笛吹くとき男佳かりける

2014年09月25日 | 橋本多佳子-鑑賞
祭笛、この句も引用した手前どうしても述べておくべきでしょ!
大阪の祭りと言えばそりゃあもう天神祭でしょう
私がとりあげる迄もないがここはイッチョ噛み根性ですな

‥天神祭はお姐さん・お姉さんたちが着飾りますな
女性はなんかあると着飾る、それ観てるだけで私は幸せやあ

祭笛吹くとき‥ほなら男の出番は何時やいなあ‥祭でっしゃろ
有り余ったる力を漲らせて誇らし気に吹いたり踊ったりの男な
なにせ目立ってナンボの大阪ですわな、こりゃあ頑張りますな

男佳かりける‥奇麗どころばっかりやない、恋人も観てるしい
うっとりして見惚れてると知ってるから、男は単純なんがいい
けど、ドヤ良かったやろとか、独りよがりはアカンと儂は想う

佳い男は、ホンマに佳い男は自ずから輝くと多佳子は知ってた
同じ男として、私はやっぱ謙虚にならんならんと想うわけです
男のホンマモンの色気に女性はもうメロメロや‥好いですなあ。




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雪の日の浴身一指一趾愛し

2014年09月23日 | 橋本多佳子-鑑賞
あなたが俳句を続けられているのはどうしてだろうか?
そんなことは人それぞれだから一概には言えないだろう
飽きっぽい私なのに俳句が続いているのは、或る意味変
その変な現象が何年も続いているから自分でも驚くのだ
こんなこと今まで考えたことなかったのに今日は考えた

なにも難しいことでなくて、川柳を続けてる人がいた
川柳ぐらい続いている人はいるさって言っちゃいますか?
その人は川柳のお師匠さんに衝撃を受けたらしいんです
事情があってお師匠さんに習うことは出来なくなった‥
ただ、お師匠さんに川柳の芽を出させて貰ったみたいで

それで私も合点がいった、いや、勝手に納得した次第で
同じだって、私の俳句が続いているのも同じなんだって
衝撃を受けて、ただ衝撃を受けたことに気づかなかった
いや、今日気づいた訳で、染まりたいと想い続けてきて
同じ俳句を詠めたら好いなと想いつづけて今日に至った

いろんな俳句のスタイルはあっても納得の俳句は少ない
芭蕉もいい、杉田久女も好い、みんな素晴しいとは思う
だが染まりたいと想わない、私には私のスタイルがある
大概はそうじゃないのかな、いつか抜いてやる‥とかね
もっと上手く作ってみせるとか大概の人は考えるんだな

たしかに私の場合も不満があればそれを抜いて先を急ぐ
不満がないゆえに同化したいと考える‥私の場合だけど
私の中にない優れた感覚には同化することを望まないが
私は親に似ない鬼っ子だから、俳句も似ない定めなのか
鬼っ子でも親は好きだし、好きな俳句はあるのだろうな。

 雪の日の浴身一指一趾愛し

橋本多佳子の最後の推敲中の作品二つの中のこれは一つ
未完で未発表の作品、雨ニモマケズと同様、世間に出た
推敲中にも係わらず私が大好きな俳句の一つに違いない
この句を観ているだけで私の過去の色んな想いが露れる
一つ一つのパーツに分解して読み解くとき味わいは増す
この句は切れが多いという批判はちっとも気にならない

雪の日の浴‥瑠璃ガラスの窓は外の冷気を遮断している
大雪なのか吹雪いているのか想像を膨らますのは自由だ

身一指一趾‥女性の身体を切り刻む想像は私ならしない
もちろん切り刻みたい趣向の人はいるかも知れないなあ
胴・胸・肩・うなじ・腕・指・脚・踝とつながる姿態だ
いくら想像しても想像し飽きることを知らない私なんだ

愛し…自分の姿態を愛しく想うのは風呂の外でいいんだ
お風呂では大事に大事に磨いて愛してあげるに違いない

そう想像して丁寧に洗っている姿が浮かんでくる
 <ゆきのひのよく/みいっしいっしあいし>

雪といっても東京の雪・京の雪・里の雪、それぞれ違う
人々は自分の田舎や今住んでる地の雪を想像するだろう
おざなりに湯に浸かってあがる私もあなたもいるだろう
家元の跡取り多佳子は貴重品を扱うように丁寧に洗った

くり返すが、男の目線は女体をパーツと見做さないんだ
ゆっくりゆっくり、これはお金持ちの旦さんの目線だが
慌てず焦らず一つだけの芸術品を観察するように眺める
旦さん目線には、女体は切れるようでも決して切れない
日曜俳壇のようにでなく、じっくりしっかり味わいたい

俳句は一人歩きするから
女体をいかように切り刻むのもあなたの勝手ではあるよ。
そういうことで時どきは橋本多佳子の俳句を鑑賞したい。

万緑やわが額にある鉄格子

2014年09月13日 | 橋本多佳子-鑑賞
昨日触れたこの橋本多佳子の句に私が衝撃を受けたのは
自分を鉄格子に閉じ込める傾向に染まっているからだろう

それは元気溢れる命が自由を謳歌している万緑のシーズン
ところが杉田久女は目の前に鉄格子に閉じ込められている
久女は己の自由が奪われるなど想像しなかったはずなのだ
前向きに取組んで近代女性をめざした揚句の非情な鉄格子
どこの誰に人を鉄格子に閉じこめる権利が与えられたのか
今なら人権問題として救いの手を期待できるかもしれない
今でも人権に疎くて鉄格子の意味を考えないかもしれない
現に久女の鉄格子に疑問の声があがったのを私は知らない
詩は人間勝利・人間宣言の叫び‥これは私の思想です
すなわち、私の句は人権の側にスタンスを置くことになる
人権派の芭蕉は「古池や」と詠んで蛙を庶民の側に置いた
もちろん俳句を楽しみとして少しの問題もないのは当然で
ただ私は人を鉄格子に閉じこめる非情さだけは容認しない

鉄格子の久女をみて多佳子はナニを想ったのだろうか
「わが額」に我が額・吾が額を読ませたいのは当然として
詠まれた俳句は詠み手を放れて読み手と一人歩きしていい
そして「わ」‥琶・娃・環・夬・窪・夥・佗・頒・禍・啝
・釆・剖・倭の「わ」が私の射程に入ってくることになる
琶(澄み清らか)で娃(美しい)お嬢さまの面影は見られるか?
環(鼻環)をつけられたり・夬(えぐり取られ)てはいないか?
窪(きずつき・ゆがんで)・夥(ひどい)目に遭っていないか?
禍(わざわい)を被り、佗(遣る瀬なく)過ごす日々だろうか?
頒(白髪・まだら)になって・啝(したがう)毎日ではないか?
額から釆(爪)まで・剖(判断)を過たず観察できただろうか?
倭(日本)で起きているホンの一例に過ぎないかもしれない。



     心の鉄格子

嗚!大地は今や万緑に蓋われている
多佳子の青春が始まったのも今の季節だった。
いつも鉄格子の中にいて過ごしてきた気がしていたけれど
己が作った鉄格子は己が開けて外に出られると知っている
鉄格子が初めて開いたのは櫓山荘で、久女に助けられた
次は誓子とともに「ホトトギス」の鉄格子を開けて出た
疎開した先の「奈良俳句会」では堅い鉄格子が破れたっけ
多佳子の鉄格子をこうして次々破って自由になれました
そうして久女さんに今・話し掛けているのは分かるかしら
もう勝手に出られないけど、魂はいつだって自由なんだよ
あなたが自由になれたなら私の最後の鉄格子も開くのだよ!


いやいや、多佳子の心は判らないけど多佳子のツモリです。