daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

2014年09月24日 | 俳人 - 鑑賞
Google検索のイの一番に出てきた句がコレ。
「じょや」で変換したら「女や」と出た、オイオイ \(◎o◎)/!
除夜と云えば「去年今年貫く棒の如きもの」が条件反射の私だが
今年の年末には私も新たな転換点を迎えることになるのだろうか
それは兎も角‥

除夜の妻‥現実にはテレビを流れくる電子音で、どなたも同じか
それで再確認、森澄雄、大正8年生まれ、だがどこか明治の匂い
明治の女性に惹かれて幸せな人だったのか!?

白鳥のごと湯浴みをり‥ぅ~ん、いつの作品か、それは置くべし
おそらく再晩年まで惹かれ続けたと信じたい私がいる
若妻も若者には似合うが、古女房の深~い味にはどうしても劣る

大正の男は恐らく除夜の鐘を聴きながら年越しソバを食べたろう
その前に湯浴みでスッキリ気分、つまり生まれ変って新妻になる
その大事なだいじな行事の湯浴みなら御神体を浄める式典なんだ

男・森澄雄はこのような気持ちで愛妻の湯浴みを観たのだろう
但し現実は別なんだ、つまり普段からの夫婦関係次第だってこと
祭笛吹くとき男よがりける‥独りよがりの男はぜったいに駄目だ

ともあれ森澄雄は白鳥を観る資格を得ていたと思いたい私であり
だから大いに忍耐強さor鈍感さを兼ね備えていたのかも知れない
そのようなことまで想像すると、俺もと続く男が増える気もする

いやいや、堪能させていただきました。合掌。

母よ母よ

2014年09月24日 | 俳人 - 鑑賞
今朝のネット回りで私的にとても面白いと感じる句に出合った

■西国の畦曼珠沙華曼珠沙華

作者のお名前は存じ上げていたが、兎も角ネット検索
森澄雄氏 2010年8月18日鬼籍簿入籍 91歳。

語感と言い、リズム感と言い、光景が見えるようだ
私はなにも托鉢僧を見たのでなく、普通の人の普通の生活だ
特別なことでもなく伝統行事でもなく、日常の姿の人たちだ

曼珠沙華の世間のイメージは盆花・死人花など芳しくない
この芳しくないイメージを植えつけたのが誰かは知らないが
そりゃあ、毒花と言ってしまえば‥否定し難いか知れないが
それじゃあ何かい‥と反骨心が頭をもたげ睨み返したくなる

自然界に無かった毒を鷹揚に認める気はさらさら無いが
人間が余計なことしてバラ撒いた毒を認める気はないが
自然と上手に付きあってれば毒も薬に‥否いや止めておく
俗悪と比べられたんじゃあ、曼珠沙華が浮かばれまい

曼珠沙華曼珠沙華と唱える声が母よ母よに聴こえた私です
このように詠む人が人に悪さすることは滅多にあるまい
女性が詠む句とも想えないが、男性の句でもない気がして
それで森澄雄に関心が湧いてカテゴリーを作ってしまった

わたしは往々かん違いする人だから観察しなきゃ‥って
いやいや、長生きしなきゃ何もかもは解決しないままだな



詠3・読7くらい?

2014年09月17日 | 俳人 - 鑑賞
俳句は人が自然に融け入り一体となるのに重宝なもの
このように想っている私に有り難~い効用がある俳句
それはそれで好いのだけれど他にも効用はあるのです

俳句をつくるのなら易しい言葉がいいとも思っている
易しい言葉なら子供も幼児も使っているけれども
むずかしい言葉は子供は無理で大人にならなければ‥
だが実行できれば良いが易しい言葉で俳句を作れるか?

雪の朝二の字二の字の下駄のあと 田捨女(5才)

数えで6才の幼児が詠んだにしても漢字はないだろ‥
平仮名なら「ゆきのあさにのじにのじのげたのあと」
片仮名なら「ユキノアサニノジニノジノゲタノアト」
明治生まれの女性は片仮名に慣れてた気がするけれど
それにしても 童女の目に映ったのは無数の「=」の形
平仮名「こ」、片仮名「ニ」、数字なら「二」のどれか?

ともあれ、幼児目線に見えたものは何なのだろうか‥
いやいや、齢とると邪念が雑ざって見えなくなるのか
こう考えて辞書を手放せなくなった私なのであり
他者が作った俳句に知恵を借りることが増えた私です
他者の分りやすい俳句を前に自画自讃できなくなった
それで語彙は増えて難解な意味も憶えることができた

近いうち好きな俳人を読んでまいりたいと思っています

エミール

2014年09月16日 | 俳人 - 鑑賞
昨日からアップしたプロフィール画像の鹿、名前はエミール
いやいや、鹿(置物)に命名とは‥危ない人に想われたかも、アセ
危ない人‥思われついでに、エミールの記事もヨロシケレバ‥
三年も前の記事‥私の想いがいっぱい詰った大切なエミール

名づけてから「どこか聞いた名前だな」と思って検索して
すぐに見つかったルソーの「エミール」‥教育論ですね
私のエミールとルソーのエミールは共通するから厭な訳なく
吾がエミールは傷モノ、彼のエミールは傷つく心をなくしたい

プロフィールの画像はブログの象徴で大切に思っていて
それで美女にしようか考えて私の可愛いエミールちゃん
初めてご覧になると反射的に買い替えたらいいとか‥想いそう
大切な存在は決して見掛けじゃないってこともみんな知ってる。

 病葉が来しかたなれや秋ゆきゆく

来しかた : 元の場所・元の季節・原点
行き行く : どんどん進んで行く



情報の切売りをマネるか?

2014年09月16日 | 俳人 - 鑑賞
大手のIT産業は情報収集して商っている
それはそれで金儲けの手段として合法だ
だがユーザーがマネるメリットはあるか
私たちがIT企業を模倣する意味はない‥と思う

そんなコセコセしないで
本物のユーザーらしくネットを楽しもう
こう決めると誰に遠慮がいるものか!
想うこと・考えることをズケズケ言う私

大相撲を観て
オレもオレもと雪崩を打って相撲とる意味はない
私はそう思う、だれでも相撲なら分るのだろう‥な

感覚を研ぎ澄ませば

2014年09月16日 | 俳人 - 鑑賞
私のPCの始まりはタイプライター感覚だった
そのころ、タイプライターを借りて練習していたが
それはアルファベットを打込むタイプライター
20年ほども前に、そんなもの覚えてなんになるか?
じつはそのころワープロが世間に出回り始めた
キーボードの並びはタイプライターとあまり変らない
ワープロは私には高根の花で、しかし欲しかった
だが買っても使いきれずに投げ出す恐れはないか?
とまあ思考錯誤してタイプライターを借りた訳だが
初めてのキーボード、否、♪キーボードは持ってたが
洋画で観たタイプライターの指さばきは神業に見えた

独学でひと月ほど練習した私に自信が芽生えた
やれる、やれる‥タッチオペレーリョンも出来ないで
それで思いきって買ったワープロならぬPCだった
その当時は一太郎の全盛期で私も色々お世話になった
ブラインドタッチをどうにか覚えたころYAHOOを知る
それはインターネットに価格革命を起す情報だった
私のなかのyahooは当初から安さを武器に現れたっけ
私のPCもインターネット出来る触れこみだったっけ
いやいや、その情報で一気に世間も動き出したと思う
才能がない私はボチボチのタッチオペレーションで
今もワープロ感覚を脱け出す気配なくノンビリ気分

情報社会と言うが情報共有社会の意味ではないらしく
情報独占競争社会というのが実態であるようだ
どう情報を己の専有物にしようかと虎視眈々の世界
この奪い合い感覚を叩き潰さなければならないようだ
このことだけは間違いないこととハッキリしている
俳句をたしなむ私のアンテナはそう宣告している。




詩形の日記がいいな

2014年09月15日 | 俳人 - 鑑賞
近ごろ散文詩っていいなと思う
日記は思っていること書いてもいいが
その横着な心が文体に露われるだろう
ともあれ、詩作で吐きだすことはない
少し高尚な気分を醸して言葉を紡ぎたい

一行詩は私には会話の一部であり
俳句・川柳・都都逸・狂歌等も散文に取り込める

然れど日記

2014年09月14日 | 俳人 - 鑑賞
青空に気を緩めて扇風機を回して寒くなる
遠くの位置から弱にして送風したのだけれど‥
一気に夏から秋へ切り替わり、すっかり秋だなって想える

・仕舞おうか未だまだな夏扇風機

・人様のオメメ汚すも然れど日記

・気楽でも続けられたらいい日記

杉田久女・考(2)

2014年09月12日 | 俳人 - 鑑賞
(これは過去記事を再編集したものです)

杉田久女がモチーフになった小説「菊枕」(松本清張作)
以下に「菊枕」に観た私が感じるままの久女像を述べた。
「青色文字」の文は「菊枕」からの引用です。

美校出であれば相当な芸術家になれると思った錯覚のはなはだしさは彼女に似ず愚かである。事実、彼は授業に熱心であった。中学校の先生ながら絵の教師としては最良を志したのである。しかしこれはぬいの気に入るところではなかった。ぬいは圭助が展覧会の出品一枚描こうとしないのを不満とした。

世間の評価を判断基準とする人は多いし、久女もそれは同様で
久女が基底に置いた理想の男性像の基準は偉大に想っていた父。
久女がみた父は安心できる存在で、偉大な父をみて育った娘が
夫に望むものは父親に似た男性像になるのではないだろうか。
久女の父は高級官僚であり、赴任した先々で威厳に満ちていて
周囲に威圧感を与えていたと考えたら分りやすい。
久女の父がこうと言えば周囲の人たち全ては整然として父が示
した方向へ進む、いわゆる官僚世界の秩序が私には想像できる。
官僚の父親は同じく官僚の世界から娘の婿を得ようと考えるの
が私には普通に想えるが、その縁がなければそれに代わる世界
で娘婿を探そうとするだろう。それで恐らく久女は父親の知己
の息子との縁を結ぶに至ったと考えることになる。
親同士の関係は子供同士の関係にまで強い影を落としたと理解
したとき、私には久女の父と知己の関係がみえてきた気がした。
無視できない精神的な圧力を夫・宇内が感じたなら、妻・久女
に対する彼の一連の言動・姿勢となって顕れて当然である故に
夫は妻に対して遠慮がちになるだろう。そしてまた遠慮勝ちに
見える宇内の態度が久女には男らしく映らなくて、父親とは逆
の頼りない男の妻になってしまった不覚・不幸に見舞われる。
宇内が断固として久女を諌め、そして妻が夫の言葉に威厳を感
じたなら逆らわない久女だったろうし、己の言い分の無理を知
ったなら誇り高い性格ゆえに久女は夫に随ったに違いない。
夫が理路整然とせず、断固として拒否せず、その場をやり過す
ことに追われてノラリクラリして見えたとき、妻の信頼を失う。
久女はやり場のない不満、行き場のない絶望感に囚われて呼吸
困難に陥いるだろう。健康な人はその不健康な空間から脱出を
試みるのは当然で、ある人は暴れ、ある人は泣き、家出したり
閉じ籠ったりと脱出の手段は人それぞれでしょう。芸術に関心
が高かった久女は閉塞状況を脱け出す路で俳句を見つけた。

ぬいも彼を客に引きあわそうとはしなかった。彼も客に合うことを好まない。やむなく家の中で顔を合わす時は、ちょっと頭を下げる程度であった。

決して穢されてならない世界・久女の聖域。そこへの出入りを
許されるのは芸術の仲間だけであり、好い加減な姿勢で聖域が
踏みつけられるのは久女でなくても耐えられないだろう。それ
が夫というだけで侵入を許される筈なく、夫・宇内は拒まれた。
久女の大切な句作の営みであれば他人にも大切に扱ってほしい
だろうし、意に添わない者は近寄らせるのも厭だったと想える。
初めの宇内への期待が大きかった分、反動は極端に過ぎたかも
知れず、裏切りみたいな意識が働いたかもしれない。そうなら
夫に対する久女の物言いに言いしれぬ澱のような空気が感じら
れたかも知れない。そこにいてはならない影を見つけたときは
あなたならそれにどう反応したり・対応しようとするだろうか?

初めて瀬川楓声が九州に来たのは、大正六年ごろであったろうか。『筑紫野』社同人あげて歓迎したが、楓声が福岡滞在中の三日間、ぬいは毎日朝から晩まで傍に詰めていた。句会とか吟行とかが毎日つづいていたのである。この時、ぬいの楓声に対する態度は、他人から見ていささか含嬌にすぎたという。

時代の風潮に合わなければ、人はとんでもない噂を流し、流さ
れるということは考えられる。一般に通じる久女の言動に触れ
て、彼女が特別変っている人格者だとは誰も思わないでしょう。
清張のこの文節から久女を貶めるなら、それは現代の女性を罵
ってハシタナイと言っているに等しく、しかも罵っていること
に己で気づかないならその人は文学の嗜みがないと解釈できる。
菊枕のこの文はそういったことに鋭い洞察力をもっていた清張
の戯れが看て取れて、読者で遊ぶ清張のこれはエスプリなのか?
もっと言えば菊枕は久女を悪く書いてあると受けとめたがる人
についてはどう理解したら良いだろうか。菊枕のどこに久女の
悪口が書かれているというのか、それがとんと分らない私です。
じっさい、無い袖は振れないが私の心にない考えは顕れようが
なく、それとは逆に柳が幽霊に見えるのは心の中に隠れる感覚
が清張の菊枕を縁として顕れたことになる。
菊枕は久女の悪口なんかではないから幽霊に怯えてはならない、
清張はそう囁いているように私には思えてならない。推理小説
に長けた清張は幽霊を見せる仕掛けを楽しんていたに違いない。
その点、久女は芸術に関して人を悪く誤解させる性癖の持合わ
せはなかったと私は考えている。

ぬいは俳誌『コスモス』に投句しはじめた。『コスモス』が天下に雲霞のごとき読者を持ち、その主催者宮萩栴堂が当代随一の俳匠であることは、俳句に縁のない者でも知っている。楓声が栴堂門下の逸足だから『コスモス』への投句は彼がすすめたのであろう。
ぬいの句は『コスモス』の婦人欄に出はじめた。大正六年秋、栴堂選の雑詠に初めてぬいのものが一句載った。ぬいはその句を短冊にかいて床懸けにし、神酒を供えて祝った。

既に触れたが「他人から見ていささか含嬌にすぎ」るのは現代
日本人一般には通じるとしても、ここでとやかく騒ぐのはそう
いった方々に任せたい。菊枕はそうでなく、久女は俳句を其れ
ほどまで大切に想って接していたと菊枕は述べているのです。
それほど俳句を大切にするぬいが次にとる行動は最高の舞台を
言霊に用意して舞ってあげたいと考える。この最高の舞台とは
『コスモス』であると信じて疑わないぬい、彼女は眠る間をも
惜しんで修行に一所懸命に励む。そしてその立派に舞ったぬい
の句に松本清張は神酒を供えて祝わせてあげている。ぬいの句
は単に言葉の切り貼りでなく言霊である、清張はそう理解した
のだろう。これで久女の俳句への想いは具体的になった。松本
清張が久女にみた真実もすこしは理解できたつもり。それゆえ
菊枕に関してこれ以上述べる意味は感じないが、強いて付け加
えるなら、清張のように久女を良く理解しようとしたのは誰だ
ろうか。私が知る限りでは「万緑やわが額にある鉄格子」かな。
この句は橋本多佳子が久女を見舞ったときの句らしい。
久女は宇内の手で鉄格子に閉じ込められます。久女の父が元気
で庇護が得られたなら、愛する父が久女を鉄格子に入れるまい。
そう考えたとき、実家で休養をとった高村智恵子と杉田久女の
姿が重なり被さって私の心には止めどなく涙が溢れてならない。
実家の経済援助を受けられなくなった智恵子はお荷物にされた
ようで(私の思い込みでも)それがとても悔しくてならなかった。

それにしても親の代からの繋がりの重さで久女につれない態度
をとれない夫・宇内だったように思える。ただし虚子に誌面で
咎められるようになっては「久女に非はない」と言いたくても
夫は妻の体面をこれ以上傷つけないためにも、家の対面を守る
ためにも、自分の対面を守るためにも、妻を拘束したのだろう。
それはとても残念なことに思えてならない。他の句会で俳句を
続けることなど考えられない久女、権威との巧みな交渉を覚え
る気なく、結局心を囚われ・のたうち・苦しむことになったが
家を捨てられない久女は身までも拘束されることになった。

松本清張は真実を暴くのに長けた人物という読後感!

杉田久女・考(1)

2014年09月12日 | 俳人 - 鑑賞

田辺聖子・著『花衣ぬぐやまつわる…』の読後感

杉田久女は橋本多佳子には俳句の師匠で気になる存在
それで私は久女の正しい資料を読みたいと思ったのですが
幸いにも田辺聖子氏の著書を知って読むことができました
そこに私が想っていた久女観が裏づけてあった気がした

この本『花衣ぬぐやまつわる…』で知ったのだが
親の実家は長野県松本市、久女自身は鹿児島市の生れだった
田辺聖子の長野県人観は鋭敏でとても印象に残りました
五年の歳月を費やして丹念に仕上げた田辺聖子の貴重な著作
摘まみ読みしただけで、いずれじっくり読みたいと思った

書名:花衣ぬぐやまつわる…

私なりに感じた部分を下記に抜き書きした

(青色文字は著作からの引用)
習作時代に久女は、夫と娘を題材にして詠んでいる。大正六年から七年にかけて…。

  まろ寝して熱ある子かな秋の暮      久女

  六つなるは父の布団にねせてけり     久女

夫・宇内も、この頃の久女の句にやさしく詠まれている


  うかぬ顔して帰り来ぬ秋の暮        久女

  昼食たべに帰り来る夫日永かな      久女   昼食:ひる

  獺にもとられず小鮎釣り来し夫をかし   久女   獺 :うそ

  葱植うる夫に移しぬ廁の灯         久女

こののち久女が夫を詠むことは少なくなり、あっても「夫をかし」にこめられたような緩みは流れていない。入れ替って出てくるのは、強烈なナルシシズムである。話に聞き「ホトトギス」で想像するばかりだった虚子があらわれる。虚子はこのとき四十四歳の男ざかり、晩年の温容とひとあじちがって、頬の線も引きしまり、眼が鋭いようである。自分に可能性があるということを発見するのは、久女にとっては人生観が染めかえられるほどの快い衝撃である。


 花衣ぬぐやまつわる紐いろ/\      久女



積極的な女性に多くの男性は近代女性を感じ観る
飛びまわる小鳥を可愛く想って手に入れたい男
手に入れられるものなら願いは何でも聞くだろう
それが世間の男であれば宇内も虚子も例外でない

久女と異なり、宇内は世間の歩みに合せたい男
釣った獲物をどうして自由にしようと思うものか
生簀の久女には役割りを務めてほしい夫・宇内だ
だが久女はリード紐の圏外に出ようと動きまわる

虚子も世間の常識を呼吸し、商う経営者でした
結社「ホトトギス」を順調に運営したい経営者
しかも俳句のリード役も務めなければならない
この状況のなかで虚子の奇妙な言動は露われた


それにしても
結社のリーダーと師匠が別々なら良かったと思う
虚子に代れる経営者か、句会の師匠を勤める人物
だがそれは俳句の性質上、無理なことに思われる
子規が託した「ホトトギス」を守る虚子は有能だ

師匠を超えない弟子を大勢抱えていても詰らない
虚子は常から一人立ちするよう弟子を導いてきた
優秀な弟子は巣立ち、師匠は弟子に負けられない
俳句は言霊の力量を互いに発揮しあう芸術だろう

久女がいるとホトトギスはどうなるかと悩む虚子
経営者としての虚子は何よりも尊敬する私である
つまり経営者なら、私もまた久女を切っただろう
久女を残す場合は結社を誰かに委ねねばなるまい

そう考える私は経営に関心ないから、久女を取る
気の合う仲間がいてくれたら私ならそれで十分だ
仲間と切磋琢磨して、後世に残る名句を詠みたい
俳句の目的は人それぞれ、私は私、虚子は虚子。

現実の世間は句会を大きくしたい人が少なくない
そして積極的な久女は自身が進化する道を選んだ
台所俳句を久女に進めたのは尊敬する師・虚子だ
師の指導に忠実であろうと努めた久女に違いない

久女は被写体・素材を家族や己から師匠・同輩へ
家族や自分を詠み、師匠を詠み、句友をも詠んだ
師匠に忠実な久女は今や経営者に悩みの種となる
久女の積極的な作句活動を受入れられない経営者

前に進みたい人は信号待ちさえも苦痛に想うのか
のんべんだらりの子弟関係でなく真剣勝負したい
経営者・虚子は社会常識に合せ、世間に合せたい
虚子が悪いとか久女が頑張りすぎた訳ではない

ライフスタイルの違いで両者は合わないのであり
あなたは頑張り過ぎだとも言えない経営者だろう
客に説教する商売人は倒産の憂き目に遭うからね
経営者が客と喧嘩するなら…徹底的につぶすだろ?

敵を潰さなきゃ店がつぶれる…倫理はまた別だ
久女は喧嘩してる積りはなくても、虚子には喧嘩
久女は素直な弟子…だが経営者・虚子には憎い仇
喧嘩は戦争と同じように笑いながら殺すんだな

久女の不幸は、夫・宇内が虚子の側に付いたこと
宇内がいなければ宇内を喧嘩に引込めない訳です
なにせ久女を鉄格子に閉じ込めたのは夫・宇内だ
有能は経営者は政治家で、戦略・謀略の使い手だ

憐れむべきお人好しの久女は敵の正体を知らない
お嬢さま育ちなら社会常識も政治も知らないだろ?
敵の罠に入っていって『なんでなの~?』の久女?
虚子にはホトトギスを護る義務があったからねえ。


私はこの宿になんの予備知識もなかった。全国の宿をよく知っている人が(その人も実際には泊ったことがないようである)あそこへいくなら、この宿、と名をあげてくれたので予約したのだ。名山とか名酒、名湯、などと同じように、名宿、というのもあるようで、私が今までいったそういうところは、宿の料理がよかったり、大浴場が粋を凝らしてあったり、宿のおかみさんなり、女中さんなりの人あしらいが物なれていて洗練されていたりするのであった。くどすぎず、口ずくなになりすぎず、宿の説明をしたり、たのしいPRをして客の弾みごころをいっそう、そそり立ててくれる、そういうゆきとどいた扱いをするのだが、この宿のおかみさんはセーターにスカート、ハイソックスにつっかけ、という姿で、私が外へ出るのかと一瞬おどろいてまごまごしているのを笑うように、<こっちです>と短くいうのである。といって決してつっけんどんでも意地わるでもないのだが。


都会に住む人には接客サービスは洗練されていて当然で
しかも21世紀の今は全国一律のサービスが常識だろう
全国チェーンのフランチャイズのノウハウは素晴しいし
全国どこで食べても、どの店の応答も些かの違いはない
それにしても洗練されたサービス、真心って一体なんだ?

ともあれ、一行は信州らしい一意の持成しを受けられた
まだまだ都会ずれしてない店は多かったかも知れません
そのころ‥田辺聖子氏が松本を訪ねたのは1980年ごろか
余りに大阪らしい御一行さま‥に恐縮したのだと思うが
久女は結局善く理解されたのだから、結果オーライかな


杉田久女が、信州に関係ふかいとは思いもそめぬことだった。久女の父の赤堀廉蔵は、松本市の出身だったのである。関西人の常として私も信州に強い思い入れがある。その気候といい風物といい、肌と心を洗われるような気がする。これは関西の、猥雑で如才ない、狎れ狎れしい雰囲気で育ったものでないと、理解してもらえないかもしれない。古い歴史の血のよどんだ関西の風土はなまあたたかい体臭にむれている。懶惰・放逸をそそのかす居心地よさ、けちで欲深で破廉恥で、そのくせ陽気で闊達で俊敏で、親切なような薄情なような……。


けちで欲深で破廉恥で‥親切なような薄情なような‥
歯に衣着せて誤魔化す売文屋が多い現代において、この
田辺聖子氏のような臆する所のない物言いの小気味良さ
しかも判りやすくて私は大好きでたまらない。
田辺聖子氏には宿屋の女将の好さや、久女の純真な内面
が見えるのでしょう。お上手な扱いに慣れた田辺聖子氏、
大阪で揉まれて育ってベンチャラは嫌いではあるまい…。

私は例えば宮沢賢治の作品に触れて、農民が食べられる
物は何でも食べなければ生きられなかった事情を察する。
他人の食べ残しや黴の生えた餅も食べさせていただいて、
そうして今も生きていられる私ですからね。笑。
それゆえ田辺聖子氏のフレーズにも大いに共感できる。

トップを目指す杉田久女の気持ちはよく理解できるし、
虚子が子規に委ねられた結社を防衛するのも理解できる
他人を押しのけても甘い汁を吸いたがる気持ちも分かる
分かるから彼らの悪行にも目もつむっていられるのだ
それで己が苦しむことになることも賢治同様に分かる

久女を受留め・自由にしてあげたら鬱病にならなかった
高村智恵子みたいに久女が鉄格子で死ぬことはなかった
だがその役目をいったい誰に果たせよと言えるだろうか
好かれて所帯を持った宇内も、尊敬された虚子も困る
好かれたからと責任をとらされては誰だって困るだろう

橋本多佳子はホトトギスを出るように久女に言っただろ?
いっしょに出て結社を作ろうと持ちかけて断られただろ?
鉄格子のなかに入ってしまってはもう誰も救いだせない
久女のこの性格は上流階級の環境で育まれたのだろうか
庶民としては生きられない久女だったのかも知れないな

俳句を楽しみ、生きることを楽しめたら久女は好かった
そうできなかった訳は知らないが、現にそうしなかった
人というものは煩悩に振回されて苦悩の淵におちるのか
裸で逃げだせば、俳句だけを目的に生きてたら‥と思う
名門「ホトトギス」で虚子を生涯の師と仰いだ久女かな。


そういう土地からくるとまさに信州は正反対の気がする。関西は山すらも稜線が丸みをおび、おだやかに瞑目しているようだが、信州の山の稜線は鋭く険しい。空気も人のハラワタも透明で、物がなしいほどまじめにみえる。
久女は絵心のあった人だけに、その作品にも視覚的な美しさがあるのだが、この文章なども、そのまま、水彩画のようである。
まだ絵の具の水も乾いていないような、ぬれぬれとした画面、それもその絵はどことなし、田舎の優等女学生のものしたもの、……というようなおもむきがある。稚拙や野暮というのでなしに、自然に対する素直な憧憬や畏怖が、無作為にあふれているといった感じである。久女の文章は、俳句にくらべると無技巧で素朴でゴツゴツしているが、それが好もしき信州を語るとき、いっそう言葉の角々が立って擦過熱を帯びたように熱っぽい。
久女は頭のいい女だったし、プライドも高かった。物かなしいほどのまじめさで、すべてに真摯だった。自分が正しいと思うことは率直に主張してはばからなかった。



凡人は芸術家になるよりも経営者になりたがるものかも
非凡な智恵子や久女の才能に御主人ではとても及ばない
煩悩の男にリード紐を渡した時点で芸術の道は絶たれる
それは悲しいけれど覆しようのない現実と言えそうです
卑弥呼といい、天照大神といい、女性が築いた土台でも
リード紐を男に渡した時は返すのを渋る男性に違いない。


そしてそういう人を前にしたときの世間の混乱と当惑がどんなものかを、想像したこともなかった。久女は誰にも追従しないし、とりまわしもしない。柔媚円滑、お愛想をいう文化圏の人ではない。口と腹と別、ということは絶えてない。久女が尊敬するといえば、全身全霊をあげて尊敬する、そういう人であったように思われる。悪気は
微塵もない。クダクダしい修飾語は省き、ただちに核心に入る会話をする。ある場合はそれが、繁文縟礼に馴れた人に衝撃と違和感を与えたのではないか。

久女が笑うとどこか凱歌のようにひびき、口を引きむすぶとキッとしてみえ、語尾は切って捨てるようにひびき、対する人をおびやかしたのではあるまいか。それが次第に齟齬と誤解を生み、久女は正確に理解されることが少なくなった……そんな気がする。

そういう人は、何もしないでも世間から仕返しを受けてしまう。漱石の「坊っちゃん」に出てくる中学生は、やや時代が古いけれども、少年の悪ふざけはいつの時代も同じようなものであろう。悪ふざけというより、ユーモアのかけらもない、いじめである。漱石が田舎者の、野暮でそのくせ執拗陰険な悪戯に腹を立てたように、久女もゆるせないのである。宇内のように取るに足らぬ些事だとわらえない。

いったい久女には、ちょっと被害者意識のつよい気味があるのだが、それはある種のカンというか、自分の居場所を測定する自衛本能のようなものが欠けていたらしく思われる。欠けているというか、装置が故障しているというか、すべて事実以上に増大されて受けとられるところがある。そこが漱石と久女の差異であろう。漱石は現実を突き離すことで自分を守り、久女は正面から四つに組んでまともに敵対してしまう。

この当時の家事の煩雑さを知らなくては久女の心労はわからない。朝起きると、かまどの下を焚きつけて御飯を炊く。七輪に火をおこして鉄瓶をかけ湯をわかし、味噌汁や惣菜をつくる。現代のように電気炊飯器、掃除機、洗濯機などないのだから、ハタキと箒掃除をする。着物の洗濯は解いて洗ってまた縫い直さねばならない。自転車も車もあるわけはないので、買物にゆくのも長みちを歩く。時間とエネルギーの大半を家庭経営に費やさなければならない。

無意識のうちに久女は父に頼っていたに違いない。久女は肉親離れのできていないところがあって、夫よりも実家に心寄せが篤い風がみえる。


  虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯        久女


この句は、久女を解放させる存在の必要性を感じさせる
田辺聖子氏の文章を見ても懐の深い主人の存在を感じる
リード紐で久女を括ることなく、護る目的で使えばいい
高村光雲の息子は智恵子の才能を解放しなかったけれど
虚子に順じた宇内は妻・久女の才能を閉込め葬り去った

宇内に才能が無くて久女の足を引張った訳ではあるまい
時代に順じた生き方を良しとした夫・宇内だったのです
その当然の帰結として綱を引締め・動けなくしたのです

妻は夫を陰で支えるべしと考える高村光太郎の例がある
田辺聖子氏のように輝かせてあげたい夫もいるでしょう
妻を籠に入れるか、羽ばたかせるか、夫には二種類ある
久女と智恵子の共通の過ちは夫を正しく理解しなかった

  虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯       久女

そもそも、
この句を正しく評価しない経営感覚を師匠と仰いだ過ち
それにしてもこの句を高く評価した記事を私は知らない
これが現代俳句界というなら、久女の悲劇は繰返される
私にはそのように思えてならない。

虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯

2014年09月09日 | 俳人 - 鑑賞
天才・杉田久女の俳句は何べん口ずさんでも飽きない
この句には二人の人物名が入っている
虚子は久女の師であり、久女を晒しものにした人物

近代俳句の祖・正岡子規の教えに忠実だった久女で
高浜虚子は子規の直弟子で子規俳句をよく知る人物
理屈からは子規に忠実な孫弟子・久女を責められない

虚子はなぜ久女を遠ざけ苛めたか、常識的には分る
常識的には虚子の心情を理解しつつそれでも思う
「あなた、子規の後継者だろ? 久女の師匠だろ?」

それよりも、この句を引合いに出した訳が私には大事
正岡子規は写生俳句の発案者・提唱者といえるだろう
写生俳句といっても当然、俳人ごとの差異は生じる

ここでは子規の思想を客観写生というに留めたい
主観で詠むのでなく、対象を客観的に捉える
その対象を写生するように一句に仕立てることになる

対象は鑑賞する人ごとに捉えかたは異なって当然で
それで出来あがった句は詠み人ごとに異なる訳で
芭蕉の「古池の句」が客観写生と言えるだろう

ところで久女はあろうことか師・虚子を詠んだ
客観写生して虚子を怒らせてしまった
怒った虚子も師匠らしくなく大人らしくもない

師匠だけでなく、弟子「かな女」も詠み込まれている
久女も「かな女を詠んではいない」と言えない
巧いこと「虚子は嫌いかな」という遊びが入った句

いずれにしても分りやすい仕立ての句になっている
久女の遊び心といって笑っていられるのは部外者で
結社・ホトトギスで遊ばれては虚子の面目が立たない

私は虚子も久女も分るからどちらも非難しない
久女はホトトギスを出るべきだったとだけ言える
ともあれ、この句は客観写生に違いない

その意味から私はこの文をモノしただけなのです
いろいろの想像を掻き立てられて飽きることない秀句
ともあれ人を題材に詠むのは要注意ってことですね。

単帯が夏の季語になったのはイメージ的なもので
夏に限った使いかたをする訳ではないようです
浴衣に単帯で祇園祭とか好いモノでしょうね。

私の句

2014年09月07日 | 俳人 - 鑑賞

白息の益々白き子供の輪
     子供は風の子と申しますけど、全く元気に育って欲しいですね。(2008.12.18.木)




 月影に裾を割らする不覚かな
     満月に魅せられて血が騒ぐ夜、油断したら取り返しがつきません。(2008.11.10.)

 影踏みに追はるる鬼や月煌煌
     私たちは子供のころ、満月の夜には「影ふみ遊び」に興じました。
     月の光を怖れる鬼は暗闇に隠れようとして人の影を踏みにきます。(2008.11.10.)

 朝九時のダイヤモンドや露の精
     庭に生えた雑草の緑があっちこっち朝日にキラキラ輝いています。(2008.10月)

選は創作なり

2014年09月07日 | 俳人 - 鑑賞

(編.2008.12.29)

このタイトルは虚子の「俳談」から引用したフレーズです。曰く、
「作者の意識しないでいることを私が解釈していることはある」と。
「作句」は創作ですけど「選」も創作であると虚子は述べたのです。

即ち「選」は俎上の素材「句」を「私」の料理に仕上げる作業です。
毎朝の食事にどうしても欠かせない味噌汁のような「素材」もある。
そうしてどうしても俎上に乗せたくない「素材」もあるに違いない。

次の句は多佳子に俳句のある暮らしの楽しさ・悦びを教えたのです。

・落椿投げて暖炉の火の上に   高浜虚子

この句は虚子の計画的な意図の下に詠まれた物だったのでしょうか。
それなら多佳子を虜にした虚子の計画は見事に当たったと云えます。
おもえば、正岡子規に事業家としての才能を見込まれた虚子でした。
虚子の事業家としての才能ゆえに「ホトトギス」を託したのでした。

この句に私は「多佳子の何気ない生活を言い得て妙」と感じました。
それなら多佳子は「この句に・何を・どう・感じた」のでしょうか。
この句にある「落椿」を暖炉に投げいれたのは多佳子その人でした。
己の何気ない動作を一瞬に詠まれて多佳子は俳句に安心感を覚えた。

多佳子も一瞬にこの句を俎上に乗せて新しい世界を創作したのです。
新しい世界に生きる己を見た気がして、多佳子は俳句に惹かれます。
俳句に誘った虚子のこの句は、多佳子には特別な思いで日々蘇える。
虚しさの日常を生き生き躍動する日常に変換できる魔法の十七文字。

眠れる森の美女ならぬ「眠れる多佳子姫」を目覚めさせた俳句の力。
鋭い多佳子の感性は現状に言い知れぬ不安と不満を抱えていたのか。
モノの命を感じさせない暮らしは人としての感性を蝕み朽ちさせる。
不自由ない暮らしに不満はないけど、多佳子の感性は生を悦び選ぶ。

すなわち、多佳子を崖っぷちで引留め・生還させた虚子のこの一句。
この日以降、多佳子の思い入れの強いこの句は折々に頭をもたげる。
恩師・高浜虚子を量るとき、この句がフィルターの役目を果たした。
俳句の初めの師・杉田久女を量るときもこの句をフィルターにした。

多佳子はそれ以外にも人を量る道具をいっぱい持っていたでしょう。
「俳壇」に載った次の二つのフレーズも有効なフィルターと云える。
それは昭和9年4月、久女がホトトギス同人になった年の言葉です。

(1) 新進作家が輩出して来る場合如何(いか)にしてこの新進作家
  の特色を発揮せしめて一人前の作家に進めることが出来るかと
  いうことに(虚子は)相当に意を注いで居る。

(2) 一生懸命にぶつかるということ。それは私(虚子)に限らない。
  誰でもいい。その人にぶつかるつもりで行くということがいい。

引用(1)(2)に、私は事業家・俳誌の責任者としての虚子を感じます。
俳人(己を含めて)と一線を画していた虚子の姿勢が感じられます。
それに比して多佳子や久女は純粋に俳句詠みとして生きようとした。
どちらかが間違いというような事ではなく、大事にした中身の違い。

事業家個々のフィルターがあり、詩人・個々人のフィルターがある。
多佳子には大事なフィルターも…虚子には虚子のフィルターがある。
フィルターは、使う人の一方的な価値観に副って使われるものです。
何れかのフィルターが強く働く時、別れが待っているように思える。

作句の姿勢を云えば、多佳子より久女の方が虚子に親しもうとした。
虚子に親しもうとして久女は虚子に疎んじられたとも言えるのです。
虚子の下にいる限り、門弟は虚子の影響を逃れられないと言えます。
それゆえ、久女こそホトトギスを真っ先に離脱すべきだったのです。

引用(1)(2)を、久女ほかに対する虚子の警告と読むのは穿ち過ぎか?
翌年の昭和10年、多佳子はホトトギスを自ら離脱して出ています。
その翌年の昭和11年、事業家・虚子は久女を除名処分にしている。
事業家を理解した多佳子は出て、理解できない久女は残ろうとした。

事業に関心がなかった多佳子は山口誓子と行動を共にする事になる。
多佳子は久女への恩を忘れなかったが、句詠みの姿勢は既に異なる。
真実に生きようとする多佳子を、久女はどのように感じたのだろう。
だが、ココは多佳子を知ろうとする場ゆえ、多佳子の目線を追おう。


【久女・考】

杉田久女はホトトギスを除名処分になった後も虚子の指導を守った。
引用※(2) の虚子の言葉を忠実に守って師に一生懸命にぶつかった。
師の言葉に忠実であろうとして逆に師に疎んぜられた久女の悲しみ。
まだまだ師に忠実になれていないと思い違いして、己を苛めたのか。

虚子に「ホトトギス」を追われた久女を誘う声も有ったといわれる。
詩人は自由な魂をもつ人ですし、組織や誰かに囚われる意味はない。
それゆえ「詩人」は一人立つ時を、覚悟して迎えなければならない。

事業家・虚子に久女を追い詰める考えはなく、メリットもなかった。

俳句の道

2014年09月07日 | 俳人 - 鑑賞

俳句を楽しみたいとお考えになられる人は、如何したら好いのでしょうか。
一つは、いずれかの句会の師匠について、手ほどきを受ける道があります。
これは「句会の意味」で述べましたように、師匠の主観に染まることです。
師匠に同化する事で、お弟子さんの発想は師匠の発想に近づいていきます。

それなら、他者に同化する事に抵抗を感じる人はどうしたら好いでしょうか。
「師匠に染まるのがお嫌なら、ご自分の道を歩むしかない」と申しましょう。
では、師匠の主観に縛られないように学ぶには如何したら好いのでしょうか。
それについては過去に例を見ていきたいと思います。

「守旧派」の高浜虚子に対して、河東碧梧桐は「新傾向俳句」を提唱します。
つまり河東碧梧桐の俳句の考えと、守旧派の高浜虚子の考えは大きく異なる。
それで碧梧桐は俳句の活動の舞台を「ホトトギス」の外に移したのでしょう。
碧梧桐は荻原井泉水とも行動を共にしたけれど、そこも出て独自に活動する。

自由の心を失わないから、俳人(詩人)は己が道を追求し続け・前進できる。
虚子の考え方に飽き足らず、ホトトギスを離脱した俳人に山口誓子がいます。
私が尊敬する俳人・橋本多佳子も山口誓子と共にホトトギスを離脱している。
逆パターンとしては、虚子が杉田久女の個性・主観を嫌って破門にしている。

誰もが「どうしても自分の俳句を詠みたい」と考えて句会を離脱なさいます。
けれど、句会を離脱しても一人で句作を続けられる人は少ないかも知れない。
生半可な気持で離脱して「ホンモノ」になれるものではないと云えそうです。
結局、離脱の意気込みは尊重するけれど、その後が最も重要と申せましょう。

橋本多佳子の場合「ホトトギス」を離脱後、俳句仲間の句会に加わっている。
彼女は奈良市での句会で厳しく鍛えられても、弱音を吐かなかったそうです。
彼女には特別な何かが備わっていて、それが支えになっていたのでしょうか。
ともあれ、自己の主観を客観へと昇華させた人の足跡から俳句の道が見える。

他人事だけでなく、私が歩んでいる「俳句の道」も申し上げなくては…(汗)
於多福姉もマトモな俳句を詠みたくて、それでこんな事を書いているのです。
私のやり方は、敬愛する橋本多佳子さまが詠まれた句を読んでいる最中です。
また、人様の句会に入らせて戴いて、私が投稿した句を批判して戴いてます。
私のやり方が正しいなどと、分かったような横着を申すつもりは有りません。

客観性・善心

2014年09月07日 | 俳人 - 鑑賞

俳句の現場の最大関心事は、それは誰だって「秀句」を詠みたいでしょう。

秀句を詠むには才能が関わってきますし、私の出番ではないようですけど、


私たちはどのようにしたら「客観性」に充ちた俳句を詠めるのでしょうか。

主観に充ちて生れてきた子供が主観のままで大人になるのではありません。

主観に充ちた子供は親に染まってこそ、親に似た主観を身につけられます。

それは師匠に染まった弟子が師匠に似た発想をする句会方式にも似ますが、

句会方式については既に述べたとおりで、ここでは句会方式に触れません。


もとより、幼児の人格は他人の主観(心)を理解できず、客観性は少ない。

親に染まり・反抗期を経て・自我が育って、やがて一人前の大人へと育つ。

反抗期を経なければ成熟した人格に育てず、未熟な人格に客観性は少ない。

この方程式を無意識にも否定・拒絶する人たちに客観性は認められにくい。

嘘のようでも、人はこの方程式を経て育ち・客観性を身につけるようです。

すなわち、
人間への善心を働かせることに慣れた人は客観性に満ちた句を詠みやすい。

きっと「客観性」は人間への善心を持ち続けるなかで身につくのでしょう。