賢治を鑑とする人たちはバクチを憎み、酒に逃げない人生
法印を鑑として孫娘はバクチに手を出し、酒に溺れる人生
このように考えて暮せば人生に狂いは生じないに違いない
人間は何かを切っ掛けとして己が人生を高めていくのです
切っ掛けとするモノが詩心であれば賢治の高みへと向かう
切っ掛けとするモノがバクチなら、法印の奈落へと堕ちる
正の人生を歩む人は境涯豊かにして人間を愛するでしょう
負の人生を選べば人を信じず・人を仲間としないでしょう
詩心とバクチは正と負、人生の明暗を分かつ関係なのです
詩心を重視した賢治は人間を愛する道を採って歩みました
法印は賢くても、賢治を軽く見て人間の道を見失いました
詩を嗜んでいても・バクチを受容れる人は自己矛盾に堕す
詩心はきっと、自然の法則を謳う人の心に養われる理です。
それで賢治には法印の鏡である孫娘たちの行く末が見えた
それは法印の孫娘の「1950年から2000年」の文言に感じる
人生に私たちは素晴らしい冒険の数々を期待できる筈です
弱い心はこの冒険を避けて・楽に見える下り坂を滑ります
バクチは謂うならば、酔眼に見る楽天地かエデンの園かも
三つ葉のクローバーを踏みにじって、四つ葉を探すに似る
幸せの三つ葉のクローバーに無関心で、ラッキーを求める
終には法印の田に稲は実らず・柿の木も梨の木も蝕みます
バクチにはまった頭は判断力を失い、酒がさらに鈍くする
法印を切っ掛けにバクチの罠にはまった人は多かったかも
法印の悪影響を最大に受ける被害者は身近に暮す家族です
人の懐を虎視眈々とねらう手口は追いはぎと異なるけれど
人をだまして巻き上げようとするのをバクチというのです
だます獲物・愚か者を大事と感じる詐欺師がいる筈もない
一攫千金の悪夢をバラ色に見せかける公営バクチ場もある
市民の懐を狙って公営バクチ場を画策する知事も大勢いる
しかも、バクチがいけない訳を語れないマスコミばっかり
そんな社会でも賢治の支持者の私はバクチの害を糾弾する
せっかく、賢治を読んでいるのですから、
わたしは、賢治の正義を宣揚するがわで語りたいのですぉ。
宮澤賢治をあなたも『善いきっかけ』に出来たら好いのに…