daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

賢治の詩心

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

賢治を鑑とする人たちはバクチを憎み、酒に逃げない人生

法印を鑑として孫娘はバクチに手を出し、酒に溺れる人生

このように考えて暮せば人生に狂いは生じないに違いない



人間は何かを切っ掛けとして己が人生を高めていくのです

切っ掛けとするモノが詩心であれば賢治の高みへと向かう

切っ掛けとするモノがバクチなら、法印の奈落へと堕ちる



正の人生を歩む人は境涯豊かにして人間を愛するでしょう

負の人生を選べば人を信じず・人を仲間としないでしょう

詩心とバクチは正と負、人生の明暗を分かつ関係なのです



詩心を重視した賢治は人間を愛する道を採って歩みました

法印は賢くても、賢治を軽く見て人間の道を見失いました

詩を嗜んでいても・バクチを受容れる人は自己矛盾に堕す



詩心はきっと、自然の法則を謳う人の心に養われる理です。

それで賢治には法印の鏡である孫娘たちの行く末が見えた

それは法印の孫娘の「1950年から2000年」の文言に感じる



人生に私たちは素晴らしい冒険の数々を期待できる筈です

弱い心はこの冒険を避けて・楽に見える下り坂を滑ります

バクチは謂うならば、酔眼に見る楽天地かエデンの園かも



三つ葉のクローバーを踏みにじって、四つ葉を探すに似る

幸せの三つ葉のクローバーに無関心で、ラッキーを求める

終には法印の田に稲は実らず・柿の木も梨の木も蝕みます



バクチにはまった頭は判断力を失い、酒がさらに鈍くする

法印を切っ掛けにバクチの罠にはまった人は多かったかも

法印の悪影響を最大に受ける被害者は身近に暮す家族です



人の懐を虎視眈々とねらう手口は追いはぎと異なるけれど

人をだまして巻き上げようとするのをバクチというのです

だます獲物・愚か者を大事と感じる詐欺師がいる筈もない



一攫千金の悪夢をバラ色に見せかける公営バクチ場もある

市民の懐を狙って公営バクチ場を画策する知事も大勢いる

しかも、バクチがいけない訳を語れないマスコミばっかり



そんな社会でも賢治の支持者の私はバクチの害を糾弾する

せっかく、賢治を読んでいるのですから、

わたしは、賢治の正義を宣揚するがわで語りたいのですぉ。



宮澤賢治をあなたも『善いきっかけ』に出来たら好いのに…

わが家の法印・孫娘

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

あなたの御家庭に女性はいらっしゃるでしょうか?

あなたの奥様か娘さんか母親か姉妹のことですぉ。

あるいは貴女ご自身か姑と小姑でも同じことです。

そのドナタにも法印の孫娘の血は流れています。



そんなことが賢治の「法印の孫娘」から見えました。

あなたの法印の孫娘は大切に育っていると思います。

今は酒は呑まないかも、博打は嫌いかも知れません。

お酒なら軽く嗜むかも、他愛ない賭け事はするかも…



賢治は、酒に溺れ・博打に狂う法印の血を恐れます。

私も、お酒に溺れたり・博打を覚える積もりはない。

信じ・尊敬してらっしゃる人は賢治に倣うでしょう。

賢治を教養程度に捉える人は、賢治に倣わないかも…



今、日本中に賭け事が蔓延しているのはご存じの筈。

彼らは国を挙げて博打場を作ろうとしたりしている。

国営や公営の博ち場を作ろうとするのは狂っている。

宮澤賢治に共鳴する人・私の姿勢は博打を認めない。



賢治を愛する貴方も貴女も、博打を認める筈がない。

けれど、博打はいけないと叫ぶだけで良いだろうか?

博打がいけない訳を賢治ファンはご存じでしょうか?

二千十年の今年は宮澤賢治が亡くなって七十七年目。



賢治は「法印の孫娘」で私たちに託して詠っている。

『一千九百五十年から 二千年への間では

さういふ遺伝は どこへ口火を見付けられるだらう 』

…と。



この詩、賢治を信じるあなたへ「餞」かも知れない。

法印の孫娘

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
原文 ⇒ 『法印の孫娘』http://www.ihatov.cc/kogo/392_d.htm


か細いその身体に黒いモンペとツマゴを纏っている女性。

折れそうに見えて、骨太の女性は一杯いらっしゃいます。

女の真実のどこまでが男の目に見えるか疑問ですけれど、

賢治の目に映ったのは華奢な乙女の姿だったのでしょう。

賢治の教え子である乙女は初夏の堤を家へと向かいます。



賢治が期待する教え子は今・己がすべき事を心得ていた。

己の畑に適した品種・肥料の種類・やり方等に精通して、

彼女は他の生徒の模範となる秀でた力を身につけていた。

乾いた土が水を吸うように賢治の指導を素直に吸収した。

その優れた才能もちょっとした事でダメになってしまう。



研究熱心な娘は教えを乞うための葉書を書いたのだろう。

成程、賢治はそれで娘の家を尋ね尋ねて訪問したのです。

広い敷地に立派な屋敷は、決して貧しい家庭の筈はない。

賢い娘であり、家族で真面目に働いたなら裕福になろう。

父親が遊びに取りつかれなければ、娘も幸せになった筈。



もしかして、広い田畑と資産が娘の仇になったのだろう。

狭い田畑しかなければ、娘ひとりで守れたかも知れない。

呑む金にも困ってたら、娘まで呑むことはなかったかも。

お酒を呑める体質が酒に逃げる途を選ばせたのだろうか。

なまじっかの賢さが、農業の辛さを予測したのだろうか。



美しい容姿も、優秀な素質も娘のためには役にたたない。

娘に必要なのは地道にコツコツと土の手入れをする日々。

真面目な生活が当然なんだと身で教える親があれば良い。

遊ばなきゃ損だとばかり、青春の日々を過す若者は多い。

苦労するなんて馬鹿馬鹿しいと、考えがちな若者は多い。



賢治は脇道にそれたこの娘の子供の代・未来を思い遣る。

マジメな娘にも潜む博打と酒に逃げたい・楽したい思い。

それは「遊びたい願望」となって、日本中を吹き荒れる。

己が楽をするために、他人を騙して平気な日本人は多い。

但しそれは遺伝ではなく、誰にでも備わる傾向なのです。



真の喜びを知らない者たちはきっと手遊びに耽るのです。



◎ 遺伝なら未来の外科手術で治せる筈なのですけれど、

◎ 親なら己の姿勢が子孫を直撃すると覚悟すべきです。

家長制度(4)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

今の時代、今の日本に「家長制度」なんかない…そう思われますか?

巧妙に姿を変えてたら、もっと恐ろしい害を社会にばら撒いている。

見せかけの民主主義の仮面の下では苦しむ多くの人々が喘いでいる。



なにもかも搾取するために編み出した手法は幾つもあるけれど、

そんなものの名称を探る意味は殆んどないと言っていいでしょう。

北朝鮮にしても国名に民主主義と付けているのは御存じでしょう。

要は中身がどうか…良い体制が実現できているかどうかなのです。

どんなに民主的手法の会社でも家長制度を採りいれている筈です。

日本の古代・上代の時代以前からの家長制度なのです。

もちろん、胡散臭い会社も家長制度を使って搾取している。

それなら家長制度を毛嫌いするよりも上手に採りいれるほうが良い

それには「一人立つ」しかない。



だれかの顔色を窺がう生き方でなく、堂々と主張して生きていく。

だれかのオコボレを貰って有難がるような、卑しい生き方をしないことです。

だれかの懐を狙って、だまして奪い取ろうと思わないことです。

正々堂々と、価値交換して欲しいものを手に入れたら良いのです。

商いとは騙すことでなく、相手の役に立つように動くことであり、

結局、相手が喜ぶことが商いですから、自分も堂々とできるのです。

働くことも誰かを騙すことでなく、誰かの役に立つことです。

誰かを楽にしてあげたり、幸せにしてあげるために働きます。

ニセモノの幸せを与えて、それで働いたことにはならない。



仕事の本質、働くことの意義、商いの心構え、それを知ることです。

心構えが歪んでいては、仕事にならず、結局、役立たずな訳です。

心構えが出来ていれば、どのような体制下でも良い仕事はできる。

それが人間性を無視した体制であれば、従うことはないでしょう。

人間性を無視した体制に尾っぽを振るなんて、恥ずかしいことです。

そう割切れば、この日本のどこに住んでも堂々と生きられる。

宮澤賢治の「家長制度」を読んだ私の、これが結論です。

宮澤賢治のファンでない私でもこれくらいの覚悟はしています。

ホンモノの賢治ファンなら、どんなに素晴らしい生き方を見せてくれるか…?

やはり私にも、ファンに期待したい気持はあります。ガンバレェ~★

家長制度(3)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり



仁徳天皇は立ち昇る煙に、食事する民を想って安らぎました。

あらゆる物の見えかたは立ち位置でまったく異なりますよね。

青空に浮かぶ白い雲を富士山に登って見たら、眼下に流れる、

空を流れる白い雲ひとつにも、人の心はいろいろに感じます、



宮澤賢治の「家長制度」には宮澤賢治の見た世界が著れるし、

この女性に憐みを感じる人のヤルセナイ気持は私にも解るし、

息子たちの立場に共感する人たちが見てるものは私にも解る、

一家の主に共感する人たちが大勢いても勿論不思議ではない、



政治家・高級官僚は苦しむ民を想って何をすべきでしょうか?

家長制度の社会で私たちはどの位置に立てば良いでしょうか?

家長制度の社会でトップに立つ人々は何をすべきでしょうか?

トップのあなた・トップの私…何をしたら良いのでしょうか?



見方・捉え方によって人の心は幸不幸に別れ、正邪に別れる。

家長制度に従うときは、独裁主義思想に堕し、人を苦しめる。

家長制度を突詰めて捉えるときには、民主主義思想にもなる。

そう考えるとき強ち家長制度は邪悪と言えず、救いが見える。



そうすると、賢治の短編「家長制度」にも明るい光が見える。

あなたにはこの一家の主がどれだけ幸せに見えたでしょうか、

一家の家族に生れた息子がどれだけ幸せに見えたでしょうか、

虐げられる女性と己とを比べるしか知らなければ…不幸です。



真の幸せを知らない人はいつも他者と己を比べて…溜息吐く。

俺のほうが多いと知っては鼻高々で有頂天になり…得意がる。

俺のほうが貧しいと知ると意気消沈して悲嘆して…僻んでる。

いつも他者と比較して、相対的に比較して…それは貧しい心。



貧しい心は権力や財力を持ってしても癒されることなどなく、

敬われたい、得意がりたい、あげくに嫉妬をくり返す心にて、

充実することのない日々から決して逃れることは出来ないし、

そのように貧しい心の人の伴侶も家族も…それゆえ不幸です。



人を仲間と思わないゆえに、決して心を許し開くことはなく、

猜疑心を絶えず働かせて人生を楽しむゆとりが有る筈もない。

それゆえに従業員や息子までも抑えつけて意のままにしたい。

痛くない腹をさぐられたくなくて、息子たちも息をひそめる。



短編の登場者たちの動きは広汎性発達障害者のものでしょう。

それどころかその原因になっている主も健康体には見えない。

凡ての人を価値的に考えられない状況にまで追いこんでいく。

しかも冷静な筆者までもが「身も世もなく」追込まれている。



世界でも有数の富裕国といわれる国の…これが実態なのです。

国民の殆んどが精神を病んでお金を貯め込んでも、惨めです。

お金を持っていても使えない、使い方を知らない…お金持ち。

人間を見ないで、詰らない一生の果てに人間の敵として死ぬ。



私は宮澤賢治の「家長制度」にそんなことを考えさせられる。

これは家長制度が悪いから不幸になると言うのとは違います。

凡ての人が責任者の自覚に立てば、誰も制度に振回されない。

すなわち、制度を替えただけで社会が良くなるものではない。



こう解ってみると「すべての責任は私にある」となるのです…

しかもそれで生きているのが楽しくなりますから、素敵です。

家長制度(2)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
(意訳)

炉の油が燻ぶる向うがわ、この家の主の席が設けられている、

大黒柱を切り取ったかと思う逞しい膝がどっしり揃えられている。

夜の闇のなかを先程、この家の息子たちが音も立てず帰ってきた。

肩幅の広いガッチリした身体に蓑をつけた息子たち、

汗で寒天みたいに黒光りした四~五匹のデッカイ馬を連れていた、

かれらは馬を厩に入れて何やらマジナイみたいにしていた、

それから気配を消して土間で飯を食べていたが、

厩の辺りの藁や草のなかに転がるように寝てしまった。



ウッカリ気に入らないことを言おうものなら、

たちまち息子の誰でも私を片手で表の闇に引きずり出せるだろう。

そのような巨体がいくつもモノも言わずに眠っている、

いや、たぶん眠っているのだ。



黒い油煙を上げる灯火の下、女性が一人、食べ物を用意している。

それはまるで鬼にさらわれて、洗濯でもさせられているよう、

女性はどうやら私のための食事をこしらえているようなのです、

それなら要らないとさっき断わったのですよ…。



とつぜん、ガタリと音が響いた。

重い陶器の皿か何かが滑って床に落ちたのだ。

主人は黙って立って、女性のほうへ歩いて行った。

それから三秒ばかり、しんと静まって、

主人はもとの席へ戻ってきてどしりと座った。

どうやら、女性はぶたれたようでした…。

音を立てないように撲ったのです…。

その証拠に土間の人の気配は消えて死人のように静まって、

主人の目玉は古びた金貨のようにして鈍く光っている、



それで私は辛くて悲しくて身の置き所もなくて堪らない。



原典 ⇒ 「家長制度」です。


わたしは思うのです。



借金の形(かた)に取られたか、売られてきたか、

いずれにしても、この女性にはマトモに食べ物もあてがわれない、

食べ物をマトモに食べてさえいれば、皿を落とすこともない、

誰よりも朝は早く起きて、誰よりも夜は遅く寝ているに違いない、

そして朝早くから眠りに就けるまで一日中休みなく働いている、

誰よりも粗末な物を、誰よりも少なく食べて、一番よく働く女性、



このような様子を見て、ある人たちは言うでしょう。

この主人は人間じゃない、人間の皮をかぶった鬼だ、畜生だと、

憎い、憎い、憎いと呪うかもしれない、

やっつけろ、あいつらをやっつけろと叫ぶかもしれない、



また、ある人たちは言うでしょう。

弱い者は損だ、真面目に暮すのはバカバカしい、賢く生きようぜ、

お金は汚く稼いでキレイに使って楽しく生きたら好い、

人に使われるのは損、お金は儲けた人の勝ち、上手く稼ごう、



多くの世間の親たちは子供に言うでしょう。

「勉強しなけりゃ、この女の人みたいになるよ」って…。



そしてこれらの人たちは「自分の考えしかない」と思っている。

もしかして、あなたの考えもこれらに属していませんか?

多くの政治家も、多くの権威・権力も、同じような考えをしてる。



 あなたもやはり、似たお考えでしょうか?

 もっと良いお考えを、お持ちでしょうか?

家長制度(1)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
宮澤賢治が「家長制度」を書いたのは20歳の時だったようです。

そしてそれから十年、30歳で「オツベルと象」を発表している。

さらにその翌年、賢治31歳のときには警察の聴取を受けている。

賢治の作品を読めば解るけれど、民主的思想が咎められたと思う。



4百字詰め原稿用紙2枚分の短編「家長制度」に私が感じたこと、

読んで直ぐに「オツベルと象」の筋立てにソックリだって思った。

「オツベルと象」は加害者と被害者が絡み合ってて解りにくいし、

「家長制度」も誰が加害者で、誰が被害者なんだか判然としない。



お人好しに向って懸命に「起きなさい」って呼掛ける作者がいる。

それで寝惚けていきり立つ人がいるし、眠ったままの人も多いの。

いきり立つようでは絶対に駄目で…それは寝惚けてるからだけど…

そうすると被害者までが加害者になり…バッカじゃないって思う。



そんなことも考えないで、いきり立つ人は大勢いらっしゃいます。

勿論「オツベルと象」も家長制度の仕掛け・仕組みを語っている。

それにしても「家長制度」ってそんなに悪い制度なのでしょうか。

やっぱり警察に引っぱられることをしてた賢治が悪いのじゃない?

オツベルと象(4)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
価値観の転換を考えませんか?



人には誰でも大切にしているモノがあるらしい、

そしてその大切なモノの中身は、人それぞれに異なってる。



たいがいの人は何よりも命を大切に思うだろうし、

ある人たちは平和がいちばん大切と言うだろう、

ある人たちは気ままに暮せるのが一番良いと言うだろう、

晩酌のお酒を呑んでる時が幸せという方もいらっしゃる、

お金がいちばん大切と思ってる方もいらっしゃるだろう、

あるいは、そんなこと考えたことないと言うかも知れない。



オモシロイ事に、親友同士で好みが合うとも限らない、

いえいえ、友を大切に思う点で親友の好みはピッタンコ。

そんなの嘘だ…と根拠なく言うのは言葉を大切にしない人、

「人間を大切に思う」というタイプは宗教者に多いと思う、

もちろん人間を大切に思う根拠を言えない宗教者は怪しい。

ともあれ、どんな人にでも大切なモノはあるようです。



オツベルは誰よりもお金にこだわったのかも知れません、

お金を手に入れるために高価な最新式の器械を導入したし、

工場で16人もの百姓たちを使って働かせていたんだよ、

迷い込んできた白い象をオツベルは手に入れようとしたし、

手向かう者にはピストルをぶっ放してやっつける腹積もり、

象の群れと戦い、己の命を賭して、資産を増やそうとした。



それは野生の象と人間が生き残りを賭けた戦いみたいでも、

人間の言葉・心が通じる象…つまり人間に銃を向けたんだ、

お金のために人間に害悪をなすオツベルは、仲間だろうか?

人間を仲間としないオツベル…結局、オツベルは人間の敵、

お金を人間の命より重視するオツベルに人の心は通じない、

そんなオツベルの伴侶や家族や一味も、人間の心を見失う。



お金を稼ぐのは何のためでしょうか?

人間の命を見殺してまで稼ぐお金の意味ってなんでしょう?

稼ぎ・貯めたお金をオツベルは何につかう積りでしょうか?

その答えらしきものに…私は一つ思い当たります。

ピストルです…オツベルの身を護るピストルです。

人間を友としないオツベルが頼るモノ…信頼できそうな物★



お腹を空かせたジャンバルジャンはパンを盗んで捕まった、

明日の食事のためにと…生き残るための銀の食器を盗んだ、

ジャンバルジャンと同じで、オツベルも生き残りを図った、

今日は生き残れるかも知れないけど、明日はどうなるのか?

オツベルのお金は、もっと強い奴に奪われるかも分らない、

地震で、津波で、原発事故で、すべてを失うかも知れない。



困った時、困った人に政府や社会は何をしてくれるだろう?

誰も助けにならない、誰も信じられないなら、蓄えが安心?

それで、どれだけの蓄えでオツベルは安心できるのだろう?

一人で生き延びるために、どれだけ蓄えたら足りるだろう?

身を護る堅固な要塞に、銃に、食糧に、娯楽も欲しいだろ?

いつまでの? 少なくとも数年分、一生分、子孫の分まで?


だったら、千億円持ってても足りないに決まってるんだよ。

オツベルが一億人も居たら? そりゃ死んで貰うしかない。

弱肉強食の世界では、邪魔な人に死んでもらうことになる。

毎年三万人でもまだ不足。戦争で大掃除する必要も生じる。

焼け野原の復興…建設業界は又とないチャンスに違いない。

お金もうけは非情なようでも、人の死までがチャンスです。



これが福祉社会だと、貯金なんか無くても生きられるんだ。

収入をぜんぶ使い切っても、来月にはまた入ってくるんだ。

働けば収入になる、使ったお金はまた社会を循環して潤す。

みんなが働けば、社会に活気が出て、国全体が明るくなる。

助け合い、支え合い、相互扶助の社会なら皆が安心できる。

ある意味、宵越しのお金を持たなかった江戸っ子に似てる。



そうなると困ることがあるって言うか、困る人がいるんだ。

威張りたい人、見栄を張りたい人、権力を振るいたい人さ、

民衆が楽しく暮してたら、だれもペコペコしなくなるから、

ふんぞり返っている変な人たちは威張っていられなくなる、

見せびらかせたり、自慢したり、勿体ぶったりも出来ない、

不安な世の中にしなきゃ、邪悪は大きな顔で歩けないんだ。



ともあれ、

オツベルがお金に執着を持つ原因になったのは社会の歪み、

「お金がなければ首がないのと一緒」みたいな仕組の社会、

他人の懐の金を狙って、騙して、奪いとる算段をする社会、

この社会を明るく変えたくない悪い人たちがいるのは事実、

それでオツベルや、お金に執着する人たちが生れたのです、

お金に執着する人が幸せなら良い…だけど不幸な顔ばかり。



その不幸な人たちに憧れるなら、それは阿呆な人たちです。

輝く人に共通してること…社会や他者を目的に働いている。

幸せに輝きたくて、賢い人は他者の幸せを目的として働く。

人は輝いてこそ愉快で、楽しく・幸せに・充実して暮せる。

お金もうけに汲々するのでなく、誰かの幸せを願い生きる。

それは伴侶でも家族でも仲間でも…ボランティアでも良い。



結局、

お金や地位や体裁に囚われる限り、そこから脱出できない。

脱する一番の大道…働くことを大いに楽しむことでしょう。

自分の家族から決して、第二第三のオツベルを生まない事。

それが楽しい幸せな家庭を作り育む…平和な社会の第一歩。

「オツベルと象」を読んで、そんなことを思います。

オツベルと象(3)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

もしか、あなたの幸せとオツベルの幸せは似ていますか?

 ♪
 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

 遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそ動がるれ(梁塵秘抄)



子供というのは、

遊びをしようとしてこの世に生れてきたのであろうか、

 それとも戯れをしようとして生れてきたのであろうか、

無心に遊び戯れている子供たちの声を聞いていると、

 それだけでもう、私の体までもが反応していることだ。


 〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇


誰かの獲物を横取りしようと虎視眈々と隙をうかがう獣たち、

獣たちに狩りのツレはいても、獲物を譲りあう仲間はいない。

強い者から順繰りに腹いっぱいに食べるのが弱肉強食の社会。

秩序にみえて、実は、互いの隙を窺がい、懐を狙う敵対関係。



弱い者は全てを奪われ・失い、人間としても扱われなくなり、

が生まれ、奴隷が生まれ、農奴が生まれ、憎しみが残る。

弱い者はイケニエとされて、邪悪の法はイケニエを容認する。

強い者を保護し守ろうとする集団で、法は弱者をいたぶる。



奪い・騙しを悪と認めない集団内に争いが絶えることはなく、

そのような奪い合いの関係からは、平和が育つことはなくて、

日本では毎年3万人以上の弱者が自殺に追い込まれています。

そんなふうに獲物を奪い合う野獣の時代の混沌に社会は在る。



腹が減ったら大人だって、手当たり次第に食べたいだろうし、

奪い合いは詰らないと本能的に気づいたのは母かも知れない、

子のために獲物を持って帰る母の本能は譲り合いへと育った。

母に発言権がある母権社会は譲り合いの心が育ちやすいかも。



私自身は家族と分け合い・助け合って暮すなかに育ちました。

譲り合いの家庭の温もりを知っている数少ない現代人かも…。

その経験が、奪い合いに狂奔する人たちの愚かぶりを教える。

自分だけが得しようとして、結局、なんの幸せも得ていない。



甘い儲け話に飛びついた筈なのに、なぜ貧しいのでしょうか?

誰も知る人のない美味しい儲け話…ぜったい儲かる筈なのに?

奪い合いの社会からあなたに舞い込んだ貴重な儲け話でしょ?

欲深い人があなたに教えてくれた有難い儲け話★感謝・感謝★



珍しい御馳走を食べたい…あなたは、食べなきゃ承知しない、

他人より豪華に暮したい…あなたは、豪華でなきゃ許せない、

他人に羨ましがられたく…あなたは、他人の顔色をうかがう、

そして結局、いつだって…あなたは、不平・不満の中に住む。



幸せは儲け話にあるかも知れません、それが儲からなくても…

儲け話を聞いてるだけで贅沢な生活を想像して楽しいあなた…

それなら儲け話をみんなに教えてもちっとも損はしないんだ…

それなら儲け話でなくても構わない…楽しく時を過せばいい。



子供は本来、自分だけが楽しもうとして過してる訳ではない、

誰かを羨ましがらせよう・見せびらかそうと望んでもいない、

自然の子供は、みんなと共に楽しもうとしているものであり、

みんなとの触れ合いそのモノを楽しんでいるもののようです。



その純真な子供の心…子供の心を忘れているなら、不幸です。

幸せを財産で換えず、地位で換えず、卑しい心で換えられず。


 ♪
  遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

  遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそ動がるれ



オツベルはお金で幸せを購えると思い違いしてたのですね★

オツベルと象(2)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
高価な琥珀のパイプをくわえてオツベルが工場を見回っている。

大勢の百姓を巧くつかって稼ぎまくっている頭のオツベルです。

百姓たちは一日中、真っ赤な顔をして稲こき機を踏んでいます。

オツベルに睨まれたら百姓たちは恐ろしくて縮こまってしまう。

おかげで小山のように積まれた稲束も、ドンドン扱けるのです。



そんな稲こき工場も、初めての人には珍しく見えるに違いない。

あなただって、あなたの子だって、キッと気になるに違いない。

パチパチ弾けて、片側にはモミの山、もう片側には稲わらの山。

その不思議なモノを見つけて私も幼いとき、見とれていたもの。

周りに敷いたムシロの上にも弾けたモミがぱらぱら飛んでくる。



林の中から現れた白い象も私と同じ気持ちで寄ってきたのです。

この白い象をあなたに置きかえて読んでみたら、解るでしょう。

あなたのお子さんに置き換えてみられても、よく解るでしょう。

作業しているオジサンやオバサンが笑いながら声をかけてくる。

オモシロイかい? 人の好い笑顔を浮べて楽しそうに言います。



「ウン!」うわの空で返事しながら、稲こき機を見詰めてた私。

象の気持ちも、あなたの気持ちも、みんなの気持ちも同じです。

「お譲ちゃん、あんまり近づいたらパチパチ弾けて、痛いよ!」

それでも気にしないで覗き込む私・あなた・あなたのお嬢さん。

「どこから来たの? とっても色白の、可愛い顔してる子だね」



そんな会話をしてもらって、飴玉か、牡丹餅をもらったりする。

オツベルはやさしくて、かわいい飾りをくれたりするんだよね。

草を編んだネックレスを作って首にかけてくれたり、やさしい。

おそるおそるだったお譲ちゃんも、次第に大胆になるものです。

工場の中まで入っていったり、まるで我が家のように歩いてる。



広い工場を歩きまわってたらお腹も空いてきてご飯も食べるよ。

暗くなって出口が見つからなくなって、帰り道も分らないけど、

オツベルおじちゃんはやさしいし、泊ることになるのだろうな、

白い象はキッと、そんな楽しい嬉しい気持ちで過したんだろう、

気がついたときにはもう、白い象は帰るに帰れなくなっていた。



女の子と違って白い象は力が強いから、食事を減らしたんだよ。

これが大人の女性の場合も逃げられないよう、食事を抜くかも、

酒吞童子に連れてこられた女性も似たようなものかも知れない、

炊事・洗濯・掃除など、一日中・働かせて、逃げられなくする。

恐怖と疲労と飢え、逃げる道順を知らなければ逃げようがない。



白い象の皮も脚も牙も何もかも高くで売る算段をしていたんだ。

象牙みたいに美しい歯並び、色白の乙女も高価な値がつくんだ。

そういえば、安寿と厨子王を買った人に、山椒大夫がいました。

今の日本に人さらいはいないとお思いの方はいるのでしょうか、

形を変えた人さらいはネットにも大勢ひそんでいると言われる。



騙して連込んだ女性を撮って恥める現代日本の人さらいたちね。

ずいぶん頑丈な檻に入れられたら…もう自由に歩きまわれない。

そうなるともう、象も女性も、オツベルの財産になってしまう、

オツベルのお金を稼ぐためには何でもしなきゃ、ならないんだ、

財産だからね、象も女性にも、人権なんて有ったものじゃない。



オツベルから逃げよう…なんて、白象はちっとも考えなかった。

そりゃ、力を失くした弱い白い象だもの、非力な女性だものね。

逃げようとして見つかったら、どんなに酷い目に遭わされるか、

死ぬ目に遭わされるか、ほんとに殺されてしまうかも知れない。

後は死ぬのを待って、生きることを諦めて泣いてた白い象なの。



自分の力だけでは絶対絶命の地獄からは逃げ出せない場所です。

「苦しいです」ってだけで折檻される白い象・被害者なんです。

サンタマリアが助けてくれるなんて事、ホントにあるだろうか?

宮澤賢治は白い象・被害者を助けてあげたくて、懸命に考えた、

「同じ人間として何とかしなきゃ!」って賢治は思ったのです、



その宮澤賢治に「十一日の月」が手紙を書きなさいと教えます。

「仲間へ手紙を書いたらいいや」と、月がわらって言いました。

そうなんだ、オツベルのあんまりな仕打ちを書いたら良いんだ。

白い象はオツベルに騙されて酷い目に遭ってるって書けば良い。

仲間なら、人間の仲間ならキッと、知らないふりはしない筈さ。



「オツベルときたら大したもんだ」と、誉めてた人も気づく筈、

オツベルの本性を知って、それじゃいけないって気づく筈だよ。

白い象は白い象じゃない、白無垢の純真なあなたの子どもだよ。

その子どもたちが互いに憎み合って傷つけ合って良いだろうか?

よその女の子をかどわかして酷い目に遭わせても良いだろうか?



あなたの大切な子が「しくしくしくしく泣いて」ても構わない?

自分だけは上手く立ち回れる、上手に生き残れると計算してる?

「どうして俺がこんな目に遭わなければならないんだあ」かも?

オツベルを見つける度に捕まえて、仕返しをして済ませますか?

オツベルを血祭りに上げて、皆でワイワイ騒いで済ませますか?.



だけどやっぱり、私にはオツベルを責める気になれません。

それはそうです…次のオツベル役はあなたかも知れませんから。

それゆえに、オツベルを捕えて血祭りに上げる気になりません。

だってそうでしょう!? 「オツベルは大したもんだ」でしょう?

「オツベルはやっぱりえらい」って賛同する人も多いでしょう?

オツベルはやっぱり、私の、あなたの、仲間に違いありません。



白い象の仲間たちは報復に立ち上ったけれど、それは仕方ない。

あれは仲間を救い出すための已むに已まれぬ仕業と考えようよ。

仲間を救い出すために、急いでいたし、ああする必要があった。

象たちは高い塀を乗越えるのに懸命で、オツベルは不運だった。

即ち、賢治は仲間想いの象たちに復讐をさせたくなかったんだ。



白い象にも色白の可愛い女の子にも罪などある訳はない。

罪はないけど、白い象にも色白の美人にも惹きつける物がある。

惹きつける物があると知れば、謙虚に暮すのが智恵と言えそう。

大金を見せびらかせて歩けば、災いを呼び寄せるものでしょう。

もちろん、それで悪さをする者の罪が消える物ではないけれど。



オツベルは元もと悪いのじゃなく…いつの間にか悪くなってた。

いつの間にか…純真な子も、いつの間にか染まってしまいます。

オツベルにも自由で純真な童子の心は備わっていたに違いない。

自由で純真な童子の心も、悪い空気に染まって捻じれてしまう。

自由で純真な童子の心には、宮澤賢治の心をいつも持たせたい。



白い象はサンタマリアに教えられて、深い愛を知った筈だよね。

仲間を支えるために、白い象の手紙を携えて童子は歩いたんだ。

人は大人になって変るのでなく、童子の時から歩き始めるんだ。

仲間を大切に思う心をじっくり育てるうち、童子は人間に育つ。

童子の時から人を護ることを覚えなければ…手遅れにしないで。


そして思うこと…

人への憎しみと、人を愛することの両立は出来るのでしょうか?

人は、憎しみに偏るか、愛で胸をいっぱいに膨らませるかだよ。

自分の子どもを幸せにしたければ、憎しみを植えてはならない。

どんなに苦しくても悲しくても辛くても、愛して愛し続けたい。

憎しみと愛の両方を胸に収めきれる人間なんて、絶対にいない。



最後に、

オツベルに悪心を起させてしまって、白い象も反省しきりです。

仲間のみんなに心配かけてしまって、すこし大人になれたかも。

だけど、子どもってそんなモノだし、ヤンチャ坊主ですものね。

気がつくたんび、子どもに愛の手紙を持たせてあげなきゃね…、

だから、 川に入っちゃいけないったら。

オツベルと象(1)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
青空文庫「オツベルと象」


このお話を読むに当って、私はどう読むべきかと考えました。

童話作家はどのような感覚で童話を書いているのでしょうか。

昔から語り継がれる童話を分析した結果かもしれませんけど、

童話の読者は小学校六年生まで…それが業界の感覚に思える。



どうして白い象なの? どうして普通の象だと都合が悪いの?

六連発のピストルって? 単発式や二連式の散弾銃じゃない?

業界に倣って、私もこのようなことを考えてみましたけれど、

童話を書くテクニックにこだわるほどに、賢治を見失いそう!?



権威づけられることで「童話作家は輝けて良いこと」と思う。

そうすると「オツベルと象」は童話と呼べないシロモノなの?

ともあれ、調べられるだけは調べてみよう…そう思いました。

けど、既成の権威が童話と認めなければ自由に読むチャンス!



何も知らないくせに素人の傍若無人? 勝手気ままな物言い?

好き放題に書き連ねていますから、しっぺ返しは覚悟のうえ。

物書きが批判を怖れているようでは、それこそ恥かしいこと。

陰で言われても気にしない…それにしても面の皮の厚いこと。アセ



白象が仏の使いとされていること…日本でも知られています。

白い象…突然変異かしら、何かの病気かしら、弱点はあるの?

お日様の光に弱いのかとも考えたけど、そうでもないらしい。

そうすると五週目にして、白い象の眼が赤くなったのですね。



散弾銃かしら…六連発の散弾銃は昭和の初期に有ったかしら?

ライフルにしても、陸軍の村田銃はお粗末な物だったらしい。

鞍馬天狗や高杉新作がピストルを持ってた話は知られていた?

それでピストルなら手に入ると考えついたのかも知れません。



人と象が語り合う仲なのよ ☆ お月様が象に語りかけるのよ!?

その流れで「オツベルと象」のお話は展開されていくのだわ!

そうすると後はもう、理屈をこねくり回すのは野暮でしょう。

結局、これは子ども向きの童話でなく、大人への教訓話です。



もちろん、読んだ子どもたちは健康な意識に目覚めてほしい。

オツベル

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
(宮沢賢治が書いた童話『オツベルと象』のお話の抜粋です)



さあ、オツベルは命懸(いのちが)けだ。

パイプを右手にもち直し、度胸を据えて斯(こ)う云った。

「どうだい、此処(ここ)は面白(おもしろ)いかい。」

「面白いねえ。」象がからだを斜(なな)めにして、眼を細くして返事した。



「ずうっとこっちに居たらどうだい。」

百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。

オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫(ふる)え出す。

ところが象はけろりとして「居てもいいよ。」と答えたもんだ。

「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」

オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦(よろこ)びながらそう云った。



どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。

いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、

サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。




初め、この童話を読んだとき、

オツベルというヤツはとんでもない悪い人間だと思ったのではないでしょうか。

それなら、この象は神様のお使いかと思われるほど純粋・素朴に感じられた。

しかし、この部分をお読みになられて、それでも同じように思われるでしょうか?



この象を見た百姓はもちろん、オツベルもがたがたと震えているではありませんか。

町の不良少年の好いようにおどされて、普通のお百姓は震えるかも知れないけど、

腕っぷしの強いオツベルならば、チンピラの腕ぐらいは造作なく捻りあげるのです。

そのオツベルでさえも象の前では借りてきた猫みたいにオトナシクなっていたんだ。



オツベルを威圧した象と、その背後の象の集団に、宮沢賢治はなにを見たのかしら?

読者の皆さんは悪者あつかいするけれど、象と命懸けで戦ったのはオツベル唯一人。

持っている知恵を使い・金を使い・象を手なずけ・おとなしくさせたオツベルです。

象の集団がいったい・何者なのかに思い至った時、オツベルは支持されるでしょう。



けど、それで、あなたの問題のすべては解決したと思うなら、実に・オメデタイ人。

オツベル派・百姓派・象派に別れて罵り合うなら、それは愚かな政治家と変らない。

サンタマリアがいつまた、罵り合いに介入して、象を後押しするかも知れません。

こう考えた時、あなたの脳内のお月さまのイメージはたちまち崩れるに違いない。



宮沢賢治の目には愚かな民が醜い争いをくり返すのがマザマザと見えたのでしょう。

「つまらないから、ケンカはやめろ」と言っても、聞く耳を持たない愚か者たち‥。

けど、ここまで読んでいただいた人なら、ノラは平和を共に祈れる気がしますぉ。

長長しい拙文をお読みいただきました事、とっても、ありがとうございます。(._.)

詩人でいたい

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
未知の情報に触れる楽しみは当人のみぞ知る。



インターネットを飛び歩いていて、

『雨ニモマケズ』が改変されていた事実を知りました。

どのような経緯で改変されたのでしょうか?

詩人は、仮名文字・一字の重みも理解する人種です。

それゆえ、詩人は他人の詩を滅多にいじらない筈。

だから初めは単純ミスかも知れないと思いました。

ところがそれは単純ミスなどではなかったらしい。

改変が意図的なら、賢治の心を踏みにじる所業です。



「ヒデリの時は涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き」

そう憶えていたけど、それは違っていたのです。

原文の「ヒドリ」が「ヒデリ」に換えられていた。

たった一字の違い、だけど、とても大きな一字違い。

私には賢治の深層から発した重い「ヒドリ」に思えた。

書き換えた人は「日照り」が判りやすいと思ったのか?

あるいは単純に、賢治が書き損じたと決めつけたんだ。

余りにも軽薄な、この責任感の無さは何なんだろう。

改変したのは誰なんだ…知る人は知るはずの秘密。

このイヤラシイ秘密が明かされる事はないだろう。

宮澤賢治を護らず、誰かの権威を守ろうとするか。

日本の詩壇に宮澤賢治の理解者はいないのか。

正しくは「ヒドリ」であり、改変してはならない。

素人が何を言うかと詩壇が無視するのは構わない。

「宮澤賢治の一ファンであれ!」…私はそう思う。



インターネットは便利な道具です。

だけど、良い物と悪い物、本物と偽物が判別しづらい。

ゆえに粗悪情報を取除くのは気づいた私たち一人一人。

少しでも疑問があるときには、声を発していこうよ。

インターネットを真実の情報で溢れさせたい。

その努力に見合う、あるいは努力以上の満足感はある。

美味しそうな情報に飛びつく風潮が蔓延しているけど、

私のサイトは健全な情報を発信していきたい。

いつもそんな思いでいるのです。



中身を充実させるため、幾つかのカテを統合中です。

宮澤賢治を詠む

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
賢治を思想家・革命家と捉え、ここではポエムに分類する。
私の想いとしては散文詩の形で語っていきたい。


目次

雨ニモマケズ手帳
ヒドリ論
ヒドリ
詩人でいたい

オツベル
オツベルと象(1)
オツベルと象(2)
オツベルと象(3)
オツベルと象(4)

家長制度
家長制度(2)
家長制度(3)
家長制度(4)

法院の孫娘
わが家の法印・孫娘
賢治の詩心
グランド電柱}
告別
よだかの星
道べの粗朶に
風の又三郎

宮澤賢治

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞
宮澤賢治編集する
最終更新: oxooo oxooo 2011年05月06日(金) 09:58:01履歴





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ヒドリ論
ヒドリ
詩人でいたい

オツベル
オツベルと象(1)
オツベルと象(2)
オツベルと象(3)
オツベルと象(4)

家長制度
家長制度(2)
家長制度(3)
家長制度(4)

法院の孫娘
わが家の法印・孫娘
賢治の詩心
グランド電柱}
告別
よだかの星
道べの粗朶に
風の又三郎