daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

幸せのゴールを目指して

2014年10月03日 | 詩心

智慧
綻びがないのを「智慧」といいます。

智慧の序 -「命」
智慧は活発ゆえに「命」と顕現します。

命の序 -「記憶」
命は飽かず・弛まず「記憶」し続けます。

生命体の序 -「活動」
生命体は記憶したように「活動」し続けます。

原生生物の序 -「ひとつの命」
原生生物は分裂するけれど仲間を己の分身と知る智恵を身につけます。
即ち、仲間と己は切っても切り離せない絆で結ばれていると知ります。
仲間と己の命は一つであると知る故に、仲間を疑うことはありません。

生物の序 -「愛の芽生え」
魚類の卵や植物の種子は母体の愛に育まれて生れることが出来ました。
卵や種子はやがて生育して、母体が愛してくれたように愛するのです。
愛する一生を覚え・信じて、次世代へ受け渡し・受け継いでいきます。
そうすることで、仲間が地上に繁栄していく途を選んで生きています。

胎児の序 -「信じ・遵い・従う法」
胎児は母体に護られている事を知るが故に母体を信じる法を憶えます。
胎児は母体を信じる法を保つがゆえに、母体が遵う法にも遵うのです。
つまり、胎児は母体が信じるように信じ、母体が従うように従います。
信じ・従う智恵は胎児が産まれた時には既に血肉となっているのです。

哺乳類の序 -「新たなる学習能力」
体験した事から何かを学習する哺乳類の智恵は驚異的と云えましょう。

人間の序 -「驚異的な学習能力」
人間も母を信じることを覚えますし、母に倣って従うことを覚えます。
人間は体験を積む中で次々に新しい智恵を生み・増やしていくのです。
人間の智恵の特徴は生れた後の体験から短期間で多くを学ぶことです。
人間に新たな知識がつく速さは他の生き物の速さの比ではありません。
つまり、人間の学習能力は他の哺乳類に比べて極端に高いといえます。

日本人の序 -「闇雲」
日本人は何事に寄らず闇雲に突っ走って遠まわりする傾向があります。
この闇雲な行動には「合理的行動」と「不合理な行動」とがあります。

散文詩型~私の場合

2014年10月01日 | 詩心
               

頑固な詩人は好いが、頑迷な詩人には手こずりそうだな
解らないことや過ちに気づいたら正せばいいじゃないか
唯々諾々と従うのは詰らないと考える自由な心でいたい
頑固な姿勢は色目で見られても自由な詩人でいたい私だ

私は詩を難しく作るのでなく易しく楽しく詠むのが好い
現代文語体は口語体に近づいていて、とても字数が多い
字数は多いが散文詩として使う分には扱いやすい口語体
だったら私の散文詩は現代口語体に近づけるのがいい

俳句や短歌を一括りにした物を散文詩と言えるだろうか?
俳句集とか短歌集と表現したい俳人・歌人が多いと思う
一括りの中身が連結していないバラバラならそれでいい
一括りにベクトルが与えられたなら別の呼び名でもいい

それは散文詩の集合体であっても同じ理屈と考えていい
散文詩の一つ一つは完結したブロックと観るほうがいい
ブロック同士が連結していなければバラバラの散文詩集
ブロックの集合体が一つの方向を目指すならば大散文詩?

大散文詩の各々のブロックは俳句や短歌で不都合はない
そうすると大散文詩には詩篇という呼び名がすでにある
詩篇の一章一章は連歌でも俳句でも韻文でも差障りない
詩篇はどこから読んでも、どこで切っても繋がっている

私の脳内で散文詩・詩篇が少しずつまとまりかけている。


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詩的生活

2014年10月01日 | 詩心



私が目指す詩に対する姿勢を述べておきたい
そうすることで私が迷った時の道標にできる

(1)出来るかぎり短い文章にするほうがいい

(2)発見は愉快である(驚きは読者の非日常である)

(3)私が出す正解は要らない(正解は読者の愉しみ)

(4)問い掛けになっている(詩に批判精神は必須)

(5)リズミカルな文体がいい(演説は歌うように語る)


いずれも過去に得た知識だが矛盾にみえるモノもある
しかしこれを心掛けるうち詩的生活を手に入れる筈だ。



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節句働きの意味は?

2014年09月30日 | 詩心
                   
怠け者の節句働き‥この諺が謂わんとするのは次のとおり
・いつもなまけている人にかぎって、ほかの人が休んでいるときにはたらいて自分をはたらき者に見せようとする、ということ。
http://tantaka.com/kotowaza/2005/10/post_171.html

世間の理解もこうなら、日本人一般に共通する普通の感覚だ
それにしてもこのオゾマシイ常識がどうしてまかり通るのだ?

生活保護費で遊興にうつつを抜かすような者には都合いいか?
なにせ国民の休日にも彼等は働く必要がなく遊んでいるのだ。

そう考えて、彼等の同類にはどんな人種がいるか考えてみた
不公平な税制の上に胡坐かいて誰かの取り分を搾取する奴等?

江戸時代でいえば武士階級は野良仕事に精だす人々を嘲った?
あいつ等は怠け者でもっともっと尻を叩いて働かしたらいい?

労働貴族も武士の提灯持ちして労働者を下にみて馬鹿にした
労働貴族は江戸時代もいたのだねえ、働かずゴルフ三昧だろ!?

泥どろになって野良仕事する人を卑しみ搾取して暮す連中だ
野良仕事を見下すのは己が遊び呆けのナマケ者だからなんだ。

それなら今の日本の失業者はナマケ者だっていうことになる
これに気づけない愚かな労働者はナマケ者と一緒に馬鹿笑い。

田畑を奪われた農民はナマケ者で無宿人のナマケ者になった?
無宿人は佐渡金山・石見銀山・足尾銅山に放りこまれただろ?

危険な場所で働かすための労働力を作っているのは権力だろ?
その伝統は今も生き続けてるって理解で間違ってるだろうか?

今回の原発事故の現場労働者にされた人のことも報道された
ナマケ者を必要とする思想は資本主義の思想から生まれます

資本主義思想は自由主義・共産主義・独裁主義全てに浸透し
世界中が資本主義思想の元に経済戦争に参入して凌ぎを削る

詩心は個人に宿り、人の尊厳を謳う民主主義思想の核となり
他人の命よりお金優先の思想を撃破するために庶民の有効策

と‥このようにどこまでも展開していく訳で人に優しい現実
ところが政治が要求するときは、あなたは野良にされる現実

真実の野良は庶民のあなたのことと知りたいなあ~★
のらくろ二等兵の場合、人間でなく犬だから仕方ないけどね。


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私のなかの詩と俳句

2014年09月30日 | 詩心
                 
詩に色々の形式があって、私は散文詩と俳句に惹かれている
難しく説明するとそれぞれに持ち味・特徴・長所短所がある
しかし私なりの理解で散文詩と俳句の二つに分別しています
私の俳句は有季・定型詩、そして文語体にすると決めている
だからそれ以外の詩を書くときは散文詩型を採ることになる
散文詩は一行詩であったり五七五型だったり文章型などです

散文詩を書くときの約束は特になく、読み手に通じたらいい
作者の想いを読者に通じさせるためにも文字数の制限はない
一文字で通じるなら一文字、本一冊分を費やしても構わない
この散文詩型の良さときたら気が済むまで書けることだろう
ただ折角書いたモノも読者が読まなければ書いた意味もない
長たらしい散文詩を読みとおすのは苦痛が往々伴うものです

一方、俳句の場合は作者の想いの解釈は読み手に委ねられる
字数は17音ゆえに一瞬で読み果せて読手の負担になりにくい
季語には季節が当てられるから季節の説明をする必要はない
約束に則るから句の解釈は約束ごとが代りに果すことになる
すなわち好き勝手に文字を書き連ねても句の想いは通じない
約束事に通じる詠み手にとって有季定型は手間暇がいらない

詩は言葉の表面的な意味だけでなく奥に秘めた想いを訴える
すなわち詠み手と読み手のコラボレーションで詩は完結する
多くを訴えるには多くの文字が必要となり俳句では不足する
しかし17音で数百文字分を語れる有季定型は効率的で美しい
このような観点から私は散文詩と有季定型文語体詩を選んだ

ところで文語体と聴いて古文を連想するのは私だけだろうか
現代語の文語体もあると思うが私はなぜかイメージ出来ない
現代語文語体については次の機会までに勉強しておきたい。



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どきどきわくわく

2014年09月30日 | 詩心

どきどきわくわく暮したいな

磁石に鉄は曳かれるけれどそこに何かしらの訳がある
何か知らない訳アリが寄り集ればあなたとあなたと私
不思議な世界のステージでどんなドラマもあなた任せ

引きずる喧嘩を続けてるなら睨みつけたり怒鳴ったり
そんなあなたの世界は修羅場の意味しかないんだろう
仕切り直しのあなたなら世界は修行の場になるだろう

ああ出るもこう出るもどう出るも自分の選択肢なんだ
世界が佳くなるも居心地悪くても自分の選択肢だから
だれかの所為にするかぎり暗い惨めな結末のドラマさ

どきどきわくわく暮したいさ

約束どおりの出会いであれば誰かの企てなんかでなく
だれもが趣味趣向の役柄を選り取って生きてるだろう
やみ雲に歩いても走ってもいい・あなたの世界だけど

あなたの世界と他人の世界が被さるときも場所もある
そんなときのあなたは青信号に変わるまで待つだろう
いやいや、アイツを通してなるものかかも知れないね

おれが先だ、どけどけって近ごろ多いと思いませんか
昨日も今日も明日もマイペースなら賢いと言えないさ
互いの気持ちは確かめあって譲り合わなきゃと思う私

どきどきわくわくも好いでしょ?



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先入観(言葉の力)

2014年09月29日 | 詩心


詩心を信じるとは、人間を信じ、人間の感性を信じることであり
さらに、言葉の力を信じられなければ言葉を発する元気を失くす
私たちは言葉を使って意思を伝えあい目的を果たすことができる
言葉力を信じず、あるいは言葉を敵視する人たちは暴力に訴える
暴力とは文字どおり得物で人を襲い・屈服させて恥じない卑劣漢
しかしそれ以上に「数の暴力」をつかいたがる者も日本には多い
これら暴力体質の非を言論で証明していくには詩心が必要になる

しかるにいくら詩人を標榜しても口を閉ざすところに詩心はない
言葉はモノゴトの道理・正邪・善悪を明らめるスグレ物なのです
道理を明らめればモノゴトの是非は具体的になって市民は助かる
すなわち詩人がつかう言葉は貴賎・貧富に囚われることなく公正
詩人の言葉を怖れるのは心やましい者、心清ければ歓ぶだろうし
貧しい身なりを卑しみ富貴に媚びへつらう者たちは詩心を怖れる
このような理由から私たちは先入観の正邪・善悪を知るべきです

詩心は美の果をもって佳しとし、正邪・善悪もまた然りでしょう
詩心に触れて人の佳さを知り、己の悦びだけでは満足しなくなる
他人の痛みが分かり、人間以外の生き物の痛みも分るようになる
モノを一人占めする愚かさにも気づき、いつか大きい人になれる
詩心が育ち花開くまでは人は誰でも目前の現象に迷うに違いない
人を憎み、人を呪い、人を傷つけ苦しめ、憂さ晴らしする人たち
他人の取り分を横取りし、一人占めしたがる卑しい人は大勢いる

くり返せば
人間は信じられると信じ、邪悪を叩きのめす言葉の力を信じたい
それを実現してみせる能力が培われていく詩人なんだと信じたい
そのように思われて、私には愉快に想われてならないのです。



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先入観(ポエム~詩心)

2014年09月29日 | 詩心


哲学を趣味とする人から「人は信じられない」とよく聞いている
人は信じられないと繰りかえしながらも己だけは別扱いのようだ
おいおい、人が信じられないならどうして己だけ信じられるのだ?
まあ、哲学だけが偏っているのでなく日本社会の問題なんだけど
「哲学は理屈」みたいに思いこむと人を信じられなくて当然です
そして文科省教育が理屈を弄ぶとき、日本中が人を信じなくなる

真実に関心なくて誰も過ちを正そうとしなければ‥みな同罪だろ?
どうしてそのような酷い事態になってしまったのか、嘆かわしい
人を信じるには詩心を育てることだと私は思うが、アナタは如何?
私が哲学するなら、それゆえにジャンル「ポエム」となるのです
教育を哲学するなら? やっぱり詩心を根本に据えることになる
事業も政治も福祉も宗教も哲学するときは詩心が根本になる道理

詩心は人間を信じ・人の五感を信じ・未来を展望する生命活動だ
いやいや、これは私の場合であってあなたの場合はどうだろうか
先入観としての人は信じられて、素晴しい五感六感を具えている
詩心からのスタートは人間を共に歩む仲間として捉える必然だし
疑念からのスタートは人間を敵視して獲物や宝を奪いあう結末だ
すなわち、疑いに始まる詩作は欲の皮が突っ張って皆がやせ細る

結局、詩人がつかう言葉は人を顕彰する目的で用いられるだろう
逆に詩心なく遣われる言葉は人に冷たく不幸を招き寄せるだろう
そのようなことが私は思われてならないがあなたは如何だろうか。


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先入観(to be, or not to be)

2014年09月29日 | 詩心
この記事を書こうとしてジャンルをどこにすべきか考えた
いや、初めから決っているから迷うことはないと云えるが
ともあれ、このように迷うことは先入観の打破につながる

このカテゴリーを「宗教・思想・哲学」と定めたけれど
それならジャンルは「文化」で好いんでないかと思ったり
でも現実の選択肢はコラム・社会・政治など色々とあって
詩心を魂とする私のブログのジャンルは「ポエム」とした
最初の決定にこだわっては先入観の打破につながらなくて
いやいや、初っ端からややこしいこと書いては敬遠される

大概の人は「サッサとしなさい」と育てられたと思うけど
それは「言う通りになさい」っていう他人の心への介入だ
誕生の瞬間に介入は始まって洗脳のシャワーを浴び続ける
殊に社会は介入の主戦場だからダメージを受けやすくなる
このような介入に強い体質づくりを担うのは主として母親
我がままいっぱい過させてもらった私の、これは実感だな

介入に対して免疫力が弱ければ非を己の責として受入れる
そりゃあそうだ、何につけ「私が悪い」なら人は鬱になる
鬱にならないためには弱い人を見つける必要も生れるから
それで弱そうな人・勝てそうな人に徹底して攻撃するのだ
その時のモンスター化した醜い姿に人は己で気づきにくい
ただ、モンスター化しなくても鬱で引きこもっては可哀相

私は何を言いたいかというと先入観の質の向上を図ること
狼に育てられた子は四足で歩くのを当然として生きるだろ?
人種差別する家庭に育てば人種差別が悪いと想えないだろ?
お金が大事と思わされた子は人の命よりお金を拝みたいさ?
人を信じられない家庭で育って人を信じられなくなるだろ?
最初の最初に刷込まれた先入観にどうしても引きずられる

いやいや、最初の最初に結論が決まっている訳ではないが
最初の泥沼から抜け出せない人が多い現実は認めなきゃだ
そこから脱する手段を求めて哲学者たちは悩んだらしくて
不確実なもの一切を疑うべきだとデカルトは述べたらしい
デカルトは「疑うことが哲学」みたいな理屈に迷いこんだ?
そのせいかどうか現代哲学は先入観的に疑うようになった?



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具わっているのだもの

2014年09月29日 | 詩心
大地は活発な生命に満ちて尊く

それらは互いに切磋琢磨して競い合い

互いを憎み合うことをせず懸命であり

誰もが己の約束を果して脇目を振らず

己の持ち味を最大に発揮して過したい

微生物には微生物としての用が具わり

花には花としての 魚には魚としての

雲に 水に 土に 火に 風でさえも 

それぞれに特色づけられた能力を使い

力を使い果して安詳として旅立つべし

善き生は善き死を得て更に善き生へと

凡ては約束に則って運ぶと知っていた

約束を果たす資格と能力を具えた生命

その生命が寄り集まっているこの世界

生命は必ず立たなければならないから

安詳として旅に立つ支度をしなければ

せっかく生まれてきたのだもの‥



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人間讃歌の俳句

2014年09月27日 | 詩心
人の可能性を謳う詩は聞く者を元気にする

人間賛歌は詩の務めであって持ち味なんだ

このようなことを私が言うのには訳がある

俳句は詩でないと想っている人は多いのだ

どうしてそんな風に思うのか私は分らない

詩が好いのなら詩らしい俳句を作ればいい

元気が出る・人間賛歌の俳句を作ればいい

徒に他人の俳句で元気を失うのは詰らない

悲しみを訴えたり・苦しみ叫ぶことはない

心に想うことは親子兄妹でも同じではない

人がどうだとかこうだとかは関係ないのだ

他人の関係のほうが善い場合もあるだろう

だからこれが詩だという俳句を作れば好い

私だって元気な俳句は読んでて気持ちいい

身も心も納得できる素敵な俳句を集めたい

そんなことを想って他人の俳句を観ている

名句と言われても好きにならない句はある

だれも高評価しなくても大好きな句もある

句作りを始めたからには徹底して拘りたい

私が好きなのは自然を愛し・命を愛する句

熱い心に満ち充ちて人に優しい俳句なのだ

素敵な俳句は素敵な人に似合うに違いない

いつか誰かをそんな素敵な俳句に詠みたい




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太宰治/僕の月見草

2014年09月08日 | 詩心
(4年前の今日の文章、編集し直して載せました)

お訪ねした先を飾っていた白い月見草
花が闇に輝いていて、それで書こうと思った




太宰治は宿の娘に念を押すようにはっきり言ったんだ

いいかい、これは僕の月見草だからね
釆年また来て見るのだからね
ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ
娘さんは、うなづいた


太宰が月見草を選んだ事情を考えた
どうして月見草でなければならなかったか
富士には月見草がよく似合ふ
そう思いたい事情が太宰にはあつた

太宰は富士をどう見たのか
そう思案して私は答えに導かれた
太宰は月見草と待宵草の違いを知らなかったのか
太宰治は待宵草を知らなかったと言ったのは誰か
そこまでは私には分らない
だが「知らなかった」の評価は一人歩きする

彼は「なだらかな稜線の富士の実景は凡庸」という
強敵を迎え撃つほどに骨がある富士ではないか
井伏鱒二の恥しいオナラを世間にばらした太宰だ
恐いもの知らずの太宰らしく歯に衣着せぬ物言いだ

真実は往々事実のなかに隠れる
だが隠れていても真実はどこかに必ず顕れる
月見草の白色が富士に映えるかどうか
そんなこと私は知らない
本物の月見草は白色で間違いない
だが黄色はどうして偽物になるのか
黄色の待宵草を月見草と誤ったのは誰か
待宵草と月見草を見誤ったと評価される太宰

さて宿への帰途のバスで隣りあった老女
彼女はバスの窓から黄色の待宵草を見つける
狭い山道の傍の崖プチに咲く待宵草は良かった
老女にも山道にも似合う待宵草は黄金の価値がある
黄色の待宵草だがその価値は黄金にも匹敵する
太宰はバスの中の時間を気分よく過ごした
その場の状況下で想い浮んだ母親だったろう
老女に太宰は母親の面影をみた

宿に着いた太宰は老女を想いだす
老女に似合う黄金の価値ある待宵草
そんな太宰だから母親の花も育てたい
母親に似合うのはどんな花が好いか
世間の或る人たちは想うだろう
山道の崖っぷちに咲いた黄色の花が好い
だがそれは太宰の感性でなく或る人の感性
太宰の感性を勝手に決めつけてはなるまい

太宰は想う
細い山道の陰に咲く黄色の待宵草は好い
富士が見えるこの場所には何が似合うか
ここには‥そうだ白い月見草が好い
来年から僕の月見草をここに咲かそう
富士にはなによりも月見草が似合う
「ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ」
そう宣告するほど想いが詰った月見草

太宰治は待宵草と月見草を間違ったのでなく
待宵草よりも月見草に価値を観たのでもない
山路の断崖の路傍に咲くなら黄色の待宵草
富士がみえるこの場所なら白い月見草だ
月見草の準備をしながらも母を想っただろう
病弱で甘えることが出来なかった母だった
亡き母の面影を偲びつつ畑を作る太宰だ
来年は母と一緒に月見草も富士も見たい
来年こそは成功した姿を母に見せたい
その強い想いがこもった月見草なのです

太宰は「来年」とせず『釆年』とした
采年の心は「真実・実力」が明らかになった時
太宰で云えば一流と評価された時
月見草なら立派に咲いた時
宿の娘に語りかける時は「来年」とした
太宰は月見草を通して決意宣言をしたのです
僕の実力は本物なんだよ
来年は富士と肩を並べる超一流になるよ。

エリート

2011年06月19日 | 詩心
この記事は【普通って?】から続いています。


ここでは間違っているエリート意識を気楽に語ってみます。

次下は【普通って?】で述べた『普通』の意味(4)です。

(4)エリートでない凡庸のレベルを「普通」と表現します。


そうすると、

選ばれた少数の優れた人々=エリートという思想があるんだ。

この思想が国家単位になると「選民思想」になるに違いない。

選民思想は「神国日本、イスラエル」という言葉が象徴する。

選民思想が社会の中に蔓延るときは「エリート意識」になる。

このエリート意識は健全だろうか。それとも不健全だろうか。



私は健全な庶民感覚の人間=市民であると自負していますが、

犬や猫・猿・豚等に対してエリート意識を持ったことがない。

即ち、健全な庶民はエリート意識をもたないと実感している。

そして能力に少々秀でた人物に対して畏敬の念を持っている。

或いは人一倍努力する人間を恐れ敬うのが健全な庶民である。



それならエリート意識を持つ連中はどんなレベルなのだろう。

俺は偉い、私は尊敬されるべき等と踏ん反り返りたい連中か。

国会議員も高級官僚も大企業経営者だから偉い訳ではないし、

嘘つき、脱税する、欲の皮は突っ張ってる連中は大勢いるが、

賢いように見えない。賢さの証明もできない愚か者に見える。



このように理論づけてきて、エリートは愚か者に見えてくる。

なんの根拠もなく偉ぶりたいだけのマヌケ面が浮かんでくる。

このマヌケ人間は果して、人間の尊厳を解っているだろうか。

他国と仲よく平和に共存共栄を図る知恵を発揮しただろうか。

そうでなければやはり、エリートは欲深いマヌケに違いない。



頭の悪い人間はエリートの一員になりたいと思うに違いない。

エリートになって地球を荒らして得意顔をしたいに違いない。

真に賢い人は己の地球を荒らそうなどと思いもしないだろう。

然るに愚か者のエリートは人間嫌いで大量殺人も行ってきた。

これではエリートを生産する大学は存在しないほうがマシだ。



さて、この凶悪なエリート、存在しないほうが良いエリート、

どなたか弁護できるだろうか?存在価値を見出せるだろうか?

弁護しないあなたの内心は、エリートを殺したいに違いない。

健全な庶民感覚の私は言いたい。愚かなエリートも人間です。

人間に害をなすだけのエリートも正しく教育し直すべき…と。



健全な庶民感覚だけが真に平和を願い、平和を築いていける。

エリートなんてモノは詭弁が生んだ幻想・たわ言・マヤカシ。

柳の木が幽霊に見えるような、取るに足りないエリートです。

政治は庶民の手に取り返すべきです。元々、人間は庶民です。

人間を支配したい輩。邪悪が絵を描いたエリート幽霊でした。



人間には庶民しかいない。庶民の中には健全な庶民が優れる。

こう理解したとき、普通の健康な感覚の人間が大事なのです。

当然、普通の健康な感覚の釈迦は庶民のなかに生きたのです。

普通の健康な感覚のキリストは庶民を友として生きたのです。

ムハンマドは庶民の暮しが成立つように政治を敷いたのです。



釈迦は人間じゃないなどと言う者はエリート幽霊の生みの親。

キリストは人間じゃないという者はエリート幽霊の生みの親。

ムハンマドもエリート意識など持たず、庶民を友としていた。

二十一世紀の現代に、正常な人間にエリート意識は必要ない。

普通の人が普通に使う正しい言葉に「エリート」は不要です。



庶民は人民と訳しても良いし、人間と訳しても良いと思う。

私が好きなリンカーンが使った言葉を紹介します。


 人民の人民による人民のための政治


 【government of the people, by the people, for the people.】



普通って?

2011年06月17日 | 詩心
これは【蜘蛛の糸(欲)】からの続きです。


◎『蜘蛛の糸』の意味を述べている途中ですが、挿入します。


私は【普通】について、

茂木健一郎の宇宙/たま』のコメント部分で触れましたが、

ここで『普通』の意味、もっと詳しく述べておきます。

つぎの(1)~(4)は辞書から拾った「普通」の解釈です。


(1)社会・世間にざらにある状態を「普通」と表現します。

(2)平均水準として見られる傾向を「普通」と表現します。

(3)一般にそう思われている水準を「普通」と表現します。

(4)エリートでない凡庸のレベルを「普通」と表現します。



文学の場での日本語の曖昧表現は奥ゆかしいとされていても、

議論する場の日本語の好い加減さには困らされるほうが多い。

殊に国会発言や法学者の説明責任無視の行為が犯罪的なのは、

日本語の長所を詭弁として悪用するゆえに悪質となるのです。

詭弁遣いの先鋒となっているのは国会議員や高級官僚である。



そもそも詭弁を許す体質が日本社会には…普通…に見られる。

お解りでしょうか?この…普通…は(1)~(4)のどれか?

エリートとされる連中が詭弁を多用している事実は否めない。

曖昧さは断固として弾劾すべきなのに被害者は泣寝入りする。

歴史的にみて、いちばんの被害者となってきたのは庶民です。



この構図から透けて見えるのが『長い物には巻かれよ』体質。

つまり庶民を弾圧してきた歴史の呪縛はまだ解かれていない。

しかも庶民同士も『長い物には巻かれよ』の体質を引きずる。

しかも殆んどの人が自分には無関係みたいな顔で暮している。

それは「イジメ」となって小学生から大人まで蔓延している。



イジメが『普通』になっているなら、日本人は異常なのです。

エリートから庶民までイジメが普通のことになっている日本。

イジメの意識なく、イジメル日本人はイジメを認知できない。

これですこしはアナタのイジメ体質を認知できたでしょうか。

普通のあなたがイジメ体質を支えていると認知してください。



これでイジメ体質の「普通の日本人」については、

四種類の『普通』の中の(1)~(3)に当てはまりました。

それゆえに『普通』でない日本人の中に正常な人は存在する。

異常を『普通』と呼ぶ感覚のほうが異常だとお解りでしょう。

本来、正常な感覚こそが『普通』でなければならない筈です。

日本の実情に従って『普通』と言う時、異常を意味している。



日本の『普通』が異常だと解れば、つじつまが合ってきます。

政治家の歯切れの悪さ、司法の歯切れの悪さ、官僚も役所も。

詐欺師がゴマカシ逃げ回って歯切れの悪いのは嘘つきだから。

説明責任を果たさぬ歯切れの悪い政治家・司法・官僚・役所。

いったい、どこの詐欺師が庶民のために役立つと思いますか?



真面目に正直に生きられなくした詭弁家はマッチポンプです。

普通の庶民は真面目…こんなセリフを詭弁家はヌケヌケ使う。

真面目な普通の庶民をだまし続けてきたのは詭弁家の政治家。

その結果『普通』の意味は異常を意味するようになっていた。

『普通』が正常を意味する時、庶民の暮しは安定し楽になる。



なお、

庶民の自覚に立つとき、あなたは賢くなって騙されなくなる。

だが騙す側に取り入ろうとして、あなたは不幸になるのです。

あなたは人を騙すような悪人には向いていないと思いなさい。

あなたはイジメに向いてないし、悪人向きにも出来ていない。

お人好しのあなたが悪人の仲よし・仲間になれるワケがない。



庶民が幸せを手に入れる最大唯一の道具は『正直』なのです。



「蜘蛛の糸」を正しく理解するためには正しい言葉による。

正しい言葉…すなわち、あなたと私は同じ言葉を必要とする。

同じ言葉は詭弁に依らず、庶民を幸せにする言葉のことです。

政治家や法学者・官僚が好んでつかう詭弁は役に立ちません。

遠まわりに見えても必要ゆえに『普通』について述べました。



今の日本は詐欺師政治家が広めた「詭弁」で言葉が乱れてて、

それで庶民同士の言葉も乱れてしまって会話になっていない。

あたかも日本社会がバベルの塔のごとく、言葉が乱れている。

言葉がかき乱されて人々の心が一つになる邪魔になっている、

邪魔してる詭弁家、詭弁政治家・詭弁法学者・官僚なのです。



国会議員が国会で誠実に語り合うとき社会は平和になります。

しかるに国会議員が真実の証言を拒否しているのが今の日本。

国会で真実を言わない政治家の存在を許している日本の大人。

この不正義を正そうとしなければ、日本人は不幸で当りまえ。

犯罪の生みの親は『自分ではない』と言える人々は安心です。


すこし余談に入りましたけど、必要と思って述べています。




つぎは【エリート】へ続きます。


茂木健一郎の宇宙/パタ

2011年06月08日 | 詩心

茂木健一郎氏のツイート・シリーズ、今回は【パターナリズム】です。


パターナリズム:

強い立場の者が弱い立場の利益に配慮しつつも、その意志を無視して、

行動に介入し・干渉するやり方で、「父権主義・温情主義」のことです。

茂木健一郎氏の主張は理解できますが、疑問点についてここで考えたい。


私(管理人)の文は『青文字』、茂木健一郎氏の文章は『黒文字』です。



kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(1)「広げるに値するアイデア」を議論する場として注目されているTED (http://www.ted.com/)に参加した時のこと。3日目くらいに気付いた。誰も、連邦政府に言及しないし、大組織の話もしない。みんな勝手にやっている。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(2)TEDでは、組織や、肩書きがあればいい、などとは誰も思っていない。大切なのは、「広げるに値するアイデア」だけ。政府に期待だとか、補助金がどうのとか、そんなことを一人も言っていないのは、きわめて爽快であった。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(3)子どもは、親が何でもやってくれるものと思っている。その期待が裏切られると、地団駄踏んで泣いたりする。どうして買ってくれないんだよ~! そのうち、親もまた人間であり、完璧ではなく、いろいろ欠点もあるのだということが見えてくる。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(4)どうも、日本人は、国というものを何でもやってくれる親だと思っているところがある。だから、裏切られると怒る。わめく。なんでやってくれないんだ、と追及する。しかし、それは裏返すと、国が面倒を見てくれるはずだ、という期待があるということである。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(5)「パターナリズム」が、日本で飛び交う言葉の背後に見え隠れする。大新聞が社説で「国はもっとしっかり」などと書くのも、その一例である。国はどうせ大したことをやってくれないんだから、自分たちでさっさとやるよ、という気持ちが、そこには感じられない。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(6)情報を隠蔽していた、というのもパターナリズムの裏返しである。隠蔽していたも何も、最初からたとえば英語圏にはその情報があったりする。言葉の壁を考慮しても、自分で情報を集めようとすれば、それはとっくに存在しているものだったりするのだ。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(7)国がだらしないとか、政治家がダメだとか、そういう言説を信用しない。「しっかりと保護してくれるはずだ」というパターナリズムに対する期待の裏返しに過ぎないからである。国だって政治家だって、しょせんは人間。あなたや私と同じように、不完全なのだ。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(8)子どもは、最初は親に頼るが、そのうち大きくなって、自分で生きるようになる。それから、親の面倒を見るようになる。日本人はいい加減に、パターナリズムの幻想から覚めて、自分の足で立つようになったらどうだろう。


kenichiromogi 茂木健一郎

パタ(9)親が小さく見えた時、人はきっと大きく成長している。国が小さな、頼りなく、情けない存在に見えた時初めて、私たちは精神的に一人立ちできるんじゃないかな。国なんて、所詮そんなもんだよ。だって、不完全で弱い人間が集まってできている幻想に過ぎないんだから。


kenichiromogi 茂木健一郎

以上、「パターナリズム」(「父権主義」)についての連続ツイートでした。

(2011年6月4日)


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例によって私の意見はコメント欄に載せてまいります。