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いらっしゃいませ。
病気とはなんでしょう?
物質的肉体を脱ぎ捨て、幽体・霊体での生活では病気は無いことが判っていますが、
つまり病気は、「物質的肉体特有の現象」ということになります。
では、病気の正体について考えてみましょう。
・この世は幼い霊の修行の場である。
・この世は因果律などの法則によって数学的・機械的正確さで営まれている。
・病気は苦しみを伴い、本人や周囲の人の自由を制限する。
結論から言えば、病気の正体は(お金と同じように)重要な「教材」の一つです。
その教材は、主に「シグナル」「過去の負債の清算(償い)」という二つの性格を持っています。
因果律は法則です。
この世の様々な法則に反した行いや考えをしてしまうと、
それを自分の負債として蓄積し、時期が来ればそのツケを支払う仕組みです。
そのツケが物質的肉体の不調という苦痛として出現した現象が「病気」です。
つまり病気は、間違った行いや考え(想い)に対する「結果」であって、
自分の蒔いた種を刈り取っている状態(償い)と言えます。
そういった仕組みを考えれば、
病気を「シグナル」として受け止めるはとても大切です。
もし、この時に過去を振り返って何がいけなかったのかを学べなければ、
たとえ進歩した医療のお陰で治ったとしても、それは一時的と言えます。
負債を蓄積する生活は改善されないワケですから、
やがては、病気やその他の苦痛として再現されることになります。
増して、医療によって根本的な問題解決や償いを先送りしていまうワケですから、
再現される苦痛は更に大きくなる場合もあるでしょう。
病気を「シグナル」として、間違った過去を修正する切っ掛けと考えれば、
それはとても有り難い現象ということなんですね(笑)
さて、病気には重いもの、軽いもの、治るもの、治らないもの、
生まれつきのもの、など様々です。
それぞれそれなりに本人の成長に必要だから現れる現象なのですが、
時に本人の周りの人の自由を制限する程の大きな病気もあります。
こうした病気が出現するもう一つの意味は、
周りの人の修行に関わる意味合いも強く、
時に国家や世界に宛てた「メッセージ」的な意味を持つ場合もあります。
「病人を抱える・介護する」とは、介護する人自身の修行でもあります。
その経験は償いでもあり、人の痛みや苦しみを目の当たりにし、
自分の様々な葛藤から生まれる苦しみや喜びを体験しながら、
本物の「慈愛」を学び育てるとても高度な修行といっていいと思います。
今正に介護に直面している人は、
多くの場合、お金の心配や自由を制限される生活でのストレス、
自分の健康の心配や人の命の問題まで、
まるで人生の縮図の様なあらゆる困難を突き付けられていることになります。
そういった苦しみを知っている人たちの開発された 理性と良心 が、
苦しんでいる人の負担を軽減しようと始めた活動によって、
介護はようやく社会的な動きになって来ました。
介護のプロやボランティア、小さな地域での助け合いの取り組みなど、
その助け合いの仕組みはまだまだ迷走中であるものの、
きっと人間はいつかこの問題を克服できるのでしょう。
何よりも、悪戦苦闘の中で迷走しながらも「努力」「尽力」していることが、
この世での修行である「霊性の開発」につながる尊い行為ですし、
生きることの最大の目的を実践していることになります。
こういった体験をすることが出来るのが 「病気」 の最大の存在意義と言えるでしょう。
病気を克服する近道は、何が間違っているのかを探し当てて、
それを修正することです。
もしあなたに、病気から発生する様々な苦しみから救ってあげたい人がいるのなら、
一緒に間違い探しをしてあげてください。
それは、あなたと共通の間違いかも知れませんし、
あなたには解決済みの間違いで、良いアドバイスが出来るのかも知れません。
病気はあなたへのメッセージであり、
それは「慈愛」を学び合うための教材ということです。
ひとりカフェ 店長。。☆
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