ひとりあそび~如風~

気ままが大事
日記風 雑感 雑想を気ままに書き綴る

読書~ひとりあそび⑨~

2019-07-06 07:04:13 | 日記
幼いころから自然とひとりあそびに夢中になっていた。
あえてひとりあそびを選んだというよりは、
ふと気がつくとひとりあそびだったような気がする。

確かに学校行事や部活動など集団行動もあったけど
関心や興味は薄かったような気がする。
まじめにやらないといけないといった責任感や
ひとに迷惑をかけないようにといった意識があったので
集団にはそれなりに参加していたようには見えていたかもしれない。
とはいっても、決してリーダー的な行動はなかった。
それは集団行動にのめりこむ意識が薄く、第三者的な意識だったのかもしれない。

読書

子どものころは、国語が苦手だった。読書感想文は最も苦手だった。
漢字が苦手だったからである。
しかし、高校生後半くらいから徐々に読書が楽しくなってきた。
いまも読書はかかせない。
なぜだろう。
高校生の時に読んだ「旋風に告ぐ」(陳舜臣)の長編を読み切った時の感動を今も覚えている。
明時代の倭寇のものがたりである。
それ以来、大作を読み始めたのである。

大学時
大学は自由だった。何しろ自分で好きな勉強をしていればいいのである。
授業にはまじめに出たが、授業間の時間も長い。その間は読書だった。携帯もスマホもない時代である。

ふと太宰治を読み始めて夢中になった。
全作を読んだ。
読み続けるとやめられない作家、作風である。
自分の弱さ、人間の弱さに初めて触れた作家であった。
人間とは弱いものである。

心が動かされたということかもしれない。
青春の戸惑いをどう整理したらよいものか悩んでいたからかもしれない。

学生時には夏目漱石もよく読んだ。
漱石は「三四郎」「それから」「門」のように人間の戸惑いを知ることができたからかもしれない。
人間は迷うものである。

武者小路には純心を思った。
三木清の「人生論」で人生・人間を考えた。
ヘッセの「車輪の下」は感動のあまり落涙を禁じ得なかった。
カフカの「変身」は驚愕だった。
学食、図書館、喫茶店で読むのが好きだった。

読書による体験は、青年だった自身のこころに知らずしらずに影響を与えていた。
いまそう思うのある。

あれから30年以上経つが、当時の本はいまも持っている。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿