カネやんの愛称でおなじみの、日本プロ野球投手で前人未踏の400勝を達成した金田正一さんが死去、86歳。
高校中退して1950年に国鉄(現ヤクルト)入り、現役生活20年のうち国鉄で15年・353勝、残りの5年は読売に移籍して47勝の計400勝、1969年シーズン終了を以て引退。
引退後は解説者やタレントとして活動した後に1973年から1978年までの6シーズンと1990年~91年の2シーズン、計8シーズン間ロッテの監督として采配を振るい、1974年には後期優勝、プレーオフで前期優勝の阪急をやぶりパリーグ優勝、日本シリーズでは読売のV10を阻んだ中日を破って日本一に輝く。
テレビとかの印象では「豪放磊落」。
名球会の設立者でもあるが、当時プロ野球界の「神様」と呼ばれた川上哲治氏を排除して自分がトップとして君臨できる組織にするため名球会の入会条件を成績のほかに「昭和生まれ以降」に限定したのは有名な話。
しかし、カネやんがナベツネ氏よりも先に逝ってしまうとは。
ご冥福をお祈りします。
高校中退して1950年に国鉄(現ヤクルト)入り、現役生活20年のうち国鉄で15年・353勝、残りの5年は読売に移籍して47勝の計400勝、1969年シーズン終了を以て引退。
引退後は解説者やタレントとして活動した後に1973年から1978年までの6シーズンと1990年~91年の2シーズン、計8シーズン間ロッテの監督として采配を振るい、1974年には後期優勝、プレーオフで前期優勝の阪急をやぶりパリーグ優勝、日本シリーズでは読売のV10を阻んだ中日を破って日本一に輝く。
テレビとかの印象では「豪放磊落」。
名球会の設立者でもあるが、当時プロ野球界の「神様」と呼ばれた川上哲治氏を排除して自分がトップとして君臨できる組織にするため名球会の入会条件を成績のほかに「昭和生まれ以降」に限定したのは有名な話。
しかし、カネやんがナベツネ氏よりも先に逝ってしまうとは。
ご冥福をお祈りします。
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