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氷月神示 その23

和宮にとってはようやく心静かな日々が訪れていた

東京に戻って3年後の明治10年、彼女は脚気の治療のため箱根の塔ノ沢の温泉に宿をとった

そばを川が流れ、落ち着いた山あいだ

…そこで治療中に容態が悪くなり、息を引取った 享年31才

箱根の阿弥陀寺でまず密葬が行われてから、東京の増上寺の墓所の徳川家茂の隣に葬られたので、阿弥陀寺にも位牌と彼女の念持仏がある

又、増上寺には彼女の立像も安置されていて誰でも見ることができる

…徳川慶喜は和宮の死後、自分の命の恩人だと言って、毎年命日に墓所にお参りしたという

徳川ばかりか、日本の分裂を救い、国民を外国の支配から守ったお方として、幕末に活躍した他の人々の中で目立たぬが、大変功労のあったお一人と言えるでしょう


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