kuroの気楽な日々!

徒然の慰めに書き綴る気儘なコラム

ミーの粗相

2016-10-23 22:40:25 | 日記

   

前にも書きましたが我が家は2家族同居世帯です。

私と妻、それともう1家族がミーとその子供たち。ユキにモモです。

実は猫です。

ミーは1年半ほど前プチ家出をしました。ほんの2,3日です。

お腹に子供を宿して帰ってきました。

父親の分からない子猫が7匹も生まれました。

2kgにも満たない体格でよくぞ7匹も!

            

ミーは全鯖です。

生まれた子達は全鯖と黒白(背中黒腹白)および鯖白(背中鯖腹白)の3柄です。

多分父親は黒白なんでしょう。

そういえば肩で風切って界隈を闊歩する大きな黒白ののらを見かけたことがあります。

かなりのワルです。

 

さて私は必死で里親探しをしました。

5匹まで引き取り手が見つかったところで考えました。

ミーが寂しがるだろうから父親の血を残してあげたらどうか。

それで鯖白の男の子ユキと黒白の女の子モモを残しました。

二つともいい子に成長しています。

ワルの子とは思えぬほどおとなしい子たちです。

                                                                    

いい子とばかり思っていた母親ミーのほうがよっぽど不良かもわかりません。

その不良娘が最近私のふとんに粗相をするのです。

最初はてっきりトイレが汚れていてそれが気に入らなくて反抗しているのかと思いました。

一生懸命まめに掃除しても改まりません。

ひょっとしたらマーキング?避妊していても発情は止まらないものなのですかね。

あるいは、ミーは私のことが大好きだから関心を惹こうとしているのでしょうか。

何れにしても私の身体にも服にもミーの尿臭は染み付いているような気がします。

毎朝満員電車で私の回りに立つ人は往生しているのでしょうね。

 


故郷の訛りなつかし・・・・・。

2016-10-18 22:08:13 | 日記

     

     

小学1年から中学2年までを岩手県の奥羽山脈のど真ん中で過ごしました。

初めは外国へ来たかと思いました。

周りの人々が何を話しているのかさっぱりわからないのです。

「あば あばな~」(ばあちゃん さよなら)

これだけならなんとなく推測はつきます。

これに独特のイントネーションが加わり、しかも早口でズーズー弁となるとそれはそれは難しい外国語に聞こえます。

それでも小学生の私は一生懸命学びました。

土地っ子と同じ言葉を話し、一緒に行動しいっしょに遊ぶ。

小学生がそんなことを考えていたわけではないのですが、中学生になるころには完全に土地っ子になっていました(と思っていました)。

           

こんな面白い話もあります。小話です。

ちょうど集団就職盛んなころで、集団就職で東京に向かう生徒たちに先生が注意を与えるのです。

「いいか。東京に行ったらズーズー弁は馬鹿にされるからな、標準語を早く身につけるのだぞ。

まずはじめには語尾に[こ]をつけないようにすればいいと思う。」

東北弁ではたとえば(うまっこ)(べこっこ)(はなっこ)のように語尾に[こ]をつけるのがひとつの特徴となっています。

その特徴を消せば良いというのが先生の目論見だったのでしょうか。

生徒の一人がその言葉を胸に東京に出たのです。

ある時その生徒は上司から買い物を頼まれました。

店でその生徒は言葉遣いに気をつけ、元気な声で言いました。

「すみません。たばください。」

店の主人は飲み込めず、きょとんとしていました。

たばこの語尾の[こ]まで消してしまったのです。

 

そんな笑い話の出る時代だったのですが、いま私は岩手に住んでいた期間の何倍もの期間を東京で暮らしています。

時々妻の故郷秋田仙北の地(岩手との県境)を訪れるのですが、もう彼の地は外国、アウェーとなってしまいました。まったく翻訳できないのです。

けれども行けば楽しいのです。ほっとします。妻の親戚たちとおしゃべりしていると、わからないことだらけでもとても癒されるのです。

方言は好き嫌いの判断を下すようなものでなく、父親です。母親です。兄弟です。ふるさとそのものです。

その中に包まれているだけでいいのです。

     

     

 

 

 


 


なんといってもドトール

2016-10-12 22:42:54 | 日記

昔若かりし頃、貪るように本を読んでました。

別に純文学と言うようなものではなくエンタテイニングなものばかりです。

文庫本をポケットに忍ばせ、どこにでも持ち歩きました。

そして喫茶店を探し食事と休憩という生活を送ってました。

ソファにゆったりと座ってコーヒーを飲みながら読書。

最高のひと時です。

実は現在でもそんな場所を求めています。

今は喫茶店というわけにはいかない。

あれから半世紀近くなり、喫茶店のコーヒーの価格は非常に上がったようです。

今の私の境遇では贅沢すぎます。

私はこれに変わるものを懸命に探しました。

ありました。

いわゆるコーヒーチェーンショップと言われるものです。

スターバックスとかベックスとかドトールとか・・・・・。

中でもドトールです。

ゆっくりとしたソファはありません。

豪華なセットもありません。

それでもコーヒーが200円ぐらいで飲めて喫煙席があってそれなりに寛げて読書にも集中できます。

それがドトールです。

今やどこへ行っても一服したいときはまずドトールを探します。

 

 

 


サンバが阿波踊りに・・・・・。

2016-10-03 22:59:35 | 日記

 

日曜日、近くの商店街のお祭りです。

土日2日間のイベントのようです。

神社のお祭りではないので神輿は出ません。山車も出ません。

フリーマーケットが道路の両側を埋めます。

屋台も出ます。大道芸人が大きな声を張り上げて客集めをします。

もちろん商店街の各店が目玉商品をアピールします。

最大のイベントは阿波踊りです。午前1回午後1回都合2回練り踊ります。

2連だけです。

そこがちょっと寂しいかナ。

                                                                        

 

何年か前にはサンバが跳び跳ねていました。

それなりにサンバの踊りの周りには人垣ができてたような記憶があります。

普段、特に日曜日はあまり人が歩かない商店街です。

阿波踊りは寂しくてもお祭りとなると全体としてはこんなに人が集まるものなのですね。

商店街の企画は当たったというべきでしょう。

あるいは長年こつこつと企画を続けてきたことが周辺の住民にやっと浸透してきたのかもしれません。

                    

不思議だったのは何故サンバが阿波踊りに変わったのか、このことです。

商店街の人に尋ねると、東北大震災の影響とか。

裸に近い格好で派手な音楽に乗って踊るサンバに若干の後ろめたさを感じたのでしょうか・・・。


後の祭り・・・・・。

2016-10-02 23:28:22 | 日記

          

          

久しぶりに墓参りをしました。

丸岡です。

北陸新幹線で金沢に出、レンタカーで丸岡というルートです。

実はこの旅お経を上げて手を合わせるという目的の他にもう一つ密かな目的があったのです。

我が家の墓は古い墓で、いや実に実に古い墓で、墓石の角がもうなくなって丸くなってしまってます。

何しろ墓碑銘が天和二年からあるのですから。徳川綱吉の時代です。

そのため家長である兄が墓石を置き換えようとか、移動しようとか計画したことがあったらしいのです。

しかし役所からはこの墓を県の有形文化財に指定したいので動かさないようにというようなことを言われたと言うのです。

確かに古くて陣笠の乗った墓石は士族のものだとはなんとなく分かります。四百年も立ち続けている墓にはなにかしらの曰くありげです。

         

ところが、我が家の墓石には車屋という屋号が刻まれているのです。

車とは糸巻き車または糸繰車のことを言うそうで、それに関わる商売をしていたということのようです。

どうして武士に屋号などつくのでしょうか。

ひょっとして我が家の祖先は商人だったのだろうか。

             

興味深いことです。

でも残念ながら問い合わせをできる先人達はもういません。

文書類にしても今のところ確認されているものはお寺の過去帳のみです。

子供時代青春時代に古い親戚ともっとお付き合いをしておけば、お寺さんにももっと何度もお参りしていればと思います。

でも今となってはどうしようもありません。

後の祭りとはこのことです。