菅原道真の歌<東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ>
この和歌は文献により2通りの書き方があるそうです。
第5句の<春な忘れそ>です。文献によってはこれが<春を忘るな>となっているようです。
<春な忘れそ>は春を忘れないでおくれぐらいの言い方、<春を忘るな>は文字通り命令調の言い方ということになります。
この後<東風吹かば・・・>の和歌が掲載された最初の歌集は拾遺和歌集のようですが、それには<春を忘るな>と書かれているようですから菅原道真のオリジナルは<春を忘るな>なのかもしれません。
しかし私としては和歌の各句の流れ上また意味上から言っても<春な忘れそ>のほうが柔らかな雰囲気を醸して好きです。
この和歌があまりにも有名なため、私はてっきり梅の咲くころには東風が付き物なのかなと思っていたのですが、そういうことではないようです。
菅公が太宰府に左遷されたのは旧暦正月、新暦で言えば2月ごろのことだったようです。まだまだ西高東低の気圧配置が主流で風向きはというと北風が最も多かったろうとは推測できます。
でも西高東低が崩れ移動性の気圧配置の現れる頻度が少しずつ増えると、時々は東風や南風の吹くことも増えてきます。風向きは北より一辺倒からいろいろな方向へと変わるということになります。
海からの湿った暖かい空気が入り込み陽だまりでは暖かいという日も現れます。
旧暦の正月半ばというのはちょうどこんな変化の時期だったのではないかと思います。
天気は西から東へと移動します。
<南風(はえ)>より<東風(こち)>が先に来ます。だから昔の人は<東風(こち)>をもって<東風(はるかぜ)>と呼んだのだろうと考えられます。そして東風は西へ西へと吹いてゆきます。その行く先は遠い西方の太宰府です。
東風吹かばにほひ起こせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
東風が吹き始めるぞ!そろそろ花開いて梅の香を(西方の太宰府に届く
よう)東風に乗せておくれ!
もうここに主はいなくなるが、決して春を忘れて咲く時期を間違えたり
しないでおくれ!
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