脳裏に残った結婚式(披露宴)の第2弾は、妻の姪の挙式です。
妻は新日本舞踊をやっていて、当時は「名取」の許状を持っていました。
披露宴の余興に何か踊ってほしいと言うので、それでは夫婦でパートを分けて私が歌を歌い妻がそれに乗せて舞踊を披露しようということになりました。
妻はまだ良いのです。
脚光を浴びて舞台に立ち万雷の拍手を受けるのが大好きな質なのだから。
問題は私です。
今でこそカラオケ経験も豊富になり、堂々と歌えるようになりました。
でも当時はそう簡単にはいかなかったのです。
沢山の目が集まって来たり脚光を浴びたり拍手を受けたりするのが面映ゆくはずかしいのです。
気の利いた祝辞の一言二言も言ってあげればいいものを、あがり症の私はそれもせず棒立ちで歌に必死だったのです。
それでもなんとか自分としては上手く歌えたような気はしました。
このことに私は長いこと負い目を感じながら生きてきました。
だから、根本的には苦い思い出なのです。
それを救ってくれたのは妻の踊りでした。
心地よい掛け声や、万雷の拍手を受けて妻は踊りを終えてくれたのです。
姪にとっても私にとっても素晴らしく楽しい思い出となった結婚式だったと思います。
私自身は実に馬鹿な人間で、長々と同棲生活を送ったあと式も挙げず披露宴も開かず届だけで済ませてしまいました。
子供も作らず家庭生活に計画性も取り入れずダラダラと長い仮夫婦の果てのことでした。
だから私の脳裏に残る結婚式(いやむしろ披露宴)というのは全て他人のものです。
ひとつはサラリーマン時代の同僚の友の結婚式です。
底なしに飲む友と酒のあまり強くない私は、凸凹コンビのように夜な夜な朝方まで飲み歩く生活を続けていました。
私は途中で一旦眠ってしまい目が覚めるころには友の足元が覚束なくなって、私がタクシーに押し込んで送り帰すといったパターンのつきあいでした。
そんな友の結婚式です。
といってどこで行われたのか、あるいはどなたが出席してどんなスピーチをしたのかどんな余興をしたのかなどといったことを覚えているわけではないのです。
ただ友にスピーチを頼まれ、スピーチは苦手だから歌にすると言って、あがり症の私でも声だけ張れば何とか歌えそうな「武田節」を歌った記憶が鮮烈に残っているのです。
若い頃よく登山をしました。
東京に住んでいたので関東周辺の山が多かったのですが、長い休みが取れるときは北アルプスまで脚を伸ばすこともありました。
そんな時は出来るだけ富山立ち寄りで帰るようにしてました。
「ますのすし」目当てです。
もちろん東京にいても「ますのすし」は買えます。
でも疲れ切って山を下りて帰りの列車の中で食べる「ますのすし」はなぜか美味しい。
疲れ切っていたからなのか、列車の中だからなのか。
そういったムード的なこともあると思います。
とにかくわざわざ富山に立ち寄って、駅で購入する「ますのすし」が好きです。
さぁ、夏の甲子園予選が始まりました。
最近わが母校が強くなってきたようで、都立校でありながら西東京予選で16強ぐらいまで行くことがあるようで、とても楽しみです。
私が高校生であった頃はいつでも1回戦で大敗していた野球部でした。
今回も3回戦までは順調でした。
でも4回戦では、甲子園常連校が相手だったためかあえなく敗れてしまいました。
私が居たのは半世紀も昔のこと。
今の学生たちは私から言わせるともはや人種が違う連中のようにも思えます。
今更勝敗に一喜一憂することもないのですが・・・
でも勝ち続けてくれると何故かうれしいものです。