kuroの気楽な日々!

徒然の慰めに書き綴る気儘なコラム

二世帯同居・・・犯人は誰だ!?

2016-08-03 22:23:27 | 日記

我が家は二世帯同居家族です。

私と妻の二人で一世帯。

そしてミー、ユキ、モモで一世帯。

この二世帯でごちゃごちゃと暴れまくっています。

特にミーの家族は高いところや狭いところ、飛んだり跳ねたりしています。

ミーの家族は家の中だけで走り回り、決して表に出ることはないのです。

 

それなのに何ということだろう。

家族で蚤を飼い始めたようです。

いったいどこから連れてきたものやら。

妻と二人で毎日毎日夜の夜中に猫の蚤取り作業に余念がありません。

もうかれこれ一週間ぐらいたちますか。

人間様も家に帰ると痒くて痒くてしかたありません。

でも、猫たちは外にも出ていないとすると・・・。

まさか蚤を連れてきた犯人は?・・・私?

 


やっぱりメロン

2016-08-01 22:22:46 | 日記

『夏はスイカ』と言います。

たしかに冷やしたスイカを食べると、冷たくて甘い水分が口の中を満たす。

けれどスイカには独特の生臭さがあります。

と言うより野菜臭さと言った方が近いのかな。

メロンはと言うと、これは完璧にフルーツの香りがします。

上品な甘さがあります。

種の取り方もメロンのほうが楽です。

大きさ的にもスイカは少々大きすぎます。

こうやってメロンを独断的に贔屓してしまうと、スイカ好きの方々から異論が沢山出てきそうです。

スイカは種を飛ばして遊べるとか、スイカは浴衣で食べるのが似合うとか・・・。

味だけでなくいろいろな点で比較していくと、スイカも捨てがたい魅力があります。

T.P.Oでいくしかないですね。

浴衣を着て花火を見ながらならばスイカ。

明るいテラスでデザートとするならばメロン。

こんなふうにね・・・。


思ったとおり・・・都知事選

2016-07-31 23:08:32 | 日記

(webより)

都知事選が終わりました。

結果は初の女性都知事誕生です。

 

小池百合子候補は早い段階で立候補を決めていました。

淡々とした中にも覚悟の決まった人の態度でした。

小池さんとしては与党の応援は欲しいところでした。

与党が増田氏を応援すると決まるやあっさりと無所属に転じました。

「与党の応援が無くとも私は出ます」

この覚悟が大勢を決したように私には思えます。

この覚悟を堅持して都政を行ってほしいと思います。


結婚式・・・第2弾

2016-07-26 22:36:03 | 日記

  脳裏に残った結婚式(披露宴)の第2弾は、妻の姪の挙式です。

妻は新日本舞踊をやっていて、当時は「名取」の許状を持っていました。

披露宴の余興に何か踊ってほしいと言うので、それでは夫婦でパートを分けて私が歌を歌い妻がそれに乗せて舞踊を披露しようということになりました。

妻はまだ良いのです。

脚光を浴びて舞台に立ち万雷の拍手を受けるのが大好きな質なのだから。

問題は私です。

今でこそカラオケ経験も豊富になり、堂々と歌えるようになりました。

でも当時はそう簡単にはいかなかったのです。

沢山の目が集まって来たり脚光を浴びたり拍手を受けたりするのが面映ゆくはずかしいのです。

気の利いた祝辞の一言二言も言ってあげればいいものを、あがり症の私はそれもせず棒立ちで歌に必死だったのです。

それでもなんとか自分としては上手く歌えたような気はしました。

このことに私は長いこと負い目を感じながら生きてきました。

だから、根本的には苦い思い出なのです。

それを救ってくれたのは妻の踊りでした。

心地よい掛け声や、万雷の拍手を受けて妻は踊りを終えてくれたのです。

姪にとっても私にとっても素晴らしく楽しい思い出となった結婚式だったと思います。


友の結婚式

2016-07-24 01:31:34 | 日記

私自身は実に馬鹿な人間で、長々と同棲生活を送ったあと式も挙げず披露宴も開かず届だけで済ませてしまいました。

子供も作らず家庭生活に計画性も取り入れずダラダラと長い仮夫婦の果てのことでした。

だから私の脳裏に残る結婚式(いやむしろ披露宴)というのは全て他人のものです。

ひとつはサラリーマン時代の同僚の友の結婚式です。

底なしに飲む友と酒のあまり強くない私は、凸凹コンビのように夜な夜な朝方まで飲み歩く生活を続けていました。

私は途中で一旦眠ってしまい目が覚めるころには友の足元が覚束なくなって、私がタクシーに押し込んで送り帰すといったパターンのつきあいでした。

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そんな友の結婚式です。

といってどこで行われたのか、あるいはどなたが出席してどんなスピーチをしたのかどんな余興をしたのかなどといったことを覚えているわけではないのです。

ただ友にスピーチを頼まれ、スピーチは苦手だから歌にすると言って、あがり症の私でも声だけ張れば何とか歌えそうな「武田節」を歌った記憶が鮮烈に残っているのです。