1955年 台灣公文書中將釣魚台標示為琉球群島的一部分
台湾当局が1955年に発行した公文書の中で、釣魚島を琉球群島の一部分と表記している。
日本名 中国名 面積(平方キロ)
魚釣島 釣魚台 3.82
久場島 黄尾嶼 0.90
大正島 赤尾嶼 0.06
北小島 北小島 0.31
南小島 南小島 0.40
沖の北岩 沖の北岩 0.05
沖の南岩 沖の南岩 0.02
飛瀬 飛瀬 0.01
1958年11月 北京地図出版社発行の地図には、釣魚島を日本の領土内に描き、しかも「魚釣島」「尖閣群島」という日本名で表示している。
1958年11月北京地圖出版社編輯部編印的地圖「日本之部」,將釣魚台劃入日本領土之內,並以尖閣群島標示。
「世界地図集」(北京市地図出版社)1958年
同じ年に中国で発行された台湾の地図には、尖閣諸島は含まれていない。
同年中國發行的台灣地圖
つまり、1958年時点で中国は、尖閣諸島は台湾に属するのではなく、日本の領土と認識していたことになる。
1959年、商務印書館が出版、新華書店北京発行所が発行した『台湾地理』は、中学校の補助教材として使われた本。
「全区島嶼の分布 最も東は台湾本島の東北にある棉花嶼という島、最北は台湾本島の東北に位置する彭佳嶼という島」「尖閣諸島は琉球群島の内側」との記載がある。
下の画像は中国で発行された1959年版の「台湾地理」だが、この前年、1958年に中華民国(台湾)で発行された『台湾地理』にも、まったく同じ記述がみられる。
1959年商務印書館出版、新華書店北京發行所發行《台灣地理》(作者吳壯達):「全區島嶼的分布,最東,是本島東北的棉花嶼,……最北,是本島東北的彭佳嶼,地距瑞芳鎮的鼻頭角約五十六公里,與琉球群島內側的尖閣諸島遙對」。
1960年、中華民国内政部製作の《台湾省5市16県詳細図》には、台湾付属の76の島が明記されているが、台湾の島は北緯21度45分25秒(恒春七星岩)から25度38分(基隆彭佳嶼)までであるとし、尖閣諸島はこの領域に含まれない。
1960年,中華民國內政部製作《台灣省5市16縣詳圖》,明記台灣附屬島嶼七十六座,分佈範圍從恆春七星岩到基隆彭佳嶼,未記載釣魚臺。
1960年4月、北京地図出版社発行『世界地図集』第1版 で、日本の部分を見ると、釣魚島は日本の領土として描かれている。
4月,北京地圖出版社發行《世界地圖集》第一版的日本地圖仍將釣魚台劃給日本
1961年、中華書局出版が歴史学者向けに出版した『雨種海道針路』の中の、釣魚嶼の項目では、釣魚嶼は台湾の基隆から琉球へ渡る途中にある尖閣群島の中の一つの島であり、その名を魚釣島というが、釣魚島ともいう、とある。
1961年中華書局出版由歷史學者向達著作的《兩種海道針經》,其中之「釣魚嶼」項目:「釣魚嶼為自台灣基隆至琉球途中尖閣羣島之一島,今名魚釣島,亦名釣魚島」
1962年北京地圖出版社發行臺灣地圖
1962年 北京地図出版社発行の台湾地図
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます