『指南広義』1708年
琉球國中山王府進貢正議大夫程順則撰於康熙四十七年戊午(1708)的《指南廣義》,往來福建琉球的部分就明確記載釣魚台,保釣人士最愛引用的中山傳信錄也是參考此書寫成。
『指南広義』は、琉球の学者であった程順則(ていじゅんそく) (1663~1734) が1708年に中国瓊河の福州琉球館(柔遠駅)で版行した、那覇-福州間を往来する貢船の航海に供するための指南書。
右ページ左下、福建と琉球の往来の部分に、「釣魚台」という記載がある。
海図なのだから、航海に必要な目標となる島を記載するのは、当然だ。
中国の活動家がよく引用する「中山伝信録」は、この「指南広義」を参考に書かれたと言われている。
《指南廣義》臺大圖書館收藏
台湾大学図書館所蔵の「指南広義」
『中山伝信録』1719年
『中山伝信録』は、中国の冊封副使・徐葆光が著した中国から琉球までの航路図。
船の針路を示す海図に、目印となる島が記載されている。
下の海図の左端に、「釣魚台」と記載されている。
このように、『指南広義』も『中山伝信録』も、船の針路を示す海図に過ぎないのだが、これらの絵を合体させて、中国が尖閣諸島領有の根拠の一つとしている『三国通覧図説』が書かれた。
『順風相送』作者・年代不詳(中国は1403年作と主張)
明朝鄭和下西洋的《順風相送》航海圖中曾經記載釣魚台,依國際公法的原始發現原則,斷定釣魚台自古屬於中國。依此而論,當時鄭和所紀錄的各處,是不是都屬於中國所有?而且這篇文章開始就提到〝取小琉球頭〞,小琉球指的就是台灣,然而明史將台灣歸在外國列傳中。
中国は、1403年(明代)に書かれた『順風相送』が、釣魚島について記した現存最古の文献であり、「原始発見の原則」にしたがって、釣魚島は中国の領土だと主張している。
もしその議論が成り立つのなら、では、この『順風相送』に出て来た島は、すべて中国領だと主張するつもりなのか?
※中国の楊潔篪(よう・けつち)外相の「中国は明の時代より600年間、釣魚列島(尖閣諸島)を支配している」という発言の根拠になっているのが、この『順風相送』だが、このほど石井望・長崎純心大准教授(漢文学)が8日までに「完全な誤りだ」と学術的に反証した。
詳しくはこちら
↓
■領有主張「完全な誤り」 「中国が600年前から支配」 石井氏、学術的に反証 〝尖閣は琉球文化圏〟と指摘(八重山日報 2012年11月9日)
http://bit.ly/UuJEzd
『順風相送』もまた、領土領海図ではなく、単なる航路図に過ぎない。
明代の『順風相送』の中に釣魚嶼の名があり、冊封使の記録に釣魚台の名が登場するからといって、尖閣諸島が中国領であった証拠にはならない。
台湾は、明代には中国領ではなかった。
外国とみなされていたはずである。
中国の主張は、こうだ。
・台湾は、明代からすでに中国の領土であった。
・しかし、当時の明朝が台湾を実際に統治していたかと言われれば、実際は台湾は海賊の巣となっていたのが実情である。(しかし領有権は中国にあった)
・台湾の澎湖島は、福建省の行政管轄内にあった。澎湖島の巡検司が台湾を管轄していた。したがって、台湾は古来から福建省に属していた。
・その台湾に附属する島が釣魚嶼である。
釣魚島は台湾のもの、台湾は明代から中国のもの。
したがって、釣魚島は明代からずっと中国のもの。
このような三段論法になっている。
しかし、下の『大清一統志』という文献を見てほしい。
『大清一統志』1744年
《大清一統志》說台灣是「自古荒服之地,不通中國」名曰東番。明天啟中(1621-27)為紅毛荷蘭夷人所據,屬於日本」。
「台湾は古来より荒服の地であり、中国と通ぜず、名は東蕃。天啓年間(1621-1627年)紅毛荷蘭夷人(オランダ人)に占拠される。(中略)台湾はもともと日本に属する」と記載されている。
したがって、「明代には台湾は明の領土であった」という中国の主張には、まったく根拠がない。
<結論>
単なる航海図に記載されているからといって、その島を領有していたことの根拠にはならない。
中国が古来から尖閣諸島を領有していた根拠としている『三国通覧図説』は、これらの「船の針路図」を見た江戸時代の日本人が書き表した絵に過ぎない。
江戸時代の日本人が、小さな島の所属をどこまで把握していたかは、甚だ疑問で、その証拠に、『三国通覧図説』では台湾所属の島を中国や尖閣と同じ色で塗り分けている。
信頼性に乏しい資料であるということだ。
琉球國中山王府進貢正議大夫程順則撰於康熙四十七年戊午(1708)的《指南廣義》,往來福建琉球的部分就明確記載釣魚台,保釣人士最愛引用的中山傳信錄也是參考此書寫成。
『指南広義』は、琉球の学者であった程順則(ていじゅんそく) (1663~1734) が1708年に中国瓊河の福州琉球館(柔遠駅)で版行した、那覇-福州間を往来する貢船の航海に供するための指南書。
右ページ左下、福建と琉球の往来の部分に、「釣魚台」という記載がある。
海図なのだから、航海に必要な目標となる島を記載するのは、当然だ。
中国の活動家がよく引用する「中山伝信録」は、この「指南広義」を参考に書かれたと言われている。
《指南廣義》臺大圖書館收藏
台湾大学図書館所蔵の「指南広義」
『中山伝信録』1719年
『中山伝信録』は、中国の冊封副使・徐葆光が著した中国から琉球までの航路図。
船の針路を示す海図に、目印となる島が記載されている。
下の海図の左端に、「釣魚台」と記載されている。
このように、『指南広義』も『中山伝信録』も、船の針路を示す海図に過ぎないのだが、これらの絵を合体させて、中国が尖閣諸島領有の根拠の一つとしている『三国通覧図説』が書かれた。
『順風相送』作者・年代不詳(中国は1403年作と主張)
明朝鄭和下西洋的《順風相送》航海圖中曾經記載釣魚台,依國際公法的原始發現原則,斷定釣魚台自古屬於中國。依此而論,當時鄭和所紀錄的各處,是不是都屬於中國所有?而且這篇文章開始就提到〝取小琉球頭〞,小琉球指的就是台灣,然而明史將台灣歸在外國列傳中。
中国は、1403年(明代)に書かれた『順風相送』が、釣魚島について記した現存最古の文献であり、「原始発見の原則」にしたがって、釣魚島は中国の領土だと主張している。
もしその議論が成り立つのなら、では、この『順風相送』に出て来た島は、すべて中国領だと主張するつもりなのか?
※中国の楊潔篪(よう・けつち)外相の「中国は明の時代より600年間、釣魚列島(尖閣諸島)を支配している」という発言の根拠になっているのが、この『順風相送』だが、このほど石井望・長崎純心大准教授(漢文学)が8日までに「完全な誤りだ」と学術的に反証した。
詳しくはこちら
↓
■領有主張「完全な誤り」 「中国が600年前から支配」 石井氏、学術的に反証 〝尖閣は琉球文化圏〟と指摘(八重山日報 2012年11月9日)
http://bit.ly/UuJEzd
『順風相送』もまた、領土領海図ではなく、単なる航路図に過ぎない。
明代の『順風相送』の中に釣魚嶼の名があり、冊封使の記録に釣魚台の名が登場するからといって、尖閣諸島が中国領であった証拠にはならない。
台湾は、明代には中国領ではなかった。
外国とみなされていたはずである。
中国の主張は、こうだ。
・台湾は、明代からすでに中国の領土であった。
・しかし、当時の明朝が台湾を実際に統治していたかと言われれば、実際は台湾は海賊の巣となっていたのが実情である。(しかし領有権は中国にあった)
・台湾の澎湖島は、福建省の行政管轄内にあった。澎湖島の巡検司が台湾を管轄していた。したがって、台湾は古来から福建省に属していた。
・その台湾に附属する島が釣魚嶼である。
釣魚島は台湾のもの、台湾は明代から中国のもの。
したがって、釣魚島は明代からずっと中国のもの。
このような三段論法になっている。
しかし、下の『大清一統志』という文献を見てほしい。
『大清一統志』1744年
《大清一統志》說台灣是「自古荒服之地,不通中國」名曰東番。明天啟中(1621-27)為紅毛荷蘭夷人所據,屬於日本」。
「台湾は古来より荒服の地であり、中国と通ぜず、名は東蕃。天啓年間(1621-1627年)紅毛荷蘭夷人(オランダ人)に占拠される。(中略)台湾はもともと日本に属する」と記載されている。
したがって、「明代には台湾は明の領土であった」という中国の主張には、まったく根拠がない。
<結論>
単なる航海図に記載されているからといって、その島を領有していたことの根拠にはならない。
中国が古来から尖閣諸島を領有していた根拠としている『三国通覧図説』は、これらの「船の針路図」を見た江戸時代の日本人が書き表した絵に過ぎない。
江戸時代の日本人が、小さな島の所属をどこまで把握していたかは、甚だ疑問で、その証拠に、『三国通覧図説』では台湾所属の島を中国や尖閣と同じ色で塗り分けている。
信頼性に乏しい資料であるということだ。
航海圖が重要でない筈がありますか。