杉板を内装に使うというと、そのイメージは、「自然素材の家」とか「無垢の木の家」とか、そうゆうものにつながりやすい。無垢の木を内装に使う事は確かにいいのだけど、どうしてもイメージを規定されてしまう。特に、使いやすい「杉の節あり」は、主張が強い。
床・壁・天井と「杉板」を張った家は、私にとっては、あまり心地よくない。そうゆうものを作りたいのではない。「自然素材の家」などのコンセプトである「人にとって安全」である事は当然であって、そうゆう事を『大見出し』にする必要はないと思うのだ。
「 家 」 にとって大切な事は 『 心地よさ 』 『 暮す事の楽しさ 』 だと思う。
それはひとりひとり違うものだから、建物として自己主張する必要はない。『心地よさ』『暮す事の楽しさ』を感じ、そうゆう気持を誘い出す、なにげない「仕掛け」や「装置」として建物を作ればいい。
「家」は、住む人の人生や暮しを映し出す『ギャラリー』になればいいと思う。だから、壁も天井も床も「そっけなく」「タフ」なものにしたい。人生の時々で『ギャラリー』の内容を変える事ができなければならないから、そのために「家」は「カンタン」なものがいいと思う。
床はモルタル仕上げでもかまわないし、石やタイルでもかまわない。。かまわないのだが、『ギャラリー』といっても、プライベートな『すまい』であるから、私としては『木』を使いたい。「そっけなく」「タフ」であり『木』であり「カンタン」であるもの、というキーワードでしぼっていくと、『杉の厚板』が候補の1つになる。
「素足で歩く」
これは人間の根源的な行為。素足で歩くのは気持いいものだ。大地と、地球とつながる感覚。
家に帰ってクツを脱ぐ・・という行為は、この日本において、気候的に・民族としての習慣・感覚として、これからもなくならないだろう。素足にとって「木の床」は、もっとも安心感がある。「厚板」なら「大地感」にもつながる。その「厚板」の中で手にしやすいのが「杉」。政策により日本中の山に植林された「杉」。床板に「大地感」を求めるとするなら、最も「日本的大地感を表す材料」が「杉の厚板」かもしれない。
「しっかりした木造」から始まり、無垢板だ、土壁だ、和紙だ、と自然素材を求めつつ、「自然素材の家」という範疇に今一つ入りきれず、でも何か質感を求めている。作り込む事にもあまり気が乗らない。
家は「ポンとカンタンにできるもの」がいい、という思いが強くなりつつ、「カンタンさ」の中の「質感」を求め模索する中、「杉の厚板の床」は、通り過ぎずに留まっている。自然素材としての「杉」ではなく、素足のための「大地感」を表すのに合っているのかもしれない。決してシャープな表現にはならないけれど、そっけないけれど、いつまでもなにげない優しさで、暮しにつき合ってくれる。。そんな気がする。
杉の床
(完)
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杉の床の暮らし
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熱心な「杉板派」でも「自然素材の家派」でもありません。
自分の「すまい」についての思いを振り返り、まとめつつ、自分の方向性を見つめ直すという作業でもありました。うまく整理できたわけではありませんが、糸口は見えました。「杉の床のある暮し」は「杉板の床」をお勧めしたい、というわけではなく、「家」を「暮し」をもっともっと「素(もと)」の部分で考えていけば、「いい家」を作る事ができる、という私の思いです。うまく表現できたなどとは全く思いません。しかしそれは、このブログ『Home Room』に書き留めた思考の断片に一貫するものです。これから家を建てようと考えられている方に、何かしら感じていただけたら幸いです。ハウスメーカーや建売が悪くて、設計事務所と建てる家がいい、という事ではありません。せっかく建てる家ですから、「楽しい暮しのできる家」を作っていただきたいと思います。「家族が楽しく暮らせる事」は、本当に「幸せ」な事なのですから・・・・