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頭の良くなる家?-4

個室とリビングの関係を、建物と広場の関係に結びつけたことは、ちょっと強引だった気もします。(笑)
しかし、ただ、居間とかリビング、と言っているより、何か違うもの、可能性を感じていただけたでしょうか。
すまいと家族の関係についての定義や論議は時代により変化しています。
最近の子供の事件が起こるたびに言われること・・・・
おとなしい/いい子/優秀/めだたない・・・
そんなのあまりに一般的評価で、日本中の子供になにかしら当てはまります。
今、内面で潜んでいて、外からわからないっていうことですよね。
内面の何かが変わっている・・・時代を追うごとに・・。
それは、私を含めて40代当り以降、なにかしらあるのではないでしょうか?
それは、高度成長期、街と住まいの形が大きく変わっていった時代にだぶります。
まだむのお散歩のまだむさんがコメントに書かれています。
今、察することがむずかしい
個室を持ったことにより。私達は、察することから逃れようとしてしまったのではないでしょうか?
それは、実際は結構しんどいことです。
独りになりたいのにがまんしなければばらない。好きなことしたいのにがまんしなければならない。なんで自分がそんなことしなければいけないの?・・・など。
だから子供としては、そんなものから逃れたいですね(だったんだと思います)。
でも家族だからぶつかりあっても許せる、、はずなんです。もし、家族がだめなら、近所の子供達や、おじちゃん、おばちゃんという、地域の関係の中でもできたことなのかも知れません。
しかし、今となっては、近所にそんな関係を求めることは難しい時代になってしまいました。
だから、家族の、、いや、人間としての関係をもう一度考え直さなければいけないのではないでしょうか。
親も、親の権限を持ち子供に向うのではなく、ひとりの人間として、もっと言えば、子供の頃の自分にもどって向かい合ってみたらどうなんでしょう?
それは、自分の心をもう一度見直すことなのかもしれません。・・・
自分がしてほしかったこと・・・
自分がしなければいけなかったこと・・・
あの時代を思い出して・・・。
街角倶楽部のphase2さんが、記事の中で、ご自分がニュージーランドに1年住まわれたことについて書かれています。
Flatという一軒家を数人で借り、共同生活をされたそうです。基本的に、前回私が言ったように、各人の個室とリビングの関係だそうです。
国も違う人達が、一つの家で、生活するのですから、それは、もう相手のことを無視して生活するなんて考えられません。
自分がTVをみてても、相手が見たい番組がればゆずる、だれかが本を読んでいれば静かにする、誰かがいて、自分が食事を作れば誘うこともあったでしょう。
相手を思い、そして自分も主張しなければならなかったでしょう。察しなければ、共同生活はくずれてしまいます。
それは、大人どうしだし他人だから、そうすることができるのかもしれません。(しなければ成立しないですね)
それを家庭の中でできたら、いいなぁーと思ってしまいました。だから、親とか子供とか関係なく、できたら・・・
他人との共同生活では、ぶつかり合いうまくいかなくなれば、共同生活をでていかなければなりません。
でも、家族の関係は、そんなシビアなものではないはずです(そうであって欲しい)。許せるはずです。おはよう!って言って、何にもなく朝が始まるはずです。
そうでなければ、力関係で弱い子供は、居場所がなくなります・・・・
phase2さんが書いてます。
私は、むりをしてもしかたがないのでわからないことは、わからないと言い、Flatmateはみるにみかねて、手取り足取りいろいろ教えてくれた。
他人だからできるのか、いや他人でさえできること、家族の中でできないことありません(きっと)。
そんな中で、お互いをだまっていても察し、そっと手を差し出す。そんなことが生きて行く上で必要なことで、それこそが、頭が良くなること、そして、そんな関係が築ける家が、頭が良くなる家 なのではないでしょうか・・・

頭の良くなる家?・・おわり

おわりに当たり、cawcablogのkenkenさん、まだむさん、phase2さん、ありがとうございました。
そしてphase2さん、おかげで”頭の良くなる家”のおとしどころができました。重ねてありがとうございました。

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コメント一覧

しだ
konoさん!わざわざ、ありがとうございます。
http://studio-room.no-blog.jp/homeroom/
>どうしようもない運命を感じて・・・
すごい!すごいことですね!!!
>人生はきっと面白いものだし、
>人間は結局いい人ばかりだと信じている
顔がほころんでしまいました!
わたしもそう思います!!!!
わはははははは
なんだか、今日はいい日になりました!
これからも楽しみにしてます!
kono
こんなところからすみません。
http://kono.mo-blog.jp/kono/
読んでいただきありがとうございました。
少しは気が晴れたとか、そのこと、力にさせていただきます。
自分の力ではどうしようもない運命を感じて、書き始めました。自分の気持ちを誰かに伝えたいということです。人生はきっと面白いものだし、人間は結局いい人ばかりだと信じている私です。これからも覗いてください。
kenken
しださん、こんにちは。
http://www.cawca.com/
どうも私のはっきりしすぎる性格がいかないんでしょうかねー(笑)しださんの家族という事についての話が、なんだろ。。建築だけでなくもっと大きな話であるとは判っていながら、私は建築設計屋としての視点で話させて頂きました。すみません。家族の問題・空間としての問題。すこしわけた方が良いのかもしれませんね。そしてそれが組み合わせることが出来たとき、いい物が出来そうな気がします。私の立場として1.クライアントの家族は私の家族ではない2.でも私は設計者として出来ることはある。そんな感じでしょうかね。。私は私に出来ることを真剣に考えてみたいと思います。でも、子供が出来たらまた違ったこと言うんでしょうねー(笑)しださんやPhase2さんのほうが実感がある話ですもん。まだまだ若造です。がんばります。
しだ
phase2さん、ありがとうございます(涙、涙、)
http://studio-room.no-blog.jp/homeroom/
kenkenさんのとこにも書いたんですが、自分の中で整理がつかなくなってしまいました。
きっかけは新聞記事で簡単に入ったんですが、同時にあの事件が起きてしまいました。
子供の事件は、自分も子供がいる身として、とても悲しく、その背景にあるもの(よくわからないですが)に、ものすごく腹が立ちます。
だから、すまいと家族の関係を言っているのか、社会と人間(?)の関係を言っているのか、区別がつかなくなってしまいました。
もう一度、整理してみます。
でも、住まいは、ひとの心が幸せでなければいけないが、持論ですから、そのしてんで、なにかしら、そういう事を書いていると思います。
これからもよろしくお願いします。
そして、おっしゃっていること、よーくわかります。
自分達は、部屋を与えられて、それはそれで重要で、有難いことだったと思います。
それをもう一度考えてみます。
Phase2さんも、よろしければ、考えてみていただけますか。
Phase2さんの視点は、とても参考になります。
しだ
kenkenさん、目はもうなおりましたか・
http://studio-room.no-blog.jp/homeroom/
いやー私の、理解力のなさで、申し訳ありません。
kenkenさんの考えはちょっと違う方向なのは感じていました。
もうちょっと私もゆっくり理解すればよかったんですが・・・
強引に自分の都合で解釈してしまいました。スミマセン^^
実は、私も、プロトタイプそして集合住宅にはすごい興味があるんです。
住宅とはそのかぞくに一番ふささわしいかたちのオリジナルである、とは思います。が、
たとえば、考え方を変えて、百家族、百タイプの住宅ができるとすると、、、もしかしたら、一つのべーすタイプがあって、それにオプションを用意し、それを組み合わせることで、百タイプに対応できるのではないか。、、そんな考えも持ってます。
そして、それは、集合住宅にそのまま、いやむしろ、集合住宅のこそふさわしいのかも、、とも思っています。
建設コストの削減、しいては、購入価格ノ低下につながり、購入者の多様性に対する対応が可能なのでは無いか、、そんなことを・・・。
そして、その目的は、kenkenさんの言われるshareなのです。それは、部屋を、空間を
shareするだけでなく、住宅自体ををshareすることも有り得るのではないか、と考えています。
つまり、その人、その家族にとってその住宅が、不要になることもあるわけで、そのときに、住宅を交換するということがあってもいいのではないでしょうか。
そういう時代になると、必要になるのが、プロトタイプだと思います。
まあ、またそんなことについて書いてみたいと思います。kenkenさんの考えもそのうち拝見できたら、うれしいです!
頭の良くなる家・・じつは、自分のなかで整理がつかなくなってきてしまったのです。
2つの問題点が、混ざってしまって・・・
もう一度、出直します^^^^
phase2
しださん、こんばんは^^
http://esquina.blogzine.jp/viva/
随分と大々的に取り上げていただきありがとうございます。でも、私としてもできれば続編をお願いしたいです。家族の人間関係と”家”とを結びつけて考えたことなどなかったもので。

自分自身のことを思い起こすと、小学校5,6年の頃から自分の部屋に憧れました。私には、弟と一緒の子供部屋がありましたが、やはり個室が欲しかった。中学生の頃には親に知られたくない秘密や、言っても理解してもらえないような夢中になれること(わかります?私の場合はラジオの深夜放送だったりビートルズの音楽だったりです、時にエッチな本とかもありました)がたくさんあって、できれば触れて欲しくなかった。親から見れば大したことじゃないことが、本人には一番大切だったりします。家族の目を気にしながら、今の私の趣味嗜好の原点が出来上がったわけです。

もし鍵付きの自分の部屋があったらどうだったかなぁ、とか考えてしまいました。うちのガキンチョがそろそろそんな年頃です。そのあたりのこと、今度取り上げてもらえませんか?今、物置になっている子供部屋を、ぼちぼちどうにかしようと思っているんです^^
kenken
あ・・・おわっちゃたんですかね?汗
http://www.cawca.com/
ゆっくり考えてからコメント書こうと思っていたら・・
住宅を考えるとやっぱり家族論になってしまいます。
ただぼくが学生の時、様々な家族の形・多様化する家族・想像も付かないような家族形態をサンプリングして分析していくわけにはいかなかったというのと、もっと違う次元での解答を探すことが出来るのではないか。。そういった話から先日私のBLOGで書いた1人の人間対1人の人間という図式になったわけです。phase2さんの海外での共同生活の形態(これは私も経験しました)さらには、学生の頃のスキー場でのアルバイト時代の生活形態(2段ベッドの一つが唯一のプライベートな空間)そして、同棲(カミングアウトですね。笑)などいろいろな個人的経験の中で考えたことも加味しての事ですが、住宅のプロトタイプの一つとして”全く知らない他人2人が共同で住む住宅”その形態を連結すると集合住宅であったり家族という形に発展出来るのではないか。。そんなことを考えていました。クライアントがいて、その家族にフィットする住宅を考えるのは簡単だと思います。ただ、その家族の形も将来的にはどうなるか判らない。そういった時もっと基本的なレベルでの人間関係を穏やかに接続する装置としての空間を設定しておいてあげれば対応できるのではないかと。。それにちょっとだけその家族特有のモノ/コトを加えていく。そんなことが出来たら新しい住宅って出来るんじゃないかなんて今も考えていたり...いろいろ言葉足らずで、しださんに私の意図するところが伝わりきらななったことお詫び申し上げます。(文章へたなので。。)今の仕事自体は完全にそのクライアントに合わせた住宅を作っているのですが、私個人としてはシステムとかそういったことが好きなんでしょうね。色々なクライアント・家族と接する中でもみんなに適応できる柔軟なシステムを作ることができたらなーなんて、勝手に1人で考えています。「頭のよくなる家」って所からちょっと趣旨がずれちゃいましたが、私の思っていることを書かせて頂きました。
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