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送る事 受取る事 つなぐ事 分かち合う事

送る事

物ではなく 思い を。

地震と津波で被災した人達の 悲しみ・苦しみ・絶望 は、そん事を経験していない自分には、本当の意味では理解できないのだと思います。必要な物を送ったり、自分が出向いて何かする事もできません。無力感で一杯になってしまいます。さらに、壊滅的な原発のすぐそばにいる事の恐怖は、、、自分で最悪の状態を想像してみても、そこから離れる事もできない人達と同等には感じる事ができません。

自分に出来る事は、、福島第一、第二原発が、、一日にも早く静まるよう 思いを そこに 送り続ける事です。

擬人化すれば・・・地震に驚き、震え、我を忘れ暴れまくってる原発。
もう大丈夫だから、元のように落ち着こう。無理やり形にされ働かされてきて、嫌だったよね。もう大丈夫だから、静かに眠りにつこう。。

その思いを送り続けます。

・・

そして、地球にも。

人間の身勝手さに、怒り続け、ガマンできなくなっている地球。
今回の事で、どれだけ自然の、、いや 地球の力の前に、人間はちっぽけで、無力な存在であるかを思い知った。。
青い海と、美しい浜と、豊な山が、どれだけ僕らに大切なものかも、十分にわかった。みんながわかった。
だから、もう怒りを鎮め、やさしい姿に戻ってください。これから、もっともっと大切にするから。。

その思いを送り続けます。

・・

そしてそれが、現地の人達の不安を、少し和らげる事ができるんじゃないか と思います。

福島に友人が居ます。家族は無事だったけど、避難所にいます。「原発から30km圏内」に入ります。その友人に自分と同じ2人の子がいます。彼からのメールの最後に、泣き顔の絵文字が付いてました。。これからの事、家族の事、なにより子供達のこれからの事を考える彼の気持ちを思うと、いたたまれない・・・・・。
「命があっただけ感謝です。」と彼は言うけれど、それは本当にそうだけど、これから先・・・どれだけ大変な事か。。

とにかく今は、彼と彼の家族が、何事もなく、健康で、元気でいられる事を願うだけしかできません。

その思いを送り続けます。
不特定多数の人をイメージできないけれど、彼を代表として、被害に遭ってしまった人達に送りたいと思います。

強く強く思い、それを送り続けます。

バカバカしいかもしれないけれど、思いはエネルギーであるという事は事実です。ひとりのエネルギーはたかがしれているけれど、何万人、いや日本人全員がそういう思いを送り続けたら、そのエネルギーは、もしかしたら、動かす事ができるかもしれません。

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受け取る事

日本中、今 東北に目を向けているけれど、振り返ると、、、
世界中の人が、日本に励ましのメッセージを送ってくれている事を知りました。
我々の背中には、世界中の応援の思いが送られています。それに気づくと、なんだか温かなエネルギーを感じます。

「I Love Japan」 ・・・たくさんの人が日本を好きでていてくれたんだ。

その思いを しっかりと受け止めましょう。 ダメな日本じゃなかった。。。

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つなぐ事

世界中からのその「思い」を載せて、みんなで、被災した人達に思いを送りましょう。 何か「できる」「できない」に関わらず、思いをつないでいけば、「そこに」たどり着きます。日々しかりと生きていくことが、きっとどこかでつながるんじゃないか、という気がします。

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分かち合う事

今朝、、東京湾を震源とする地震がありました。明日は我が身かもしれません。

この大災害を誰かのせいにしたくなります。政治や電力会社の対応を非難する人もいます。いずれは、「在り方」の問題を問う時は来るし、必要でしょう。でも、彼らも不眠不休で動き、被災地の最前線で活動している人や、原発の鎮静化に関わっている人達は、もはや、自分の命を天にあずけているわけです。

日本中一丸となって、一日も早く、当の被災者の人たちが復興に向け動きだし、生きる力を取もどしてもらえるように協力しなければいけないと思うのです。自分がちょっと我慢する事は、本当の悲しみ・苦しみの前では、どうっていう事がない!とイメージできるはずです。

自分が今日生きている事、家族がそばにいる事、、、当たり前にある事は、明日 無くなるかもしれない。それを不安に思ってしまう必要はないけれど(してもしょうがないけれど)、でも、それは誰にでも平等であるはずです。「その当たり前ができる自分は恵まれている」と思えば、具体的に物を分けるという事じゃなくて(・・も)、日々の自分の行動で他人を思いやる事で、それでいいんじゃないかな・・・ と思います。

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僕らひとりひとりが、送り、受け取り、つなぎ、分かち合えば、、きっとこの国は、新しく生まれ変わって復活します。

政治も経済も、、なにより 人のつながりの素晴らしい国に!

政治家やひとにぎりの企業のための国ではなく、本物の「僕らの国」に!

僕らの美しい日本に!

いや 国を超えて 美しい地球 にしなければいけません。

子供達の笑顔のために!

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再び  to U [Bank Band]

コメント一覧

しだ
まめさん
気休めは・・・ 今 言う事ができません。
すべて、原発が鎮められるかどうかで決まります。
できるなら、無理にでもまめさんのところに連れてこられるといいですね。
どうしても無理なら、いつでも動けるように、ガソリンと食糧等を備えておくように言う事しかできないですね。。
お気持ち、痛いくらいに察します。
天災、人災ですが、、今は誰かを恨む事はできません。
まめさんにもご家族がいらっしゃいます。
ご家族が日々変わらず、元気にいられる事がまず第一です。
思いつめず、、明るい明日を信じ、変わらない毎日をおくりましょう!
不安は誰もが持っています。でも、今できる事は、節電し、分かち合い、祈り、笑顔でいる事・・・ と思います。そして まめさんの言われるとおり、話を聞いてあげて支えてあげる事ですね。。

みんなで生きましょう!
mamechan
そうです、一階は天井に近い神棚の花器を玄関まで...
二階は濡れてないと。

ただ、周りの家に守られたのか外壁も痛んでなくて、意外と一階を頑張ってお掃除して畳み張り替えて玄関の引き戸新しくすれば住めるんじゃないのか?ってバカみたいにぐるぐる考えてしまうんです。

だってまだ建てて10年経ってないんだもの。
昨秋10月に亡くなった叔父が建てた東京じゃ見ないよね、この柱!ってくらいまぁ主張している家です。
崩壊しなかった、さすが。
無垢の木を廊下とか使ってて気持ちのいい家なんです。

ただ基礎や構造上はどうなんだろう、というのはあります。
津波の時になにかアタックしてるかもしれないし。
木造部も海水に一度は浸っちゃってるし。
(うちの父は外国から来た木材は一度海に浸けるくらいだから海水は平気だと言って聞きません。真水は腐るけど、と。ほんと?しださん?!)
海のそばですよ、目の前です、こっちも。
海から2列目!!

いとこは街自体を作り直さなきゃダメだ、戦後の町だ、と。
阪神大震災の時はどうやって街が復興したのかそれも調べようと思うのですが。3~4年かかってますよね。

ただ主人が「チェルノブイリは今誰も住んでないんだって。」

・・・もう私は無言になってしまった。
家が直っても健康被害が出るのかな。
とにかく。
すこし収まったら一度現地に入りたいと思ってます。
いとこは来るなと言いますが。
本家が一大事で黙ってられないです。
うちの父はもう動けませんので私しかいない。
気持ちだけでも支えたいし、話を聞ける相手になりたいです。
まずここからか、でしょうか。
しだ
まめさん・・・
ぼくの友人宅は、1階に、流れて来た車が何台も突っ込んでいてどうしようもないらしいけれど、2階はなんともないそうです。
なので、家はなんとかなるかな と思うらしいのだけど、、、街が、瓦礫でどうしようもなく、「それがなんとかならない限り、生活ができないだろう」 と言ってました。 彼の家は海のそばです。浜通り全般同じ状況だと思います。それよりもなにより、、原発のせいで、、戻るのは難しのではと思います。

ほんとにいいところでした。。残念…くやしい・・・

福島から避難できた人はまだよかった。。できずに残っている人もたくさんいるでしょう。実際 彼の父親は残りました。 残った人に 希望 はあるのだろうか。。。

考えてもこちらにいる者には何もできません。
できる事は励まし続ける事しかありません。
まめさんの明るさが、大切です。

とはいっても まめさんも不安で一杯のはず。。
どうしようもない時、、、よかったら、ここに書きこんで、少しでも吐き出してください。そうして、、また笑顔になってくださいね。
mamechan
しださんもお友達がいらしたのですね。
避難されているようでこちら側からすると安心ですね。

私のいとこ一家がいわき浜通りです。
今回4時間歩く中いわきのことが心配でしたが
的中してしまい。
全然連絡付かなかったのですが明け方やっとメールが来ました。
全員無事でした。でも家は津波で壊れはしないものの
一階部分は砂海で畳がはがれ上がり 車は流され。

命は無事で安心しましたが
次はこの先の生活のことと原発のことを気にしています。
私のおじいちゃんの代からずっと海のお仕事でしたから
もう今年は海はダメなこと、
この家にまだ住めるのか、
どうやって生活していけばいいのか。

今は原発から離れるために白河へ避難しています。
うちに呼んだのですが
おばが離れないというので出られないと。

とにかく無理矢理連れて来て!と頼んでみましたが
彼女達は県内での避難を選びました。

でも。
だんだん被害の大きさがわかって来て
そこに住み続けることが出来なくなるのでは、と
懸念しています。

私が小さい頃毎年父と帰省したキレイな海。
あの大好きな景色は無惨にもなにもかも
流れてしまったそうです。

本当に自分は何ができるのか
無力で虚しい日々が続きます。
でも前に向かって少しずつ手伝えることを
頑張るしか無いのかな。

5ヶ月前に見た風景が消えちゃった。
今はその悲しさをかくして
いとことやりとりして彼女達を支えていこうと
思っています。
(まずご近所さんの畳屋さんに相談かな・・・)
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