合掌
もうすぐ、母の七回忌が来ます。
亡くなって、一日も母のこと忘れる日は有りません。
というより、生きている時より、いつも見守ってくれている気がいたします。
全く、悪い事やずるいことなんて考えたりしたりできない、そういう気がします。
もちろん、私の母は、生きている時も、ずい分、怖い母、厳しい母でした。
生きている時は、はっきり言って、優しい母と思ったことはないくらい、厳しく、怖いけれど、頼りになる母でした。
困った時は必ず何とかしてくれる、助けてくれる母でした。
最後まで、いけないことはダメと言い、良いことは、応援してくれる母でした。
母の力って何でしょう?
とにかく、夫や子を思い、一日一日の努力の積み重ねの結果なのです。
とにかく、私の母は、私のことを良~く見ていました。
遠くから、近くから、真近で、ずっ~と、私の事を見守っていました。
人として、子としてちゃんとしているかどうか、見張っていました。
私はいつも、人を植木鉢の花に喩えますが、
とにかく、見守り、世話をし、水をやり、肥料をやり、日を当て、風を通し、はじめて、立派な花を咲かすことができるのです。
どの子供も、両親だったり、片親だったり、代わりの人だったりはするけれど、
お世話されて、叱られて、愛されて、大きく育ち、花を咲かすのです。
ご飯を炊き、お味噌汁を作り、玉子焼きを焼き、御馳走でなくとも、野菜炒め、煮もの、カレー、焼き魚、
手作りのものを、子供に食べさせることは、もちろん、経済的にも、惣菜やお弁当を買うよりかかりませんが、
とにかく、私の見る限り、
母の味、その家の味を作ることで、子供は非行に走りません。
近頃、世間では、少年が、悲しい目にあったり、酷いことを起こしたり、毎日のように
どうしてと思うことが起こっています。
政治家や教育者は、学校や先生の事を何とかしなくてはと言ってますが、
何んといっても、根本は、家庭であり、親だと思うのです。
つまるところ、母の力だと思うのです。
そして、そして、根本の根本は、母の料理、食べさせることだと思います。
ご馳走でなくとも、おっぱいから始まり、毎日、朝、晩、、朝、晩、の繰り返しです。
子供や家族の栄養、健康を考えての繰り返しです。
私もそうして育てられました。
いつもより、遅く帰ると、どうしてか?
いつもより、暗い顔をしていると、どうしてか?
いつもより、ご飯を食べないと、どうしてか?
毎日、~、母は、子どもを見守りつ続け、何を考えているのか、ちゃんとしているのか、
誰より信じられる子供に育てていくのです。
それにはやはり、母の強い意志が必要です。
自分の子供を守り、ちゃんと一人前に育てるという、強い意志の積み重ねです。
優しく、粘り強い毎日の積み重ねです。
心を込めて、愛情を込めて、一番基本の食のところから、積み重ねましょう。
そして、
いけないことをはっきりいけないと言い、良いことをしっかり応援いたしましょう。
必ず、、、母の力は、実ります!!
再拝
本門八品 上行所伝 本因下種 南無妙法蓮華経 本国寺 雅諒