大学院生をやっています。
院生室では様々な話が出ます。
教職大学院なだけあって教育に関する話が多く、聞いているだけでも面白いです。
今日は、教員の過酷さについての話が繰り広げられていました。
その上で、どの自治体で教員採用試験を受けるか、採用試験の対策をどうするかと議論しています。
ここにいる大学院生は、その過酷さも承知で教員を目指すんだなあと、頼もしくなりました。
ところで、
#教師のバトン
というハッシュタグが話題になっているのをご存じでしょうか?
もとはと言えば、文部科学省が
「時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには ~(中略)~
教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要です。」
という理念のもとに、教育現場の奮闘を知ってもらおうと考案されたハッシュタグのようです。
→参考:「#教師のバトン」プロジェクトについて(文部科学省)
背景には教員志望者が全国的に減ってきており、
教員志望者を確保したい、教員という仕事の魅力を発信することで・・・
という問題意識があるようです。
たしかに、教員採用試験の倍率低下は顕著であり、喫緊の課題となっているのです。
しかしながらこのハッシュタグ、当初の予想とは別の方向へと展開しており、
現在は、教員の過酷な現状を訴える声で溢れかえるハッシュタグとなっているようです。
→参考:“教師のバトン” 想定超える悲痛な声(NHKニュース)
SNSで検索をかけてみました。
たくさん出てきます。
教員の大変さについて、うんうん、とうなずくものばかり。
確かに文科省の狙いとは違う方向で拡散しているようです。
もちろん、教員として11年働いてきて、過酷な現状は理解しています。
「いやー、きついなー、正直やばいなー」ってなったことも何度もあるんですけれど、
そのキツさを発信することには意味が薄いと思っていました。
それを受け取った人の反応として想定できるのは・・・
『あ、教員がヘルプ求めてる。やっぱり教員って過酷なんだなー。』
っていう教員に対するネガティブな反応だからです。
だからこそ、ポジティブな発信をしたいと思っていて、
教員やっててこういう楽しいことがあったんですよ!とか
教員冥利に尽きるのはこういう時ですよ!とか
教員としてこういうことを大切にしています!とか
そういう発信をしていきたいなと。
だって、そうしなきゃ、次の世代に胸を張ってバトン繋げないじゃないですか。
しんどさアピールして、誰がそのバトンを受け継ぐんだ?って思うのです。
バトンを受け渡さないって選択肢は、ありえないこの職業。
どうすれば心身ともに健康で働けるか、そのバランスのとり方を考えていきたいです。
せっかくのハッシュタグ、プラスになるような活用を考えていけたらなあと思うのですが、
あれなのかなあ。
文科省の作った「#教師のバトン」というハッシュタグで窮状を訴えることによって、
その声よ文科省に届け!
という気持ちも一方で理解できるのです。
どちらにしろ、教員という仕事のあり方について、
あなたの子どもを預ける、学校という場がどうあるべきかについて、
真剣に考えてくれる方が1人でも多くなってくれれば、ありがたいことです。
院生室では様々な話が出ます。
教職大学院なだけあって教育に関する話が多く、聞いているだけでも面白いです。
今日は、教員の過酷さについての話が繰り広げられていました。
その上で、どの自治体で教員採用試験を受けるか、採用試験の対策をどうするかと議論しています。
ここにいる大学院生は、その過酷さも承知で教員を目指すんだなあと、頼もしくなりました。
ところで、
#教師のバトン
というハッシュタグが話題になっているのをご存じでしょうか?
もとはと言えば、文部科学省が
「時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには ~(中略)~
教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要です。」
という理念のもとに、教育現場の奮闘を知ってもらおうと考案されたハッシュタグのようです。
→参考:「#教師のバトン」プロジェクトについて(文部科学省)
背景には教員志望者が全国的に減ってきており、
教員志望者を確保したい、教員という仕事の魅力を発信することで・・・
という問題意識があるようです。
たしかに、教員採用試験の倍率低下は顕著であり、喫緊の課題となっているのです。
しかしながらこのハッシュタグ、当初の予想とは別の方向へと展開しており、
現在は、教員の過酷な現状を訴える声で溢れかえるハッシュタグとなっているようです。
→参考:“教師のバトン” 想定超える悲痛な声(NHKニュース)
SNSで検索をかけてみました。
たくさん出てきます。
教員の大変さについて、うんうん、とうなずくものばかり。
確かに文科省の狙いとは違う方向で拡散しているようです。
もちろん、教員として11年働いてきて、過酷な現状は理解しています。
「いやー、きついなー、正直やばいなー」ってなったことも何度もあるんですけれど、
そのキツさを発信することには意味が薄いと思っていました。
それを受け取った人の反応として想定できるのは・・・
『あ、教員がヘルプ求めてる。やっぱり教員って過酷なんだなー。』
っていう教員に対するネガティブな反応だからです。
だからこそ、ポジティブな発信をしたいと思っていて、
教員やっててこういう楽しいことがあったんですよ!とか
教員冥利に尽きるのはこういう時ですよ!とか
教員としてこういうことを大切にしています!とか
そういう発信をしていきたいなと。
だって、そうしなきゃ、次の世代に胸を張ってバトン繋げないじゃないですか。
しんどさアピールして、誰がそのバトンを受け継ぐんだ?って思うのです。
バトンを受け渡さないって選択肢は、ありえないこの職業。
どうすれば心身ともに健康で働けるか、そのバランスのとり方を考えていきたいです。
せっかくのハッシュタグ、プラスになるような活用を考えていけたらなあと思うのですが、
あれなのかなあ。
文科省の作った「#教師のバトン」というハッシュタグで窮状を訴えることによって、
その声よ文科省に届け!
という気持ちも一方で理解できるのです。
どちらにしろ、教員という仕事のあり方について、
あなたの子どもを預ける、学校という場がどうあるべきかについて、
真剣に考えてくれる方が1人でも多くなってくれれば、ありがたいことです。
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