ニッカの竹鶴がなくなったので、
ジョニーウォーカーを買ってきました。スコッチ(^^)スコッチ(^^)
これを飲むのは久しぶりだなぁと感慨にふけっていると、ふと記憶が蘇りました。
あれいくつだったかなぁ。。。
たしかオイラが20歳から21歳の間でした。
会員制のクラブでバーテンダーのバイトをしていたんです。
まだあるのかな?と興味本位でぐぐってみたら、おー!まだあるみたい!
梅田の阪急グランドビルの19階。とても夜景の綺麗なサロン。
ココ。
有名な方が沢山こられてました。梅田界隈でコンサートをやった打ち上げなどで
利用されたりしてましたね~
客層も落ち着いた方ばかりで、生ピアノがいつも流れてました。
お客さんから水割りの注文が入ると、オイラの判断でジョニ黒を出していたんです。
それをマネージャーから怒られたことを思い出しました。
ジョニ黒を指定する人には出してもいいけど、水割りの注文に対してジョニ黒を出すのは
どうなんだ?と。
頑張りすぎじゃないのか?と。
バランタインやオールドパー、シーバスリーガルなど色々あり、
店の雰囲気からオイラはそれを選んでいたのですが、サントリーローヤルくらいを出しておくのが
価格的にも適当だろう?という指摘だったのでしょうね。
バーテンダーの研修も何もないのが問題だと思うのですが、
当時は輸入物のウイスキーが今と違って高級だったんです。
それくらい知っておけということでしょう。
わはは、そんな小さなことを突然思い出して少々苦笑。
すると記憶が芋づる式に。
この店は接客の女の子も沢山スタンバッているんです。わーい。
制服はロングドレスでした~(^^)
男のバイトがオイラ含めてたった3人。ハーレムです。
店の決まりで店内恋愛が禁止らしいのですが、そんなきまりは聞いてまへん。
わはは、案の定なるようになります。
でもマネージャーはオマエはあいつと付き合ってるだろう、こいつと付き合ってるだろうと
毎日のように当てずっぽうで監視してました。
コンプライアンスなんてのが騒がれる前のおおらかな時代の管理職の監視方法でしたね~
結局彼女は後日ウィスコンシン州へ留学。しばらくして帰国を迎えにいきましたが、
結局疎遠になってしまいました。
ジョニ黒からそんな何十年も前のことがふと浮かぶとは、なんて愉快。
そういえばあの店のあと、梅田の産経新聞社の運動部(スポーツ面)で
スポーツ記事編集の手伝いをするバイトへ切り替えました。
バイトが終わるのが夜中12時ころなので、梅田から寝屋川市まで毎日タクシーで
帰宅するという生活でした。タクシーチケットというのが出たんですね~
料金メーターは毎回深夜料金で11000円ほどでした。
スポーツ選手に沢山会ったなぁ。
面白かったなぁ、あのバイトは。
あれ?思い出話をし始めると・・・おじいさんだといいますが、やばいかも!(笑)
リハビリ中の今はそういう半生をじっくりふりかえる期間として最適なんじゃないですか~
なんだかんだ言っても多くの人と交流する生活されてますやん(笑)
梅田から毎日タクシーですか~バブリ~
私は学生の頃からバイクに乗っていたのに、なんであの時間のある時期に旅に出なかったのだろうと後悔が残ってます。
ひょっとした事で過去を振り返る事、あるあるぅ~^^;
寝屋川市って今、Newsで騒がれている所?(+_+)
親父宛ての歳暮の中のジョニ黒をくすねて、学生仲間と飲み交わしたことを思い出します。
ワタシも年ですかね、昔のことを思い出しますわ(笑)
学生時代は有り余る時間の貴重さが
それほどわかっていなかったのかもしれない
ですね~
私も思う存分世界へ旅立てばよかったと
何度も思いますが、まだまだこれから!とも
思っています。
隙があれば、どんどん旅立ちましょうね、お互いに!
おかげさまであと2週間で松葉杖とも
お別れできそうです。
もうすぐ自由です!(笑)
リードを放したドーベルマンのように猛ダッシュでどっかへ行きたいと思ってます。
寝屋川市、そうなんですよ。
ニュースの映像がどこかわかるくらいに
良く歩いていたので・・・
いたたまれないですね、あれは。
洋酒や洋もくがもてはやされてた時代ですかね~我々の若いころは。
今はジャパニーズウイスキーも世界で評価されて、山崎を飲もうとしたらジョニ黒の2倍のお金を出さないと買えないものなぁ~
昔のことを思い出すと、甘酸っぱいと良く
表現しますが、実際あったことを長い年月の間にすこし美化してるところがあって、それにキュンとしていることがありますね。
きっと世の中にある偉人伝なんかは
かなり内容が変わっているのもあるかもね(^^;