続きです。

第2部の和のお茶会は、お抹茶と羊羹。
第一部の始まる前に、次女とお茶道具を選びました。と言ってもお棗と建水はお稽古用の季節問わずの物しか持っていないので、先代や先先代から譲りのお茶碗が、ちょぼちょぼと有る程度の物ですが、お道具類と5人分のお茶碗を選選びました。
我が家にあるお茶碗のおおよそ半分は旦那君の祖父が旅先などで気軽に買い求めた物がほとんどで、筆豆だった祖父らしく、仕立てた箱に自身で箱書きをし、友人との思い出と共に大切にしていた様子が伝わります。
木箱入りのお茶碗に混じって、祖父の箱書きで童女椀と書かれた紙の箱があって、中にはコケシ弁当の入れ物が入っていました。きちんと蓋もしまってあったので、元が駅弁の容器だと祖父はわかっていて、あえてその器に「童女椀」と名を付け、大切にしまってあった物でした。
その器を孫娘ちゃんに使ってもらいました。

他のお茶碗とお道具は、定年退職後、趣味が高じて茶道の師範をしていた姑さんからの譲りの物です。内稽古をしていたので、そこそこの量が有りましたが、形見分けをしたので、我が家は実用重視で普段使いの愛用品を一揃い頂きましたので、それを使いました。
お菓子は長女が送ってくれた虎屋の夜の梅と雛衣です。
結局、旦那君を含め皆、自分でお茶を立ててみたいと言い出して、見よう見まねで自分の分は自分で立てて、それぞれが自分で味わっていました。
旦那君のお誕生祝いの名目でしたが、私は次女とお茶道具談義に花を咲かせて、お手前の準備を一緒に出来た事が、とても嬉しかったです。
子育て中は、お稽古もやめてしまい、たまにお抹茶を入れる事ぐらいしか出来なくなり、子供達にきちんと教えることも出来なかったけれど、娘が大人になり自ら茶道を始めてくれて、良い先生に恵まれて、彼女なりのお茶を楽しんでいて、お茶の楽しさを分かち合える日が来るなんて、夢にも思えませんでした。
若嫁さんだった遠い昔、嫁いだばかりの私の拙いお手前を義祖父母は目を細めて喜んで下さいました。義祖母が老いた手で帛紗を捌くその手の美しかった事。
そんな事を思い出していました。