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信濃國一宮
諏訪大社 上社前宮(かみしゃまえみや)
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狛犬 (吽形)角がある珍しいタイプです
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日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在します。
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内御玉殿
諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。
「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」
といわれたように諸神事にあたって
この内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち、真澄の鏡をかけて、
馬具をたづさえて現れる大祝(おおほうり)はまさに
神格をそなえた現身の諏訪明神そのものだそうです。
(大祝とは、神職の階級で祭祀を掌るものです。)
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前宮 拝所
前宮御本殿は内御玉殿から200m程上にあり、古くは神殿に附属したお社でした。
高台で豊富な水や(諏訪でも一、二を争う水質の「水眼川」が流れる)
日照が得られる良い地で、御祭神が最初に居を構えられた、
諏訪信仰発祥の地と伝えられています。
現在の社殿は昭和七年伊勢神宮の御用材で建られたものだそうです。
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主祭神は
八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
上社本宮祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)の妃神
本来の祭神は日本古来の神ミシャグジ神などの諏訪地方の土着の神々であるといいます。
(ミシャグジとは、木や石に降り着く精霊・霊魂だそうです。)
古くは、前宮があるこの地で全ての祭祀が執り行われていました。
新たに本宮が造営され、戦国時代末に大祝が宮田渡に居住地を移すと急速にさびれました。
しかし、「御頭祭」など諏訪神社古来の神事は、
本宮からここへ“出向”して行います。
そのことから、現在でも諏訪神社発祥の地として重要な位置にあります。
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御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられています。樹齢200年程
柱の樹皮は本来は剥がさなかったが、1986年頃 ここで剥がされてから
他でも剥がすようになったそうです。
御柱の由来を調べてみると明らかになっていない様で、
古来よりいろいろ説はありますが、
今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説などが
検討されているようです。
『諏方大明神画詞』には平安時代初期の桓武天皇(781年-806年)に
御柱祭実施の記載があり、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされます。
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一之御柱 拝殿に向かって右手前
奥に四之御柱が見えます。
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四之御柱 向かって右奥に建てられています。
左側手前に二之御柱
左奥に三之御柱が建てられています。
諏訪大社 上社前宮(かみしゃまえみや)
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狛犬 (吽形)角がある珍しいタイプです
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日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在します。
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内御玉殿
諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。
「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」
といわれたように諸神事にあたって
この内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち、真澄の鏡をかけて、
馬具をたづさえて現れる大祝(おおほうり)はまさに
神格をそなえた現身の諏訪明神そのものだそうです。
(大祝とは、神職の階級で祭祀を掌るものです。)
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前宮 拝所
前宮御本殿は内御玉殿から200m程上にあり、古くは神殿に附属したお社でした。
高台で豊富な水や(諏訪でも一、二を争う水質の「水眼川」が流れる)
日照が得られる良い地で、御祭神が最初に居を構えられた、
諏訪信仰発祥の地と伝えられています。
現在の社殿は昭和七年伊勢神宮の御用材で建られたものだそうです。
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主祭神は
八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
上社本宮祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)の妃神
本来の祭神は日本古来の神ミシャグジ神などの諏訪地方の土着の神々であるといいます。
(ミシャグジとは、木や石に降り着く精霊・霊魂だそうです。)
古くは、前宮があるこの地で全ての祭祀が執り行われていました。
新たに本宮が造営され、戦国時代末に大祝が宮田渡に居住地を移すと急速にさびれました。
しかし、「御頭祭」など諏訪神社古来の神事は、
本宮からここへ“出向”して行います。
そのことから、現在でも諏訪神社発祥の地として重要な位置にあります。
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御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられています。樹齢200年程
柱の樹皮は本来は剥がさなかったが、1986年頃 ここで剥がされてから
他でも剥がすようになったそうです。
御柱の由来を調べてみると明らかになっていない様で、
古来よりいろいろ説はありますが、
今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説などが
検討されているようです。
『諏方大明神画詞』には平安時代初期の桓武天皇(781年-806年)に
御柱祭実施の記載があり、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされます。
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一之御柱 拝殿に向かって右手前
奥に四之御柱が見えます。
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四之御柱 向かって右奥に建てられています。
左側手前に二之御柱
左奥に三之御柱が建てられています。