【今日の 修理】
前回の続き
何を隠そう、前回紹介した時には実は、長年の不稼働にて全く動きが悪く、ハンドルその他固まっていたよな状況であったのだ。
前回のブログではそのようなことは言わずに、写真では一切分からないを幸い、おとぼけで皆さんにご紹介をしたのであった。
どうもすみませんでした。
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だからスムースに計算ができるように、機械の各部が抵抗なく回るように直すことにした。
うごかなければただのオブジェじゃん。
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カバーを外すとこうなっている。ワシの頭ではどこをどうすれば動きが良くなるのか
ましてや計算の出来る理屈などトンと分からない。
裏側はこうなっている。ここら辺は昔の足踏みミシンを思い出す。
ミシンだっても、なぜ縫えるんかは不明である。エヘン
表へ引っ張り出して、ひたすらブレーキクリーナー(油脂類を溶かす溶剤が入っているスプレー、しかも圧力が強力)でシュウシュウするのみ。
もちろん回しながらだ。そのうちに何とか動くようになってきたぞ。
更に細かく見ていくとプラスチックパーツに割れているところがある(2か所)
長年使用で、どうしても力が掛かるところのプラはダメージがあるのだ。
勿論これらは例の補修材(プラリペア)で元通りに直すのだ。
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上面ケースの左側が壊れていて比較的大きなプラスチック部分が無くなっていた。
計算には支障は無いがこれも直す。
ありあわせの3mm厚さのプラスチック板を現場に合わせて切って
悲しいがここにはふっくらと曲率がある。あてがったプラバンは平面。
紫外線で固化するパテ(近頃は良いものがあるなあ、しかも、昔と違って素人でも、こんな田舎でも手に入るのだ)
このパテのお世話になろう。
はい、直りました。
艶も良いようで・・・
裏側はこんなだ・・・・見えないから良いのだ。これで
かくして数日かかったが
修理完了だ。
ついでにコンパウンドで磨いてピッカピカの新品同様に。(大いに誇張です。これをフェイクブログという。)
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調べたらこのタイガー計算機は大本寅治郎という大阪の製鋼所の主が大正12年に発明したという。
欧米の特許も取ったという。
その後、関東大震災の復興特需や太平洋戦争の軍部からの注文、戦後の復興期の需要などで大いに使われたという。
しかし昭和39年トランジスタを使った電卓、41年にはIC,44年にはLSI(大規模集積回路)電卓が出てきた。ついに
昭和45年このタイガー手回し計算機は惜しまれつつその製造を完了したのであった。
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ワシの持っている計算機はこの45年型である。つまり最後の計算機であった。値段は3万5千円
昭和35年から3代のモデルチェンジを重ねて値段は35年のまま。
ワシの修理技術のおかげで再び計算ができるようになったこれは
ワシが死ぬまで手元に置いとくんかいな。
その後はどうなるか・・・・・・・泣くなワシ。