100年後の君へ

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杉田善昭刀匠の想い出3

2012年12月27日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 昨今、鎌倉時代の一文字は裸焼きだったとする説が有力である。これを以って古刀期は裸焼きである、ゆえに裸焼きで作れば古名刀が再現できる、という誤った認識が一部の初心者の間に流通したことがある。しかし一文字の中にも裸焼きではないと思われる作品もあるし、古刀期以前の直刀時代の刀は明らかに土置きしていたと考えられるから、裸焼きはあくまでも焼き入れ方法の一つでしかない。

 氏の裸焼きへの強い想いは日本刀に対する考え方にも影響した。それは通説や常識を逸脱するにまで及んでいた。

 例えば新刀期の石堂系の鍛冶が裸焼きをやっていることを知ると、「石堂が最高」と言ってみたり、自分の作品が一文字とは似ていないと指摘されると、作品のほんの一部分だけを取り出して古刀の押し型と照合し、「似ている」と強弁するのだった。
 また国宝指定の名刀ではなく世間に出回っている一文字極めの砥ぎ減った無銘刀と比較して、自分の作品は一文字とよく似ていると言うのだった。

 確かに氏の作品は一文字には似ていなかったが石堂には似ていた。
 しかし石堂でも重要刀剣クラスには及ばなかった。
 地鉄が白け過ぎていたのだ。
 地鉄の白けは現代刀全般に共通する欠点だが、氏の作品は単に白けているのではなく、鉄そのものが干乾びたようになっており、潤いが全くなかった。
 石堂でも一文字でも、裸焼きで作られた刀は相州伝系の刀と比べると地鉄が白けて見える。映りのあるものは特にそうだ。しかし良い刀なら冴えた細かい地沸が付き、鉄が干乾びて見えるなどということはない。
 氏の作品は材料に問題があるのか焼き入れに問題があるのか、鉄がガサガサに乾燥して見え、油を拭かない状態の方が見栄えがした。

 私が遠回しにそのことを指摘すると、「そうでしょう、YさんやSさんは電解鉄を使ってるから地鉄に潤いがありません」と無鑑査刀匠の名を挙げ、それに比べて自分は玉鋼を使っているから地鉄に潤いがある、と理解に苦しむ言葉が返ってきた。
 氏の地鉄に潤いがある??? 私はY氏やS氏が電解鉄を使っているかどうか知らないが、彼らの作品は氏に比べれば遥かに地鉄に潤いがあった。氏の冗談かとも思ったが、極度の堅物である氏は間違っても冗談など言える性格ではなかった。
 
 要するに、現実にいくら地鉄が干乾びていても、自分の作品の地鉄こそが潤いがあるのである、なぜなら裸焼きで作っているから―、ということである。
 それが裸焼きをやっている氏のみぞ知る「日本刀の真実」であった。

 かように氏においては裸焼きだけが全ての判断基準となっていた。
 歴史的に確立された日本刀の評価基準・価値基準さえ、自作の裸焼きの作品に合わせて歪曲した。

 それが極まったのが助広を巡る私とのやり取りだ。

 氏の作品のあまりの地鉄の悪さ、しかし氏にとってはその醜く干乾びた地鉄こそが潤いのある良い地鉄であるという信念。
 私は愛刀家としての良心から氏に意見せざるを得なかった。
 そこで地鉄の美しさに定評がある助広を例に採り、概ね次のような進言をした。

 ――初代ソボロ助広は専ら裸焼きで作っており、息子の二代助広も初期には裸焼きをやっています。ところが初代の死後、二代助広は裸焼きを止め、沸出来の作風に転向しました。そして涛乱刃を開発し、刀剣史上に残る名匠となりました。助広が裸焼きという家伝の作り方を止めたのは何故でしょう。裸焼きでは沸の美しさが表現できないからではありませんか? 先生の作品を見る限り、裸焼きで作ると地鉄が冴えません。当時の大阪で求められた作風が沸出来であったことを割り引いても、助広は裸焼きの限界を悟ったのではないでしょうか。裸焼きは現代では先生しかやっておりませんから個性的に見えますが、地鉄に生気がなく、マルテンサイト(沸)が作り出す刀本来の生命感ある表情とは違うように思います。裸焼きで作った刀はどれも同じに見えます。助広の作品は地味な直刃でも、全て違って見えます。単純に沸出来だから生命感があるということではなく、助広は裸焼きで培った焼き入れ技術があったからこそ生命感のある地鉄を作ることができたのでしょう。してみると先生も裸焼きを土台として次の段階に進む時期に来ているのではないでしょうか。

 これに対して氏は、「助広が作風を変えたのは裸焼きが難しかったからじゃないですか」と答えた。

 助広の涛乱刃が歴史的に高く評価されているのは日本刀に興味がある者なら誰でも知っていることだ。涛乱刃だけでなく直刃も沸と匂いの深さが賞賛されている。それに比べて助広の裸焼きの作品の評価は低い。助広が作風を変えたのは裸焼きが難しいという消極的な理由からではなく、もっと美しい本当の名刀を求めてのことだったのだろう。当時は家伝の技術を捨てるのは大変な決意がなければできなかったはずだ。

 私は氏に手紙を出し、「鉄の花は焼き刃土がなければ咲かないのでしょう」、と認めたものである。

 日本刀の世界では沸は「錵」と書く。「金偏に花」。鉄の花である。
 和製漢字であるが、先人がいかにマルテンサイト(沸)を日本刀の美の要点として位置付けて来たかを示している。
 そこから私は裸焼きに固執する氏を皮肉ったのだ。

 裸焼きからもう一歩踏み出していれば・・・。
 裸焼きへのあまりにも強い執着心が、氏の寿命を縮めたように思えてならない。







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