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(…禅は 勝利や敗北には 何の注意も払わない。
どちらも無意味だ。
意味があるのは 内発性だ。
内発的な人が敗北し、勝者が 無心でない場合もありうる。
禅の見地では、敗者の方が 高い境地にいることになる )
そういうことが 昔にあった。
禅の サムライ、禅の武士が戦場から 早々に帰宅すると、下男が妻と密通していた。
禅者として、その男は 下男に言った。
「心配するな、ことを すませるがいい。 私は 外で待っている。
おまえは剣を手にして、私と戦わねばならぬ。
ことが どうなろうと、少しもかまわない。
私は 外で待っているぞ」
哀れな下男は 震えはじめた。
彼は 剣の 握り方さえ知らないのに、主人は 有名な武士だった。
彼は下男の首を 一刀のもとに 切り捨ててしまうだろう。
そこで、下男は 裏口から逃げ出して、その武士の師でもある 禅師のもとへ駆け込んだ。
下男は 禅師に言った。
「困ったことになりました。
すべて 私の落度です。
ですが、ともかく こうなってしまったのです」
禅師は 男の話を聞いて 言った。
「心配する必要はない。
おまえに 剣の握り方を 教えてやろう。
それに おまえの主人が優れた武士だとしても関係ない。
肝心なのは、ただ臨機応変に振る舞うことだ。
無心に振る舞えば、おまえの方が 上だ。
どうやら彼は、この下男が生き延びる余地はない、猫が鼠を 弄ぶようなものだ と 自惚れているようだからな」
「だから、心配しなくてもいい。
全力を上げて彼を 強く打つのだ。
これは おまえが生き延び、救われる 唯一のチャンスなのだから。
だから、半身では いけない。
もしかすると 許してもらえるかもしれない と考えて、手加減しては いけない。
彼は絶対に おまえを許すまい。
おまえは彼と 戦わねばならない。
おまえは 彼を挑発し、激怒させてしまった。
だが、問題は何もない。
私の見るかぎりでは、おまえの勝利に 終わるだろう」
(つづく)