【 まず技法を 理解しなさい 】
ある老医師に関する話を 聞いたことがある・・・・・・。
ある日、彼の助手が電話してきた。
なにしろ、ひどい窮地に 追い込まれていたのだ。
患者の ひとりが窒息死しかかっていた、ビリヤードの玉を のどに詰まらせて・・・・・・。
助手は なすすべもなく途方にくれていた。
それで、彼は老医師に「どうしたものでしょう?」と 尋ねた。
老医師は言った。
「羽毛で 患者をくすぐりなさい」
数分後、助手から 再び電話が かかってきた。
踊り上がらんばかりに 喜んで、彼はこう言った。
「先生の処置は 最高です!
患者は 笑い出して、玉を 吐き出しました。
でも 教えてください ーーー いったい どこでこんなすばらしい技術を習ったのですか? 」
老医師は言った。
「自分で 思いついたのさ。
何を してよいか わからないときでも、とにかく 何かをやる、それが 私のモットーなのだ」
だが、これは 瞑想に関しては当てはまらない。
どうしたらよいのか わからないときは、何ひとつ してはいけない。
心(マインド)は 非常に こみいっており、複雑で、しかも繊細だ。
だから、どうしたらよいのか わからなかったら、何も しないほうがよい。
知らないで やったことのすべてが、かえって事態を複雑にし、解決は 遠ざかってしまう。
それは 致命傷になりかねないし、自殺行為に なるかもしれない。
心(マインド)に ついて 何も知らないなら ーーー そして、実際、あなたは 何も知らない。
心 といっても 言葉にすぎない。
あなたは その複雑さを 知らない。
およそ この世に存在するもののうちで、心ほど複雑なものはないし、それに 比較しうるものはない。
しかもそれは もっとも繊細なものだ。
へたをすると 破壊したり、取り返しのつかぬことにもなりかねない。
これらの技法は 人間の心に対する 深遠な理解、それとの きわめて深い遭遇に基づいている。
それぞれの技法は 長年の実験に その基盤を置いている。
だから、これを 覚えておきなさい ーーー 勝手に自分で何かをしては いけないし、絶対に 二つの技法を 混ぜ合わせてはならない。
なぜなら、それぞれの動きは異なっており、その道すじも 基盤とするものも 異なっているからだ。
どちらも 同じ目的地に導くのだが、方法としては 全面的に異なっている。
ときには 正反対のもので あるかもしれない。
だから、二つの技法を 自分勝手に混ぜ合わせてはならない。
それどころか、どんなものも 混ぜ合わせてはいけない。
技法は 与えられたとおりに用いなさい。
自分勝手に 技法を変えたり、改良したりしてはいけない。
なぜなら 改良などできないのだし、あなたがもたらす いかなる変更も 致命的なものにしかならないからだ。
だから、技法を始めるまえに、自分が それを理解しているかどうか、充分に敏感でありなさい。
もし混乱があり、その技法が どのようなものか よくわからないのなら、それは やらないほうがよい。
なぜなら、それぞれの技法は、あなたに 革命をもたらすほどのものだからだ。
はじめに、その技法を 完全に正しく理解しなさい。
理解したときのみ 試みなさい。
「どうすればよいか わからないときには、とにかく何かせよ」という あの老医師の モットーに耳を傾けてはならない。
何も やってはいけない。
何もしないことのほうが ずっとましだ。
Osho,
「自分にふさわしい方法は ぴんとくる」に つづく……