【 私の方法はシンプル 】(P.49~51)
これから 私たちが見てゆく方法論は どれも、悟った人たちによって 教えられてきたものだ。
このことを 覚えておきなさい。
それらは あまりにも単純に見えるだろう。 そして実際、その通りだ。
私たちの 心(マインド)には あまり単純なものは 訴えかけてこない。
技法が それほど単純で、住居が それほど近いのなら、自分が すでにそのなかにいて、わが家が それほど近いのなら、なぜそれを 取り逃がしているのか? ーーー だとしたら、まるで自分は 馬鹿みたいだ。
あなたは そこで、おのれの 自我(エゴ)の愚かさを感じるよりは むしろ、こんな単純な方法が 役に立つはずはない と考える。
だが、それは 欺瞞だ。
あなたの心(マインド)は、こんな単純な方法では 何の助けにもならない、あまりに単純すぎて 何も達成できない、と言うだろう。
神的な実在を 達成するのに、〈絶対〉や〈究極〉に到達するのに、こんな単純な方法が どうして使いものになる?
どうして こんなものが 助けになる?
・・・・・あなたの自我(エゴ)は、こんなものは 何の役にも立たない と言う。
ひとつ 覚えておきなさい ーーー 自我(エゴ) は必ず 何かむずかしいことに 関心を抱くものだ。
物事が むずかしいときには、そこに挑戦があるからだ。
その困難が 克服できたら、あなたの自我(エゴ)は 満足を感じる。
自我(エゴ)は けっして簡単なものには 魅きつけられない ーーー けっしてだ!
自分の自我(エゴ)に 課題を与えたいなら、何か むずかしい趣向を 用意しなければならない。
あるものが 単純だったら、それには 魅力がない。
なぜなら、たとえそれを 克服できたとしても、そこには自我(エゴ)の 充足感がないからだ。
そもそも最初から、そこには まったく克服すべきものなど なかったし、それは あまりにも単純だった。
自我(エゴ)は 困難を 求める。
飛び超えるべき ハードル、征服すべき高峰 ーーー その高峰が 険しければ険しいほど、いっそう あなたの自我(エゴ)は 安心感を感じる。
これらの技法は あまりにも単純すぎて、あなたの心(マインド)に まったく訴えかけてこない。
覚えておきなさい、自我(エゴ)に訴えかけるものは 精神的成長の 助けにはならない、ということを。
これらの技法は 非常に単純であり、その気になれば いつでも、あなたは 人間の意識に可能な すべてを達成することができる。
Osho,