…自分の「あるがまま」を 表現している姿を 愚かな他人が見れば『わがまま』に見える。
…愚かな人間(大人)は「成長していない」から、ものごとの表面的な部分だけを見て「自分勝手にジャッジ」する。
…も一つ愚かな人間は、ものごとや人に対して、その部分的にしか見れない判断力で出した 自分の答えが 絶対に正しいと 思い込み、「悪口(文句)を かげで言う」。
…一番 愚かな人間は、成長に向けての「努力をしたくない」から、自分で自分を騙す…「俺は 偉いのだ!」
「偉いから、人のことを『評価できる』のだ!」すなわち、「評価できる人間が えらいのだ…」と、過った考え方が こりかたまり、「自分以外の 批判ばっかり」し続けている…(気づくまで、やり続ける)。
「おっちゃん! そう言いながら、おっちゃんも『悪口↑言ってるやんか!』」と、突っ込まないでね…。
…これを 読んでいる若者に、このような愚かな人間として、人生を無駄にしてほしくない という「親ごころ」だと 理解してくれ…。
(前置き が長くなった…)
なにが言いたいか、本題に入ろう。
本人が、「自分は 成長している」という自覚/確認の 一つが、上述した、ものごとを「全体的に見れる」ようになってきたな という現時点の自分と、過去の自分とを比較した結果で 出た答えだね。
…他に 成長している と確信できる徴は、「感受性や洞察力」。
「他人の目が、気にならなくなって きた」。
「感謝できる頻度が 増した」。
「いわゆる『外側からの おしつけ道徳』ではない、元々内側に在る、自然体での道徳心が認識できた」。
等など、それぞれの個人的な 主観で認識/確信して、マイペースで、成長なさってくださいね。
そして、この「地球」に、成長するために生まれてきたのですから「それぞれの個人的な問題点は、異なる」。
なので、他人の問題と、自分の問題を はっきりわけることも 大切なことの 一つですね。
私の知ってるかぎり、問題を抱えていない人は この世には いない。
「私には、問題なんてない!」と言ってる人は、ただ、気づいてないだけで、私に言わせれば「自分の問題に『気づいていない』というのが『あなたの問題点である』ことだ」である。
【成長への近道は、自分にピッタリの「瞑想(内観)法」を 見つけること】
その時々の自分にピッタリ合った「瞑想法」に出会うと、「ピン!」とくる!
そして、間違いなく「結果が出る」。
…感受性が 深く広がり、洞察力も、研ぎ澄まされて鋭くなる。
気づくことも、多くなり 同時に理解も深まる。
ただ、この瞑想法が、自分にピッタリか どうか?は、やってみなければ 分からないので、それを 問題だといえば問題でもある。
情報の資料としては、「新瞑想法入門」市民出版社 という本を おすすめします。
(つづく)