…この本「奇跡の脳」を 読み終えて・・・・・・
…我々は〝その場〟の状態/雰囲気に 合わせて、やってはいけないことは、直感的に察して、対応している。
…葬儀の場で、笑うことは、普通では やらない、深刻な面持ちで参列者の一員となる。
…そして 入院中の 知(友)人を 見舞いに行くときだが、過去に入院体験のない者などは、やはり「真剣な顔」をしている・・・。
しかし、彼女(著者)のように 病状が重い場合、やってはいけない態度がある・・・文中にも記されているが、「あなたのこと、とても心配しているのよ~」の深刻で ネガティブな面持ちは、ベッドにいる人の、エネルギーを 奪い取っている!
…ベッドに近寄り、身体の安全なところに 手を添えて「優しい微笑み」と ともに、言葉にしなくていいから「大丈夫だよ・・・きっと元気になるからね!」というポジティブな エネルギーを、自分の Heart から
相手に 注ぎ込むような 感じなら、患者を助けている・・・。
…↑これが、できない〝間柄〟なら、見舞いに来たことだけを告げて、無理をして 病室に入らないほうがよい。
そして、相手の病状が、横になっているだけで、どんな感じなのか「わからないのだから」在室は、5分間を限度と 心得ておくーーー。
…あってはほしくないことだが、反対に、もし入院するようなことが 起きたならば、内密にすればいい。
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(文庫本) P.223~
第14章「わたしの 右脳と左脳」より抜粋、
(略)…右脳と左脳は それぞれユニークな特徴をもっており、ちがったやり方で 情報を処理するわけですから、それが別々の価値体系となって あらわれ、結果的に非常に異なる 人格が生じるのは、あたりまえかもしれません。
左右の脳が持つ 両方の性格を育て、脳の 両方の機能と個性を うまく利用し、人生の中で 両方がお互いに支え合い、影響し合い、調節し合うように できる人もいます。
でも、ほとんどの人は、どちらか 一方に考え方が偏り、常に 分析し、批判的になり、柔軟さに欠けるパターン (極端な左脳状態) を示すか、あるいは、周囲と ほとんど現実を 分かち合うことなく、ほとんどの時間を「うわのそら」(極端な右脳状態) で 過ごしています。
二つの 性格のあいだの 健全なバランスを 生み出すことによって、初めて、変化に対して 柔軟に対応できる(右脳)認知力を 持ちながら、同時に 道を踏み外さず 具体的に行動できる(左脳)ようになります。
与えられた認知能力を 100パーセント大切にし、うまく使うことにより、まさに「生命の傑作」とも言える わたしたちに見合った 人生への道が開けます。
決意しさえすれば、慈愛に満ちた世界を つくることが可能なのです。
悲しいかな、わたしたちの社会では 思いやりが示されることは 滅多にありません。
「間違った」あるいは「悪い」判断をした 自分や他人を 見下げたり、侮辱したり非難することばかりに、あまりにも多くの 時間とエネルギーを 費やしてしまうのです。
あなたは 自分自身を 厳しく責め立てるとき、こんな質問をしたことがありますか?
「あなたの中の 誰が怒鳴ってるの? あなたは 誰に対して怒鳴っているの?」
こうした 否定的な思考パターンには、内なる敵意と 不安の増加を 助長する傾向があることに 気づきませんか?
さらに厄介なことに、心の中での 否定的な対話が、他の人たちへの 態度にも、ひいては あなた自身の魅力にも 悪い影響を及ぼすことに 気づいたことがありますか?
生き物として、わたしたちは そこ知れぬほど 強力です。
神経ネットワークは、ニューロンが 他のニューロンと コミュニケーションをとる回路から できているので、そのふるまいは 充分に予測できます。
特定の回路に 意識的な注意を 払えば払うほど、あるいは 特定の思考に より多くの時間を費やすほど、そういった回路や 思考パターンは、外部からの ちょっとの刺激によって 容易に働くようになります。
…(略)…
脳の 左右の人格は、物事に対して 違う考えを持つだけでなく、感情を処理し、すぐに わかる方法で からだを動かします。
肩の すぼめ具合で 誰が部屋に入って来たかわかるし、顔の しわの深さで 何が起きているかを 知ることができます。
右脳は すべて「いま、ここで」に 関係しています。
それは 歯止めなく熱狂し、はねまわり、どうなろうと 知ったこっちゃありません。
よく 微笑み、やたらと フレンドリーです。
それと比べて、左脳は 細部で 頭が一杯で、分刻みの スケジュールで 突っ走ります。
左脳は クソ真面目なのです。
歯ぎしりしながら、過去に学んだことに基づいて 決断を下します。
一線を越えることなく、あらゆる「正しい ・ 間違っている」あるいは 「良い ・ 悪い」 で 判断します。
あ、それから、その判断は わたしの場合 眉の形に あらわれるんですよ。
右脳は とにかく、現在の瞬間の 豊かさしか 気にしません。
それは人生と、自分にかかわる すべての人たち、そして あらゆることへの 感謝の気持ちで いっぱい。
右脳は 満ち足りて 情け深く、慈しみ深い上、いつまでも楽天的。
右脳の人格にとっては、良い ・ 悪い、正しい ・ 間違い といった判断は ありません。
これを 右脳マインドと 呼ぶことにしましょう。
ですから 右脳マインドでは、あらゆることが 相対的なつながりの中に あるのです。
ありのままに 物事を受け取り、今そこにあるものを 事実として認めます。
昨日より 今日のほうが涼しい。 ただ それだけ。
今日、雨が降る。 特に 問題なし。
右脳マインドは、ある人が 別の人より背が高い と観察するでしょうし、この人は あの人より お金を持っている、などと観察しますが、こうした 観察結果は 判断にはつながりません。
右脳マインドにとっては、わたしたちは みんな、人類という家族の 平等な 一員なのです。
右脳マインドは 国境や、人種や 宗教のような人工的な境界など わからないし、気にも とめません
今回の 脳卒中の体験から得た 最も大きな「恵み」は、純粋な 内なる喜びの 神経回路を 若返らせ、さらに強められたこと。
脳卒中の おかげで わたしは、子供のような好奇心をもって、ふたたび自由に 世界を探検するようになりました。
差し迫った危険はなく、世界中が 安全に感じられ、自分の 裏庭のように 地球を闊歩しました。
右脳の 意識の中では、わたしたちは 人類の可能性を秘めた 宇宙のタペストリーに 織り込まれているのだ と感じ、人生の 素晴らしさを 感じ、ありのままを 美しく感じます。
……(略)